ラジャン川における河岸侵食の特徴と社会的影響
渡壁 卓磨(鳥取大学地域学部)
祖田 亮次(大阪市立大学文学研究科)
目代 邦康(自然保護助成基金)
池田 宏(深田地質研究所)
柚洞 一央(室戸ジオパーク協議会)
はじめに
図1
熱帯雨林の広がるマレーシア・サラワク州では、木材の伐採が始まって以来、住民を取り巻く環境が大きく変化している。例えば、サラワク州内を流れるラジャン川流域
(図1)に住む人々は、河岸侵食の問題に直面しているという。住民によると、ラジャン川の河岸侵食は1960年代末あるいは70年代から顕著になっており、これはラジャン川上流(とくに支流のバレ川)での熱帯雨林の伐採やエクスプレスボート(町と町をつなぐ高速船)の就航といった、社会経済の変動時期と一致している。この頃から大型動力船が河川を航行するようになったため、ラジャン川流域の住民の多くは「船の航走波によって河岸が侵食された」と述べており、これを河岸侵食の主要因として理解しようとしている。しかし、河川地形学的な観点から河岸侵食の進行を見た場合、それはより長期的な河道変動プロセスの一部として理解すべきことかもしれない。
ラジャン川では流域の人口が集中する中流から下流にかけて、河岸侵食が顕著に起こっている
(写真1)。現地では河岸侵食に対する護岸工事なども一部行われているが、河岸侵食の原因解明が行われていない状況であるため、その場しのぎの対応になりがちで、しかもその効果は高いと言えない。河川の流路形態についての地形学的な理解と、河岸侵食の被害状況の正確な把握を行わない限り、今後の河岸侵食の被害軽減の方策を立てることは困難であると思われる。
ラジャン川の流路は700 km以上になるため、上流から河口へと流れる間に河川の特徴が大きく変わる。河岸の被害状況を考える上でも河川の流れ方は考慮すべきである。そこで我々は、まずはラジャン川の河川の特徴についての正確な理解を得るため、流路形態の分類を行った。ラジャン川は熱帯を流れる河川のため、日本を流れる河川と特徴が異なる。まず、ラジャン川流域の降水量は、日本の年平均降水量に比べて2倍近くあるため、河川の流量が非常に多い。また流域の気候は熱帯湿潤であるために、岩石の風化速度も格段に速い。その上、比較的均質な泥岩が広く分布する。このような環境下にある河川の地形の形成(変化)過程を解明することは、地形学の課題としても意義がある。そして前述のように、この河川沿いの低平地は、住民の生活の場である。河岸侵食という自然環境の変化に、住民がどのように対応しているかということも興味深い。
以下では、2010年3月と8月に現地調査を行った結果をもとに、現地で観察された河岸侵食の概要と、河岸侵食が引き起こす社会への影響について報告したい。
研究対象地域
ラジャン川は、マレーシア・サラワク州のほぼ中央部に位置する河川総延長760 km、流域面積5万 km2のマレーシア最長・最大の河川である。サラワク州とインドネシアを分けるイラン山脈を源流として、サラワク州内を谷にそって流下し、南シナ海に流れこむ。サラワク州には、南シナ海プレートの運動による南北方向の圧縮をうけ、走向が東西方向の泥岩からなる山地が広がり、地層の走向方向にそって山地が発達している。この河川の流域は、古第三紀の堆積岩から成り、主に泥岩が広がる。ラジャン川は、その大局的な地形にそって河道が延びている。図2はラジャン川の河床縦断形を示したものである。河口から約435 km上流の町Belagaでも河道の標高は55 mほどしかなく、日本の河川に比べて非常に勾配が小さい。最上流部よりKanowitまでは山地の間を流れ、Kanowitからは上流から流れてきた土砂が堆積してできた沖積平野内を流れる。Sibuから下流は、河道は大きく蛇行をする三角州(デルタ)地帯となる。このデルタは、完新世以降に発達した泥炭層をもつ(Gastaldo,2010)。この地域は、熱帯雨林気候に属しており、6月~8月にかけては相対的に降水量が少なくなる一方、12月~1月にかけて降水量が多くなるので、河川の流量に大きな季節変動がある
(図3)。
調査方法
ラジャン川の河道の様子と河岸侵食の実態を把握するために、河口からBelagaまでをエクスプレスボートに乗り、河川の状況(河川の流れ方や河岸侵食の様子)を観察・記録した。ラジャン川流域の地形図・地質図・空中写真・衛星画像を用いての流域の地形分類と、現地での観察結果をあわせて、形態に基づく流路の地形の区分を行った。
河岸侵食の分布(広範囲・長距離にわたる侵食状況)を把握するために、現地観察によって判明した河岸侵食の地点を1:50,000地形図に記録し、GISを用いて侵食地形の分布図を作製した。
