ロングハウスからビントゥルへ移住してきた人々の暮らし

ロングハウスからビントゥルへ移住してきた人々の暮らし

市川 昌広 (高知大学 農学部)


 サラワクでは、農山村のロングハウスから都市へ人々の移住が進んでいる。ロングハウスには、高齢者ばかり目につくようになり、だれも住まない空室が増えている。都市へ移住した人々は、どこでどのように暮らしているのか。2013年11月16日~21日の間、ビントゥルとその郊外を調査した。
 ビントゥルには、1970年代後半より液化天然ガス(LNG)の生産が本格化し、近年ではビントゥルから北へ約50kmのスミラジャウに工業地区が造成され、それらでの雇用がサラワク全域から人々を吸引している。仕事はあるが、そこでの生活コストは上昇しており、特に住まいの問題は移住者にとって大きい。
 移住者たちはどのように住居のコストを抑えようとしているのか。いくつかの例を紹介する。

町中に住む
 ビントゥルへ仕事を求めて出てきた若者は、最初は先行して出てきた家族や親戚の家に転がり込む、あるいは家を借りるなどが多いだろう。家族4、5人程が住めるところは町中では安くて月に400~500リンギしてしまう。親戚の家がない場合は、スクウォッターに住む者も多い。

 町中のスクウォッター(写真1-3):ビントゥル開発公社(BDA)や土地測量局の認識では町中のスクウォッターは12地区ある。人口は2012年の土地測量局の調査で計2000人弱いるという。その中でも大きいスクウォッターは北部のキドゥロン道路沿いに点在している。当地は町の中心からは離れスクウォッターを形成できる土地があったことに加え、仕事場のLNG工場に近いことが大きなスクウォッターが形成された理由だろうと考えられる。実際、現在でも多くの者がLNG関連の仕事についている。家は自分で建てたという者もいれば、前居住者が建てた家を買ったという者もいる。今回は聞かれなかったが、賃借している者もいるようである。水道電気は通ってないが、スバタン地区では一部でパイプが敷設されていた。スクウォッターでは特に強い住民組織は無いようだ。「地区長(kutua)がいる」という者もいれば、「以前はいたが、今はいない」あるいは「いない」など、答えは一定していない。
写真1: ビントゥル北部のスクウォッター(山菜とり、ここはロングハウスみたいで住みやすいという) / Photo1: Squatter area in the northern part of Bintulu_A man collecting wild edible plants in the area, for him the living in this area is comfortable as it reminds him the life in longhouse 写真2: ビントゥル最大のスバタンのスクウォッター / Photo2: Sbatan, the largest squatter area in Bintulu 写真3: Sg. Planのスクウォッターの裏には商業地区開発が迫る / Photo3: Urban development is underway in the area of Sg. Plan squatter
 北部のスクウォッターの現在の問題は、商業地区やパーム油施設などの建設が近くまで迫っており(写真3)、近日中に立ち退かなければならないことだ。空港近くに住宅開発公社(HDC:Housing Development Corporation)が高層団地を用意している(写真4)。家賃は150リンギ/月と格安である。問題は仕事場に遠くなることと、子どもの学校を転校させなければならないことである。当初の話では、2013年3月に立ち退きのはずだったが遅れているという。だが2013年中には立ち退きになるのではないかと住民は言っている。政府からの立ち退きの命令に対して反対はしないのかと問うと、そのような行動は全くとらないという。ここに住んだ時点から、その行為は違法であると認識しており、立ち退きの命令には従うしかないと考えているようだ。
写真4: スクウォッター住民が転居予定の空港近くのフラット
家賃150リンギ/月_1000戸近くある / Photo4: The residents of squatter going to move into this apartment complex near airport which has nearly 1000 unit_150 ringgit a month
 ロング貸ハウス:ビントゥル北部で華人が経営する貸家群をみた(写真5)。よく工事現場で目にする飯場のような安普請のベニヤによるロングハウス型である。10年ほど以前に建設され40戸程ある。家賃は250リンギ/月である。
写真5: 華人が経営する貸家、家賃250リンギ/月 / Photo5: A rent house owned by an ehnic Chinese_250 ringgit a month
 低価格家屋(low cost housing):収入が低い人々に低価格で配給している建売り家屋がある。BDAで聞いたところでは、大きくは3つほどに分けられるようだ。ひとつはBDAが建設するRPR(Ranchangan Permahan Rakyat)事業、2つめが住宅開発公社の事業、3つ目が民間の開発企業がある一定規模以上の住宅開発の場合は、敷地の10%を低価格住宅にするというものだ。家の形としてはテラスハウスや4、5階建以上のフラットがある。ビントゥルにおけるRPRはこれまで1986年より、キドロン地区に4フェーズ、シビウに1フェーズ実施されている(写真6)。価格は2006年において68千~60千リンギットである。上記の空港近くのフラットは、住宅開発公社が開発したもので1000戸近くあるという(写真4)。
写真6: キドロン地区の低価格家屋(テラスハウス型) / Photo6: Terrace houses of lower price range at Kidurong area
 再定住スキム:宅地だけを売るスキムである(写真7)。ビントゥルにはBDAにより5ヶ所で約1200ロットが売りに出されている。スクウォッターに住んでいる人々も購入している人がいる。話を聞くと、近く(Sg Plan)の宅地を14,600リンギで買ったが、湿地であるためトラック200台分(100t/台)の土を入れないと家が建てられないという。
