第66回 民族自然誌研究会 報告

第66回「民族自然誌研究会」 例会レポート

2012年4月21日 京都大学 総合研究2号館
テーマ【ボルネオのヒゲイノシシ、動物と人々】
当プロジェクトのメンバー、小泉 都さんによるレポートを掲載いたします。
詳細に関してはこちらも是非ご参照ください。

鮫島弘光氏(京都大学東南アジア研究所)
「ボルネオの一斉開花とヒゲイノシシ」は、マレーシアのサバ州デラマコット・タンクラップ森林管理区(木材生産林)において持続的森林管理の一環として実施している自動撮影カメラによる哺乳類の広域モニタリングの結果を利用して、ヒゲイノシシの個体群動態について分かってきたことを発表した。
 827 km2 の区域のなかに広く設定した10プロットにおいて、一斉結実期にヒゲイノシシの撮影頻度が増加したプロットと増加しなかったプロットが存在した。増加したプロットにおいても、増加の時期には3-4カ月程度のずれがみられた。さらに、非一斉結実期においても、ヒゲイノシシの多く存在するプロットは変化し続けていた。鮫島氏は、一斉結実後のイノシシの爆発的増加は、結実期と繁殖サイクルが偶然にうまく重なった個体群が増加し、その後果実を求めて遊動することによって起こるという仮説を持っている。
 また、鮫島氏のそもそもの研究課題であるボルネオにおける木材伐採の現状について、低インパクト伐採や長輪伐期の導入により、天然林の持続的森林管理が可能となっていることを説明した。持続的森林管理を導入し森林認証を取得している3つの伐採コンセッションでは、動物の広域調査・評価から、哺乳類の相対密度や多様性が伐採後も維持ないしは速やかに回復することが裏付けられた。

加藤 裕美氏(総合地球環境学研究所)
「食からみるボルネオの人と動物―禁猟政策と人々の狩猟規制―」は、マレーシアのサラワク州での調査から、1998年以降にとられた持続的森林管理の観点による禁猟政策と、狩猟採集民の定住村における狩猟や食卓の現状との整合性・食い違いを論じた。
 狩猟は食べるための動物を対象とし、銃猟を中心とした様々な猟法で、村から10数キロの範囲で行う。獲物はヒゲイノシシ(個体数の約7割)、スイロクジカ(1割)などである。食事において、狩猟で得られた哺乳類は魚についでよく利用される動物性食物となっている。家畜は食べものとみなされていない。
 健康のために(一時的に)実施されるlalikという食物規制がある。人々は動物を食べた後の体調の変化に敏感で、幼少期・産前産後・老齢期に特定の動物を避けたり、以前食した後に体調に問題が出た動物を避けたりする。めずらしい動物も避けられる。永久的な食物規制utamをもつ個人も存在する。夢に現れた動物を禁忌動物とすることで、その動物の霊から特別な力が得られるという。一方、規制を破ると、病気になり死に至るとされる。  めずらしい動物は食べないなど結果的に禁猟政策と食物規制が一致する部分もあるが、食物規制の背景にある世界観は動物が人間の健康、才能、生死を司るというもので、禁猟政策の目的を達成しようという考え方によるものではない。

奥野 克巳氏(桜美林大学)
「プナンのイノシシ猟―人、動物、カミの交渉―」は、加藤氏に続きマレーシアのサラワク州を舞台に、動物と同時にカミと駆け引きしながら猟を行う狩猟採集民プナンの世界観を論じた。
 奥野氏はまず、ヒゲイノシシ狩猟の様子を語った。ハンターは足跡を読み取り、目と耳を頼りに獲物を探し、獲物に気づかれないよう、物音を立てないように、風上に立たないように気をつけながら、獲物を追い詰める。
 プナンは子どもがしとめられた動物と戯れることを諌める。そのような「まちがったふるまい」に怒った動物の魂が、雷のカミに怒りを届け、天候激変が引き起されると考えるからである。獲物について話すときは、普段使う名称とは別の表現(別名)を用いるが、これも動物の魂ひいては雷のカミを怒らせないためだ。一方で、狩猟で獲物がなかったときには、(それを人びとに知らせるように)動物に対する怒りの言葉を発しながら狩猟キャンプ等へ戻る。目の前に動物がいないので、「まちがったふるまい」をしながら動物に対する怒りを表現する。
 狩猟には、食料を得るために身体能力を駆使して行うという実用的な側面がある。ただしそれだけでは、狩猟ひいては人と動物の駆け引きを理解したことにはならない。プナンは、人と動物とカミが混然一体となった世界を生きている。



