油ヤシ・プランテーションにやって来るイノシシ  奥野 克巳

油ヤシ・プランテーションにやって来るイノシシ —ブラガ川上流のプナンの新たな夜の待ち伏せ猟—

奥野克巳 (桜美林大学リベラルアーツ学群)

 ブラガ川上流域には、クニャー人とともに、500人ほどのプナン人(西プナン)が住んでいる。プナンは、サラワク州政府による先住民の定住化政策に応じて、1960年代後半にその地に移り住み、州政府やクニャー人の助けを借りて焼畑稲作を開始した。ところが、今日に至るまで、プナンの稲作の知識と技能は、相対的に低いままにとどまっている。そのため、米の収穫がある年もあれば、管理不足で獣害などをこうむって、収穫がない年もある。ブラガ川上流域のプナンには、2006年と2007年にはほとんど収穫がなかったが、2008年と2009年には、十分とはいえないが収穫があった。それゆえに、彼らの生存経済は、今日でも、狩猟に大きく依存している。彼らは、狩猟によって得た獣肉を自家消費するとともに、猪肉を木材伐採キャンプや近隣のクニャー人たちに販売することで現金を手に入れている。

 ブラガ川上流域のプナンは、イノシシ、サル、シカ、鳥、魚など、全ての動物を食べる。食のタブーは、個人的なものを除いてない。プナンが最も好むのは、イノシシの肉である。
 プナンは、イノシシ猟に関しては、今日、二つのタイプの狩猟を行っている。一つは、朝から日が暮れる前までに、森のなかで行われる旧来型の狩猟である。もう一つは、夜に、油ヤシ・プランテーションで行われる狩猟である。プナンは、古くから、熱帯雨林のなかで、吹き矢や猟犬を用いて、動物の狩猟を行ってきた。加えて、野鶏などを獲るために、罠猟も行ってきた。1960年代になって、ライフル銃が導入されると、ブラガ川上流域のプナンは、ライフル銃を自分たちで作るようになり、銃弾を手に入れて、狩猟をするようになった。今日では、ライフル銃による狩猟が、彼らの狩猟の主流になっている。

 他方で、1980年代になると、ブラガ川上流域の周囲の樹木は、サラワク州政府よりコンセッションを与えられた木材伐採会社によって伐採されるようになった。木々は切り倒され、土地は裸にされた。その後、1997年になると、この地域一帯に、油ヤシの植林計画が導入されている。マレーシア大学サラワク校東アジア研究所のジャイル・ラングッブ氏によると、「油ヤシ計画のもとで、油ヤシのために台地にされた場所とともに、全ての植物が取り除かれることになった」、「その地域は、もともと、プナンが野生動物を狩猟し、サゴや籐を収集するために使っていたが、このようにして、プナンの食糧と現金収入源が減ることになった」 という。森林伐採によって森は裸になり、裸になった台地に油ヤシの木が植えられることにより、動物が寄りつかなくなり、1980年代末から1990年代にかけて、ブラガ川上流域のプナンは、周辺地で狩猟をすることができなくなった。今日、プナンは、狩猟するためには遠くの森に出かけなければならなかったと、その当時のことを回想する。

 ところが、そうした「狩猟の暗黒時代」を経て、2000年代の初めになると、狩猟をめぐって、新たな展開が見られるようになった。油ヤシの木が大きな実をつけるようになると、イノシシや他の小動物(ヤマアラシなど)が、油ヤシの実を食べに来るようになった。そうした動物は、夕方から朝方にかけて、油ヤシの実を食べにやってくるということに、プナン人たちは気づいたのである。そのようにして、夜中に、油ヤシのプランテーションで、イノシシがやって来るのを待ち伏せるタイプの狩猟が行われるようになった。油ヤシ・プランテーションにおける狩猟とは、油ヤシの実を食べにやって来るイノシシを待ち伏せて、銃撃するというものである。
イノシシの足跡を確認する
 日暮れ前に、プナンのハンターは、単独または複数で、通常は、木材会社の車の荷台に載せてもらって、油ヤシのプランテーションに入る。すぐさま、彼らは、イノシシの足跡を確認する作業を開始する。それらの足跡が古いものか、真新しいものかを見きわめて、昨夜か、その日の朝についたと思われる真新しい足跡がある場所を探し出して、油ヤシの実を食べにやって来ると予想される通り道に、待ち伏せるための場所を設ける。時には、樹上で、場合によっては、地面の上で、イノシシがやって来るのを待つのである。

