べゾアール・ストーンの現在: ヤマアラシの胃石と先住民・ミドルマン・ 華人社会

べゾアール・ストーンの現在: ヤマアラシの胃石と先住民・ミドルマン・ 華人社会

奥野 克巳 (桜美林大学 リベラルアーツ学群)
市川 哲 (立教大学 観光学部)


1. はじめに

 2013年の3月、ブラガ川上流のU村のプナン人たちを訪ねた。彼らは、狩猟や漁労に出かける以外は、たいていは一日中ぶらぶらと過ごしており、あればたまに労賃を稼ぐ仕事に出かけるというように、まるで「旧石器時代」の狩猟民のような暮らしをしているように見える。そうしたプナンの男性の一人が、2012年のクリスマスの直前に、狩猟に行って仕留めたヤマアラシの胃袋のなかに「石」を見つけた。その直後、それを売ったお金を頭金にして、翌2013年の1月に、ローン払いで、四輪駆動車(Toyota Hilux)を購入していた。彼は、アブラヤシのスモールホルダーであるクニャー人から仕事を請け負ったりして、その車でプナン人の送り迎えや資材の運搬などを担っていた(写真1)。ヤマアラシの胃石は、狩猟という日常の営みのなかで、たまたま獲得されるという偶発性に支配されているという意味で、旧石器の時代から現代へと、いきなりプナン人を連れ出す、高い経済的価値をもつ「宝の石」のようなものであるように思われた。
写真1: ヤマアラシの胃石で得た金を頭金として購入された
    ハイラックス (撮影:奥野 克巳)
 その後、U村のなかには、同じように、ヤマアラシの胃石を手に入れて、それを売って大金を手にしたプナン人やクニャー人が、他にも何人かいることが分かってきた。ヤマアラシの胃石を売って大金を得るという現象は、ブラガ川の上流域では、ここ数年、古くても10年くらい前から起きるようになった、比較的新しい現象であることもまた分かってきた。プナン人には、リーフモンキーの胃石などの、いわゆる「べゾアール・ストーン(Bezoar Stone)」だけでなく、その他の森林産物を、焼畑稲作民や華人たちと交換してきた、長い歴史がある。
 プナン人やその他の先住民によるヤマアラシの胃石の取引が増えたのは、その地域一帯にアブラヤシ・プランテーションが張り巡らされ、イノシシとヤマアラシが、その果実を食べにやって来るところを待ち伏せして捕まえるという、新たな狩猟が始められるようになった、2000年代以降のことであるとされた。そうだとすれば、1980年代以降に開始された商業的森林伐採が周囲の森を丸裸にしてしまい、狩猟民プナンにとって食べるものが無くなった後に、アブラヤシが植樹され、そうした周囲の自然環境の激変を経験したプナン人たちが、ようやく今頃になって、アブラヤシの実を好んで食べに来るヤマアラシの行動によって、偶有的に、宝の石を掘り当てるようになったという巡り合わせを、その現象のなかに見ることができるのかもしれないように思われた。
 サラワク州内のアブラヤシ・プランテーションとその周辺地において、そのようなヤマアラシの胃石をめぐる「ブーム」のような現象が、どのようにして起きたのだろうか。そうした現象は、サラワク州全体で、いったいどれくらい広がっているのだろうか。サラワク州全体で、その現象には地域差があるのだろうか。誰が、ヤマアラシの胃石を買い取り、どこに持ち込んでいるのだろうか。さらに、ヤマアラシの胃石は何のために需要があるのだろうか。それを必要とするのは、どのような人たちなのだろうか・・・
 ヤマアラシの胃石によって、プナン人がにわかに四輪駆動車を手に入れることができることができるようになったことの驚きとともに、そうした疑問が、次々に沸き起こってきた。筆者たちは、2013年8月に、エンド・ポイントとしてのプナン人たちが住むブラガ川上流域の森からスタートして、ブームの実態を探るために、2013年8月と翌2014年2~3月に、ジュラロン川流域、バラム川支流域などの先住民の居住域を訪ね歩いた。また、ヤマアラシの胃石を先住民から高値で購入するミドルマンとしての華人の商人たちからも話を聞いた。さらには、ヤマアラシの胃石の消費地であるマレー半島の二つの都市を訪ね歩いて調査を行い、ファースト・ハンドのデータを手に入れた。以下は、一連の調査から明らかになったことのラフなスケッチである。
 ところで、アジアやアフリカに生息するヤマアラシは、針を立てて、相手を威嚇する、夜行性の動物である[川道 1994: 9-283]。ボルネオ島に生息するヤマアラシは、鬱蒼と樹木の茂る森林の地下に穴を掘って、数頭で暮している。外敵に襲われたりすると、太い針のような毛を総立ちにさせて身を守り、毛を相手に突き刺すことがある。切歯が丈夫で、落下した果実、根や茎のほか、他の動物では歯が立たないインドネシアテツボクやヤシの実も齧って中身を食べる[安間 1991: 203-4]。アブラヤシの堅い実を食べに来るのは、イノシシとヤマアラシだけである。
 ボルネオ島には3種類のヤマアラシがいるとされる。尾の毛がストローのように空洞になっている「マレーヤマアラシ(Hystrix brachyuran)」と、毛が細長く房状になっている「ボルネオヤマアラシ(Thecurus crassispinis)」の2種は、マレー語でLandakと呼ばれている。他方で、Angkis と呼ばれる「ネズミヤマアラシ(Trichys fasciculate)」は刺毛が短く、尾 が長く鱗状になっており、尾の先端は房状で、大きなネズミのようである[安間 1991: 204, PAYNE and FRANCIS 2005: 118-9]。 それらのすべてから胃石が産出される。以下では、それを総称して「ヤマアラシの胃石」と呼ぶことにする。
 ヤマアラシは、中国では、長江流域および南方の各省、北方は陝西省まで広く生息し、「豪猪」や「箭猪」と記載され、刺毛や内容物を含む胃、筋肉などが、漢方において用いられてきた[上海科学技術出版社 1985: 1471、原色中国本草図鑑編集委員会 1985: 372]。中国本土の中医のなかに、ヤマアラシの胃石に関する記述を発見するのは難しい。他方で、東南アジアの華人社会では、ヤマアラシの胃石は今日、一般に、「箭猪棗」として知られている。英語表記としては、porcupine date あるいはporcupine stone である。
写真2: マレーヤマアラシ (撮影:鮫島 弘光) 写真3:ボルネオヤマアラシ (撮影:鮫島 弘光) 写真4: ネズミヤマアラシ (撮影:鮫島 弘光)