河岸侵食の激しい地域や河道の形状が特徴的な区間では、上述の観察のほか、ロングボート(住民が日常的に使う小舟)をチャーターし、より詳細な観測と観察を行った。その中のいくつかの地点では、近隣のロングハウスや小学校等に立ち寄り、住民や教員からの聞き取り調査も実施した。
河岸侵食地形の形態
侵食が数多く起こっていたKanowitからBelagaにかけて、侵食地形の分布と特徴について調査をした。現地観察の結果、KanowitからBelagaまで約265 kmの区間で河岸侵食は225箇所確認された。図4は例として、河口から約165 km上流にあるKanowit近辺での河岸侵食の分布図を示したものである。ここは地質構造に適応した流路の末端部で、下流には沖積平野が広がり始める。図4で示した区間は、観察した約265 kmのうちの20 kmにも満たないが、侵食箇所は合計35箇所も存在する。
現地観察により記載した地形の特徴と分布のパターンを元に、河岸侵食の地形分類を行った。これらの河岸侵食は、Ⅰ:斜面崩壊、Ⅱ:滑走斜面・直線流路の侵食、Ⅲ:攻撃斜面の侵食の3つのタイプに分類できる。以下では、それぞれのタイプについて説明する。
斜面崩壊(Ⅰ)は、尾根がそのまま河岸となっており、その斜面先端部分が崩壊しているものとして分類をした
(写真2)。斜面崩壊のいずれの場所も、砂や泥の堆積物の上に、基盤が崩壊して発生した礫が転がっていた。砂泥の上に礫が乗っている状態のため、足元が不安定で、上まで登るのは困難であった
(写真3)。こうした場所も、もとは植生に覆われた部分である。滑走斜面・直線流路の侵食(Ⅱ)は、水流の影響をそれほど受けない、河川の湾曲部の内側や川が直線的に流れているところでの侵食を指す。もともと緩やかな傾斜の斜面をなす河岸であったところが、侵食作用を受けて、垂直崖へと変化した
(写真4,5)。侵食の考えられる主要因として、乾季と雨季の繰り返しや洪水による著しい水位変動が挙げられる。また、住民の聞き取りから判断すると、エクスプレスボートなどの航走波の影響があるのかもしれない。垂直崖直下の堆積物を観察すると、場所によっては数多くのゴミ(ガラス片、木片、コンクリート片など)が残留しており、これらが、とくに増水時に航走波に乗って河岸を攻撃している可能性も考えられる。多くの住民は、このわずかな河岸段丘上の平坦地で生活をしている。攻撃斜面の侵食(Ⅲ)は、河川が蛇行し、水流の集まる水衝部で侵食が起こっている。ここでの侵食要因は主に、水流による侵食であると推測される。
社会的影響
ラジャン川の中流部から下流部では、侵食の進行によって、河岸のロングハウスや小学校、そして町(ショップハウス)までもが危機にさらされている光景を、いくつも見ることができる
(写真6)。実際に、これまで、いくつものロングハウスが崩落してきたという。河岸に設置された桟橋も、数年ごとに補強したり、作り替えたりしなければならないという
(写真7)。しかし、侵食スピードは、毎年数メートルずつ後退しているという程度であり、建造物崩壊の危機が迫れば、数か月かけてロングハウスを解体し、やや内陸に新たなロングハウスを築くことで、問題は一時的には解消する。ただし、ロングハウスの移築にはコストがかかる。昔ほど後背森林が豊かではないので、建材も町から買ってこなければならない。また、条件の良い川沿いの平坦地(河岸段丘)は、過去100年にわたり華人に買い占められてきたため、新しいロングハウスの移築先を探せない住民も多い。「強欲な華人のせいで、俺たちの生活が危機にさらされている」とまで語る人もいる。つまり、ラジャン川の河岸侵食は、単なる自然災害ではなく、土地権問題や民族間の軋轢にも発展しうる社会問題となりつつある。
まとめ
ラジャン川の河岸侵食の概要と、河岸侵食が引き起こす社会への影響を理解するために、侵食地形の分布図の作成と分類を行い、住民への聞き取りを行った。その結果、ラジャン川の侵食地形は、地形の特徴と分布のパターンから、Ⅰ:斜面崩壊、Ⅱ:滑走斜面・直線流路の侵食、Ⅲ:攻撃斜面の侵食、の3つのタイプに分類できた。そして、現地住民は河岸侵食の影響を被っており、それは民族間の緊張を生み出す要因の一つとして認識することができる。
今後は、ラジャン川の河岸侵食の原因について言及するために、更なるデータの蓄積と分析が望まれる。熱帯の高温多湿という風化速度の速い環境が引き起こした地形変化なのか、それとも現地住民の言うとおり社会変動が引き起こした人的災害なのかを判断すべく、河川地形学的な調査を進めると同時に、社会的な面からラジャン川流域の変化をとらえる必要があるであろう。
参考文献
Gastaldo, R. A. 2010. Peat or no peat: Why do the Rajang and Mahakam Deltas differ? International Journal of Coal Geology 83: 162-172.