 ハンターは、暗闇のなかで、まんじりともせず、藪のなかから現われるイノシシをひたすら待つ。イノシシが近づく物音、イノシシの鳴き声を聞き漏らさないようにしながら、他方で、イノシシが逃げてしまわないように、できるだけ物音を立てないようにし、さらには、人の匂いが漂わないように注意を払う。プナンは、イノシシが、聴覚と嗅覚に敏感であることをよく知っている。
煙草を吸いながら待ち伏せするハンター
 わたしの記録によれば、2006年10月1日から11月24日にかけて、ブラガ川上流域の3キロ四方の油ヤシ・プランテーションでは、計11回の猟が行われ、9頭のイノシシがしとめられた。猪肉は、頭と内臓肉を除いて、キロあたり4~10リンギット(1リンギット=約30円)で、木材伐採キャンプに持ち込まれて売られるか、クニャー人の雑貨店に売られて、現金に換えられた。現金は、つねに、狩猟に参加したメンバーで、均等に分けられる。わたしが知る限り、ブラガ川上流域のプナンが、森のなかで獲れたイノシシと油ヤシ・プランテーションで獲れたイノシシの肉の味を比べることはない。彼らは、昼間、森のなかにいるイノシシが、夜になると餌を求めて、油ヤシ・プランテーションにやって来るのだと考えている。森で獲れても、油ヤシ・プランテーションで獲れても、それは同じイノシシで、味に違いはないとプナンは考えている。

 プナン人は、イノシシが、油ヤシ・プランテーションにどういった周期でやって来るのかについてほとんど知らない。彼らは、プランテーションのインドネシア人労働者たちに、イノシシの足跡があるかどうかについて情報を仕入れたり、油ヤシのプランテーション内でイノシシが獲れたという、別のハンターからの情報を耳にしたりして、油ヤシ・プランテーションに入って、猟をするようになる。プランテーション会社の作業者が除草剤を撒くと、しばらくの間、イノシシは油ヤシの木に近づかない。
 
 2008年の8月に、シングー川流域のプナンの居住地を訪ねたことがある。そこでは、現在、急ピッチで木材伐採が行われ、あたりは禿山になっている一方で、少しずつ油ヤシが植樹されているところだった。ブラガ川流域に比べると、油ヤシの木はどれも低木だった。シングー川流域のプナン人たちは、油ヤシ・プランテーションでの狩猟を行っていなかった。彼らは、周辺地の樹木が切り倒されて、周辺にイノシシがいなくなって、遠くにまで猟に行かなければならないことを嘆いていた。それは、1990年代のブラガ川流域のプナン人たちの経験と同じものではないかと思われる。

 油ヤシ・プランテーションでの狩猟が行われるのは、油ヤシの実が、十分に熟して、イノシシの食に適しているかどうかによる。また、イノシシは、油ヤシの木を登って実をむしりとったり、落ちた実を拾って食べたりするのだと考えられるが、油ヤシの木が大きく成長して、油ヤシの実が高い場所につくようになった場合、イノシシは、はたしてそれを取ることができるのか、イノシシはやって来るのか、また、そうなった場合、イノシシがどのような行動をとるのか、ブラガ川上流域の事例だけからは、はっきりということはできない。

 油ヤシ・プランテーションにおける狩猟は、プナンやその他の先住民にとって、現在のところ、狩猟の新たな展開であるということができるかもしれない。しかし、それが、プランテーション企業によって、自然を改変して作られたものである以上、猟場として、今後、どのようになるのかについては、はっきりしたことはいえない。

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