内陸先住民による小農的オイルパーム生産 加藤 裕美 祖田 亮次

内陸先住民による小農的オイルパーム生産

加藤 裕美(総合地球環境学研究所)
祖田 亮次(大阪市立大学)

 マレーシア・サラワク州における近年のオイルパーム生産の伸び率は目を見張るものがある。1990年代には十数ヘクタールだった栽培面積が、2004年には50万ヘクタールを超え、2010年には92万ヘクタールに至っている(図1)

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図1 サラワクにおけるオイルパーム植栽面積拡大の推移(1991~2009)(ヘクタール)
出典:Yearbook of Statistics Sarawak各年版、Malaysian Palm Oil Statistics 2007, 2010

 オイルパーム・プランテーションは、一般に、既存の森林(その多くは二次林やゴム林)を数千~数万ヘクタールにわたって皆伐したうえで新たに植栽することから、劇的な景観変化による生態系の破壊や土壌の流出、あるいは、大量の農薬や肥料の投与がもたらす河川の水質汚濁など、さまざまな問題が指摘されてきた。また、先住民との土地闘争も多くの議論を喚起してきた。
 一部では、かつての木材伐採を凌ぐほどの環境破壊や社会的コンフリクトの元凶として捉えられてきたオイルパームであるが、近年では、サラワク州内にもRSPO(Roundtable for Sustainable Palm Oil)認証を取得する企業が現れ、場所によっては、内陸先住民も自分たちの先住慣習地(NCR)に積極的にオイルパームを植え始めている。図1の栽培面積の推移を見ても、2000年代中ごろまでは民間企業によるプランテーションの拡大を中心にした伸びであったのに対し、近年は小農によるオイルパーム生産も増加しつつあることが分かる。しかし、これまで、サラワクにおけるオイルパーム小農栽培についての報告はごくわずかなものに限られており、その実態は十分に把握できていない。本稿は、2011年8月にTubau周辺のロングハウス住民を対象に行った、オイルパーム小農経営に関するパイロット調査の報告第一弾である。
 私たちは、長いあいだサラワクに通い続けているが、ほんの5~6年前までは、オイルパームは先住民にとってネガティブな影響しか与えないのではないかと感じていた。2000年代初頭においても、一部の村でオイルパームの栽培を始めた人々もいたが、先住民が見よう見まねで作るオイルパームの実を、企業の搾油工場が購入してくれるのかどうかも、その時点では誰も確証を持てずにいた。ところが、ここ数年で内陸の先住民社会にもオイルパームが浸透し、道路が通じているところでは、ほとんどブームとでもいうべきほどに現地住民がこぞってオイルパームを植え始めている。
 たとえば、プランテーション会社であるKeresa社の搾油工場を訪問したときも、周辺ロングハウスからやってきたと思われるローリーやピックアップ・トラックがひっきりなしにオイルパームの実を運び込んでおり、なかには乗用車の後部座席にオイルパームを満載にして売りに来ている者もいた(写真1)
写真1  後部座席にオイルパームを積んだ車 搾油工場の入り口で重量を量って窓口に書類を提出する。 / Photo1 A car with full of oil palm fruit in the back: the weight of the car will be measured at the gate of the oil mill for the documentation.
 しかし、彼/彼女らはいったいどのようにしてオイルパームを育て収穫しているのか、集荷や輸送のシステムはどうなっているのか、そもそも生産者たちは採算が取れているのかなど、基本的なことが分かっていないため、疑問は尽きない。
 今回の調査では、こうした基本的な部分に関する情報を、いくつかのロングハウスから収集した。訪問したロングハウスは、Keresa社のプランテーション・サイトに隣接して存在するRumah MajangとRumah Anchai、BintuluからTubauへ向かう舗装道路(Bakun Road)沿いに位置するRumah Nuga(以上、いずれもイバン)、そして同じくBakun Road沿いにあり、Tubauの町に程近いRumah Wan(カヤン)である。また、甲山氏らが水位計などを設置している、Tubauよりやや下流の個人宅(イバン)でもオイルパームの栽培を行っているので、彼からも小農生産に関する貴重な情報を得ることができた(図2)
 訪問したいくつかのロングハウスでは、オイルパームを初めて植えた時期や植栽面積、輸送システム、販売先などの面で、いくつかの顕著な違いがあった。各ロングハウスにおけるオイルパーム生産の傾向はおおよそ以下の通りであった。
図2 調査地概要 / Fig.2  Research region
図2 調査地概要