 総合討論は、台湾などのイノシシ猟やブタ飼育を研究しているコメンテーターの野林厚志氏(国立民族学博物館)からの発表者への質問で幕を上げた。
 野林―イノシシ(Sus scrofa)は堅果類と生態的な関わりが強く、年一回繁殖する。ドングリの不作は繁殖率や個体の生命維持に影響をあたえることが知られている。ヒゲイノシシの繁殖率が一斉結実に対応して上昇するのはちょうど逆になっているように思える。ヒゲイノシシの普段の繁殖サイクルはどうなっているのか?他の動物は?
 鮫島―ヒゲイノシシも他の動物も一斉結実と関係なく交尾している。ヒゲイノシシは、(栄養状態が良くないと)流産しているのではないか。一斉結実期にとくに増えるのはヒゲイノシシだけ。
 野林―地元の人は結実などから、ヒゲイノシシの増加を予想するのか? 猟の方法を変えるのか?
 鮫島―ヒゲイノシシは増えると川を渡ることもある。地元の人はその場所をよく知っており、ボートで待ち伏せ猟をする。
 加藤―どの木が開花・結実しているかよく知っており、それに合わせて狩猟場所を決めている。果物の季節に他所で働いている人が村に戻って狩猟することもある。
 野林―肉と非肉の区別。魚は肉? 食あたりによる食物規制は個人的なことなのか、継承されるものなのか? 客家は生殖に関わった個体は食べないが、ここではどうか? 
 加藤―調査地では、食べ物は動物性と植物性でまず区別され、動物性はさらに「大きなおかず」とそれ以外に分けられる。獣肉は「大きなおかず」だが、魚はこれに入らない。食あたりは個人的なことではあるけれど、動物の魂が人間の魂にいたずらしたためと解釈される。その考え方は集団によって継承されている。規制対象自体が家族で共有されることもある。繁殖期のヒゲイノシシは、オスがメスに噛みつきメスが叫ぶため居場所が分かり、警戒心も弱まるため、狩猟しやすいと言われている。しかし、くさいので食べないし、基本的に狩猟もしない。ただし、町の華人の注文により獲ることもある。
 野林―プナンにとって人間と動物は本当に平等な存在なのか?(文化的な慣行―ここでは狩猟を尊重する)文化相対主義に対して、生命の存続という視点から狩猟はよくないという反駁がある。奥野氏の議論は、(肉食を否定する)人間と動物もふくめた「他者」は対等であるという、観点主義(の現代的解釈)に繋がってしまわないか?
 奥野―観点主義は、「視点」を持つものすべてを主体とするアメリカ先住民の世界観を指すものとして出てきた。そのことを示すことによって、動物を人間から切り離して捉える(西洋的)見方を乗り越えたのは、大きな問題提起だと思う。プナンの世界観について、人以外のものも精神を持っているというアミニズム的な認識をしているという段階にとどまらず、人間と動物という切り分け自体がないようにみえる彼らの存在論に迫りたい。

 鮫島氏に対しては、日本のイノシシを研究しているフロアの仲谷淳氏から、流産より生まれた後で死んでいる可能性もある、写真の詳しい解析から繁殖期をより正確に把握したり、テレメで移動を把握したりできるのではないかなどのコメントもあった。また、加藤氏・奥野氏に対しては、イノシシの生態や日本の狩猟の方法や規則の説明に加えて、野生動物管理を考える上で住民の思想は非常に参考になるというコメントを頂いた。

小泉都(京都大学農学研究科)

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