写真7: Sp.Planの再定住スキム。宅地販売で15,000リンギ/ロットと安いが、湿地なので土を入れないといけない / Photo7: Resettlement scheme at Sg. Plan_those regidential lots sold 15,000// / lot but wetland soil require additional landfill
郊外に住む
 ビントゥル郊外とは、ビントゥルの町中を出て、例えばミリ・ビントゥル道沿いでは10~20kmあたりである。先住民ばかりでなく中国人企業も点在する。
 郊外のスクウォッター:町中のスクウォッター(urban squatter)に対して、郊外のスクウォッター(rural squatterと土地測量局の方は言っていた)というのもあるようだ。土地測量局はそのうちの一箇所について調査したことがあり、家の分布図を見せていただいた。今回その場所に行ったところ、すでに商業・住宅地区の開発が進んでおり、スクウォッターはなくなっていた。このように開発は急速に進んで土地利用の変化は激しい(写真8)。
写真8: 土地測量局でルーラルスクウォッターがあるといわれた場所_
行ってみるとすでに商業・住宅地区に開発されていた / Photo8: The source of Land Survey Bureau indicates that this is rural squatter area but it has already  turned into commercial and residential zones
 寄せ集まりロングハウスに住む:タタウ川河口への道沿いには17のロングハウスがある。最もビントゥルに近いロングハウス(Rm. Kendawan、35戸、写真9)には、出生地が異なる者たちが集まっている。もともとは、1970年代前半より近隣の木材伐採が始まり、その伐採労働者がロングハウスを形成した。道ができたのは7~8年前だが、それ以前でもビントゥルへは海をボートで30分、海沿いの道を徒歩1.5時間で至れた。サラワク各地からのイバンに加えて、トゥバウ川上流の3つのロングハウス出身のカヤン人9戸が居住している。ここのロングハウス長(イバン人)は、県(daera)の役所ではすでに正式に認められた長であるということで、Kp. Jepackの土地を買ってロングハウスを作っているとのことであった。しかし、土地測量局によれば、彼らは州有地に不法占拠して問題になっていると聞いた。
写真9: 寄せ集まりロングハウスRm.Kendawang(35戸)。
様々な地域出身のイバン人が主でカヤン人が9戸。1970年代前半からの木材伐採の労働者が形成した。/ Photo9: A longhouse (Iban and Kayan) at Rm.Kendawang with 35 households_the loggers formed the facility in the early 1970s
 ロングハウスに住む:上のRm. Kendawan以外のタタウ川河口道路沿いの16のロングハウスは、地元(主にulu tatau)出身のイバンによるものだという。ひとつのロングハウス(Rm. Suring 17戸、写真10)で話を聞くと確かにタタウ川上流からのイバンが10戸と中心となっているが、夫婦ともにムカやビントゥル省の他河川からきている者も7戸ある。親戚関係が相当薄い家族が入っている可能性があるのではなかろうか。ここを含め、近隣のロングハウスのほとんどの世帯が野菜畑を有しており、生産物をビントゥルで売っている。
写真10: タタウ川河口への道沿いのロングハウス_
タタウ川上流からのイバンが主だが、他地域出身のイバンも混じる / Photo10: A longhouse along the roadside to the mouth of Tatau River_many residents are Iban people from the upstream of the river and other areas
 土地を買って住む:ミリ・ビントゥル道路のロングハウス(Rm. Jacksonイバン人)で話を聞くと、そこは以前プナン人の土地であり1970年ぐらいに土地を彼らから買って家をたてている。ビントゥルあるいはその郊外で仕事をしている人が多いようだ。話を聞いた家では、アブラヤシ園を3か所(3000本)有しており、その経営から収入を得ているという。そのプナン人が集住しているのがKp. Penan Melayu Batu 10である(写真11)。そこには、集落の脇に宅地を販売しており、イバンが購入し、家を建てて住んでいる。2003年には3戸だったが、現在では建設中を含めると27戸あるという。村長は決まっており、現在、政府にKp. Dayak Ibanという集落名で申請中だという。
写真11: ミリ・ビントゥル道路沿いのKp.Penan Melayu Batu 10_
集落脇に宅地を販売しており、イバンが購入し家を建てている / Photo11: Kp.Penan Melayu Batu 10,  alongMiri-Bintulu road_Iban people purchase housing land near this community and build their houses
 森を開き住む:ビントゥルから10km余りのところにあるRm. Banyan(30戸)、Rm. Andrao(26戸)、Rm. Francis(12戸)は一箇所に混住している。ここもサラワク各地から集まってきている。詳細は不明だが、購入した土地ではなく1970年ころ森を切り開き定住したようだ。
 以上のようにビントゥルの町中あるいは郊外には、様々な形で上流域の人々が移住してきている。今後はさらに詳細に調査をすることにより、都市への移住者のくらしについて全容を明らかにしていきたい。

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