Rumah Majang(26戸)
 このロングハウスでは、8年ほど前からオイルパームを植え始めたという。当時はDatuk Linggi(Keresa社社長)が無料で苗木を分け与えてくれた。植えた本数は世帯によって異なっていたが、各世帯500~1,000本くらいだった。村長自身は最初に700本植えて、その後も追加植栽していき、現在では2,000本ほどになっている。3年ほど前から、MPOB(Malaysian Palm Oil Board)で購入した種を自分で育てて移植するようにしている人が多い(写真2)
 この村で収穫したオイルパームは、すべてKeresaの工場に売却している。村長のように2,000本ほどのオイルパームを植えている世帯は1ヶ月に2回ほど収穫を行い、それぞれ6トン前後、1ヶ月に12トン前後の収量を得る。ローリーで運べる量は3トン前後なので、1回の収穫につき、搾油工場まで(1時間弱)2往復することになる。収穫の際に労働者を雇用することもあるが、現在のところはすべて村内で調達している。また、複数の世帯がゴトンロヨン(共同作業)で同時に収穫作業を行い、相互に助け合うこともあるという。
 この村には6台のローリー保有者がいて、それぞれ自分の収穫物を1ヶ月に2~3回程度運ぶ以外は、ローリーを持たない村人の収穫物の運搬に利用している。輸送費は1トンにつき30RMが相場のようである。また、これとは別に運転手の労賃が20RMかかる。現在ではほぼ全世帯が収穫を得ており、そのすべてをKeresaの工場に運んでいるが(ほとんどの世帯がオイルパーム売却用ライセンスを保有)、近隣にSOP(Sarawak Oil Palms)社が搾油工場の建設を進めつつあるようで、その工場ができれば売却先を考え直すかもしれないということであった。
 Rumah Majangが他のロングハウスと異なるのは、Keresa社からの協力態勢の強さである。このロングハウスでは、Keresa社のグループ・スキームの一環として全10回の研修を受けている。また、これまでもRSPO認証の研修を受けており、2010年に小農として認証を受けている。研修にはロングハウスの全世帯が参加し、村全体でオイルパーム栽培に向けて活気づいている印象を受けた。研修の修了証をみせる村人の顔も誇らしげである。
写真2 ロングハウスの裏で育てているオイルパームの苗(Rumah Majang)いくつかのプラスチック・バックは発芽していない。苗の育て方としてやや雑であるという印象を受けた。 / Photo2  Oil palm seedlings at longhouse (Rumah Majang): not all seeds successfully come out. 写真3 小農に与えられたRSPO認証(Rumah Majang) ロングハウスの廊下に掲げられていた。 / Photo3  (Rumah Majang) RSPO certification displayed on the wall of a longhouse.
Rumah Anchai(19戸)
 このロングハウスもKeresa社のプランテーション・サイトに隣接するイバンの村だが、Rumah Majangよりも栽培開始は遅く、3~4年前に始めたばかりだという。彼/彼女らの多くは、ミリ‐ビントゥル道路沿いのBatu 14にあるカヤンの種苗業者からオイルパームの苗を購入して植えているという。少なくとも村長は、種から育てたことはないとのことであった。
 この村では、昨年からようやく一部の世帯で収穫が始まったばかりである。村長のAnchai氏は、2,000本ほどのオイルパームを植えており、先述のMajang氏と同様、1ヶ月の収穫は12トン程度になるという。他の世帯は、200~300本のところもあれば、600~700本のところもあり、ばらつきは大きいが、現在では全世帯がオイルパームを植えている。多くの人が言っていたのは、1ヶ月に1~2トンの収穫があれば十分に生活していけるということであった。
 この村にはローリーは1台しかないが、まだどの世帯も収穫量がそれほど多くないので1台のみで輸送需要はまかなうことができる。Keresaの搾油工場に果実を売るためのライセンスは、輸送用ローリーを保有している村長しか持っていないが、他の世帯の人たちは、その村長のライセンスとローリーを利用してKeresaの工場に果実を売却している。輸送費はRumah Majangと同じく1トンにつき30RMかかるとのことであった。
 村の領域までKeresaが入ってきてオイルパームを植えるということもあったが、特に問題となってはいない。先住慣習地1ヘクタールにつき700RM(約2万円)の賠償金が支払われ、それでおおよそ解決してきたようである。こうした点は、先述のRumah Majangでも同様であるが、Rumah Majangの領域では、Sarawak Planted Forest 社のアカシア植林によっても先住慣習地の一部が侵犯されており、そちらに関しては、住民曰く「勝手に測量して勝手に木を植えている」とのことで、住民感情を大きく害しているようであった。
 Rumah Anchaiは、Rumah MajangとおなじくKeresaプランテーションに隣接する村であるにもかかわらず、Keresa社からの支援はあまり受けていない。栽培開始も遅く、収穫のある世帯もまだ少ない。苗もKeresa社以外から購入していた。そして、Keresa社の研修にも一度も呼ばれたことはないという。Rumah MajangとRumah AnchaiではKeresa社との関係に差があるという印象を受けた。Keresa社がいう周辺の村への補助というものは、今のところRumah Majangに限られるものかもしれない。
写真4 Rumah Anchaiで聞き取り調査をする加藤 / Photo4  Ms. Kato making an interview with the resident of the longhouse of  Rumah Anchai.
Rumah Nuga(23世帯)
 Rumah Nugaは、Bakun Road沿いに立地しており、Tubau周辺のイバンの中でも比較的早い段階でオイルパームを植えていた。村長の記憶は明瞭ではないが、2002年ごろに植え始めたようである。各世帯の植栽時期はさまざまで、まだ結実に至っていない世帯もあるが、ほとんどの世帯が300~1,000本のオイルパームを植えているという。村長の畑は700本で、結実しているのは500本とのことであった。
 苗の購入先は、民間の種苗業者や農業局など、各世帯によって異なるようで、また、収穫した実を売る場所も、人によってさまざまであるが、Keresa社の工場ができてからは、距離的な近さと値段を考慮して、そちらに売ることが多くなったようである。村長は1ヶ月に2回、1回につき3トン~6トンを収穫し、売っている。
 この村にある果実運搬用のローリーは、村長が保有する1台のみである。実は、石川・星川・祖田は2008年8月にもこの村を訪問しており、ちょうどその日に村長のローリーが納品されたという経緯がある。その当時の村長は、これから村人たちもオイルパームを作るようになるから、それをローリーで運搬して小遣い稼ぎをするんだ、と話していた。しかしながら、当ては外れたようである。というのも、各世帯がそれぞれ個別に運ぶようになったからである。
 村長以外の村人たちは、現在はまだ収穫量が少ないのでHiluxやその他の小型乗用車でも十分運べるという。2008年に訪問した時は村に数台しかなかった乗用車も、いまでは9台に増えており、ここ数年のオイルパーム景気を感じさせる。また、車を持たない世帯も、収穫できそうな時期になるとBintuluの町で仕事をしている息子を呼んで、息子の車で実を運ばせたりしているという。かなり個人主義的な小農経営を行っているロングハウスといえるだろう。
写真5 Rumah Nugaで聞き取り調査をする祖田 / Photo5  Prof. Soda making interviews at the longhouse in Rumah Nuga.
Rumah Wan(75戸)
 この村の人たちは4~5年ほど前にオイルパームを植え始めた。村人によると、このあたりのカヤンはすでにほぼすべての世帯がオイルパームを植えているというが、Rumah Wanではまだ収穫にまで至っていない世帯が多く、プンフルをはじめとする5~6世帯が昨年あたりから実を売り始めたという状況である。多くの人は、種から育てることはせずに、華人から苗を買ってきて植えたという。
 車を持たない世帯が実を運搬するときは、他人から車を借りたりすることもある。現在、村に4台あるHilux(約700kg積載可能)を借りて、Keresaの工場まで1往復するとおよそ80RMかかる。工場の近くにあるRumah MajangやRumah Anchaiからの輸送費(ローリーに積載して1トンあたり30RM)に比べると、かなり割高になるが、工場までの距離が長い(往復約15km)ためであろう。このほか、この村から婚出した先の華人商人に頼んでローリーを出してもらうこともあるという。
 ここでもオイルパーム熱は高まっているようで、普段は伐採会社で働いているが、たまたま村に帰ってきていた青年は、「あと5年もすれば、周辺はどこもオイルパームになるだろう。私もオイルパームを十分な数だけ植えたら、伐採キャンプでの仕事を辞めて戻ってくるつもりである」と語っていた。
 Rumah Wanで印象的だったのは、プンフルの弟が大規模なオイルパーム園を作ろうとしていたことであった(写真4)。彼の計画では、およそ100ヘクタールの先住慣習地にオイルパームを植える予定だという。実際にその現場を見せてもらったが、現在はようやく5ヘクタールほど開き、苗木を植え始めた段階であった。資金は、AgroBankから数百万RMを借りるつもりでいて、現時点で既に約60,000RMを借りている。最近は肥料代が高くついて困っているという。
 開発予定の100ヘクタールの土地は、プンフルの父の土地のほか、一部は村人の土地も使うというが、ゴムが植えられているところは避けて、基本的には二次林を開く予定である。伐採と整地はインドネシア人労働者を雇用しているほか、道路やテラスの整備は業者に委託して重機を使用している。たとえば、テラス作りのためにショベルカーを使った場合、作業量によって支払いは異なるが、平均すれば1日当たりおよそ1,000RM(約3万円)かかるという。
 このような、小農の規模を越えるほどの投資と開発は、階級・階層的な社会構造を持つカヤンの富裕層であるからこそ可能なのかもしれない。その意味では、近隣のイバンの小農的オイルパーム生産とは、今後、大きく異なる様相を呈する可能性もある。
写真6 Rumah Wan近くのオイルパーム園
背後の二次林も近い将来に伐採されオイルパーム園に転換される予定である。 / Photo6  An oil palm plantation near Rumah Wan: the secondary forest behind is going to  be turned into another oil palm plantation in the near future.
 以上、4つのロングハウスでの聞き取りから得られた情報を簡単に記載した。今回は限られた時間内に、ごく簡単なインタビューと視察を行っただけであるが、オイルパーム小農のバリエーションをおおよそ知ることができた。
 オイルパームを植えている人の多くは、本人や家族がプランテーション会社での就労経験を持っていたり、会社に知り合いがいたりして、見よう見まねで植えて、人づてに栽培技術を学んでいるが、会社が推奨する施肥の方法や植栽スペースの取り方などについては、それぞれが独自の方法を試みていることも分かった。
 現時点で言えることは、多くの人々がオイルパームで経済的に潤いつつあり、将来的にもかなり大きな期待を抱いているということである。調査当時のオイルパームの買い取り価格は630RM/ton(グレードA)だったので、Rumah MajangやRumah Anchaiの村長のように、2,000本のオイルパームを植えており、1ヶ月に12トンの生産量がある場合、単純に計算すれば1ヶ月7,500RM(約20万円)の粗収入となる。これは、私たちが予想していた以上の金額であり、種・苗の購入費、肥料代、農薬代、ガソリン代、労働者雇用費など諸経費を差し引いたとしても、先住慣習地と世帯内労働力を十分に持っている場合には、かなり魅力的な生業になることが理解できる。
 一方、Lahap氏やNuga氏からの聞き取りによると、収穫した果実をどの工場にどういったタイミングで売るのかも、非常に重要になるようである。現金で購入してくれるところや、後から銀行に振り込まれるところがあり、それぞれで買い取り価格が異なっている。また、小農から積極的に直接購入している工場もあれば、工場を持たずに小農から大規模工場へ流すための仲買を行う業者などもいて、生産現場から搾油工場までの流通経路だけでもかなり複雑であることが分かった。
 ここでは詳述できなかったが、コメやゴム、コショウなど、従来からあった自給・商品作物に対する態度の変化も、各ロングハウス・個人によってさまざまで、生業のポートフォリオのなかにオイルパームがどのように位置づけられているのかという点についても、より詳細な調査が必要になるであろう。

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