2.ヤマアラシの胃石の捕獲者たち

 プナン人やその周辺に暮らす先住民は、どのようにヤマアラシを捕まえるのだろうか。さらには、その胃のなかに胃石を見つけた場合、どこの誰に、どれくらいの値段で売るのだろうか。さらに、売ったお金で、何をするのだろうか。インタヴューによって、その一端が明らかになった。

2-1.U村とその周辺
 LB氏は、冒頭で取り上げた、ヤマアラシの胃石を売ってハイラックス(四輪駆動車)を購入した、U村のプナン人のトゥアイ・ルマー(集落長)である。2012年のクリスマスの前に、アブラヤシ・プランテーションでヤマアラシを捕獲し、その胃のなかに石があるのを見つけた。それを21,000RM1 で、バラム川流域のロング・ラマの商人に売ったという。そのうち、7,000RMを頭金にして、翌月には78,000RMのハイラックスを購入し、5年間のローン支払いで、毎月1,300RMずつ支払っているという。
 IV氏(クニャー・パワ人)は、U村で雑貨店を開いている。ハイラックスを一台持ち、頻繁に、ビントゥルやミリなどに出かけている。彼は、これまで4回、ヤマアラシの胃石を見つけて、売ったことがあると語った。それぞれ、18,000RM、12,000RM、10,000RM、15,000RMで、ミリの華人に売ったのだという。2009年2月6日に撮影されたヤマアラシの胃石の記念写真が、店のなかに飾られていた(写真5)。IV氏は、アブラヤシ・プランテーションでよく、イノシシだけでなく、ヤマアラシがやって来るのを狙って猟をするという。ヤマアラシを獲って、家族で、その肉をよく食べている。そのなかから、胃石を見つけるのは骨の折れることだと語った。
写真5: IV氏の雑貨店の壁に掛けられていた、ヤマアラシの胃石の記念写真 (撮影:奥野 克巳)
 JD氏は、U村のプナン人(西プナン人)に婚入した、ティンジャール川沿いの村出身の、東プナン人である。猟が得意なことで、広く知られている。2013年5月に、アブラヤシ・プランテーションの猟で、ヤマアラシを捕まえて、胃のなかに石を見つけて、11,000RMでミリ市の商人に売ったという。彼は、同じ月に、センザンコウも生け捕りにし、近くの木材キャンプで、キロ当たり70RMで売ったという。彼は、そうした動物資源によって儲けた金は、ほとんど銀行預金していると述べた。
 直接、ヤマアラシの胃石を捕獲して売ったことがある人物として、U村でインタヴューができたのは、この3人であったが、それ以外にも、幾つかの関連情報を得た。
 U村のプナン人であるJG氏は、かつては、リーフモンキーや赤毛リーフモンキーの胃のなかから石が取れたと述べた。彼自身も、1990年代初めに、リーフモンキーの胃石を見つけて、近隣のクニャー人に、600RMで売ったことがあると語った。LA氏によれば、そうした動物資源は、商人との間で物品と交換されたり、商人に売られたりしたという。その時代には、ヤマアラシの胃石は、あったとしても捨てていた。しかし、いま高値で売れるのは、ヤマアラシの胃石であり、それらは数万RMの価値がある一方で、リーフモンキーの胃石は、せいぜい数千RMであると語った。興味深いのは、胃石といえば、かつてはリーフモンキーであったが、今日では、ヤマアラシに代わったという点である。
 U村に働きにやって来て、プナン人女性と婚姻関係を結んだインドネシア人であるPE氏は、これまで2回、ヤマアラシの胃石を取って、売ったことがあると、筆者たちは、何人かのプナン人から伝え聞いた。そのうちの一つは、最近のことで、8,000RMで売ったらしい。また、U村から離れて、シングー川沿いには、犬猟でヤマアラシを捕まえたプナン人がいて、ミリの華人に22,000RMで売ったという話を聞いたこともある。

2-2.ジュラロン川流域
 ジュラロン川でも、筆者たちは、最近、ヤマアラシの胃石を見つけて売ったという話を聞いた。 ジュラロン川とトゥバオ川の合流点に位置するクムナ・ジュラロン水系最上流の商業拠点であるトゥバオに居住する華人のAK氏からは、自分はまだ見たことがないが、かつてジュラロン川上流の先住民がトゥバオにヤマアラシの胃石を持ってきて売ったことがあるとの話を聞いた。AK氏は、胃石はとても苦い味がする、もし胃石を手につかんで手の甲をなめると苦い味がする程だ、と語ってくれた。手の甲を伝わって胃石の苦みが伝わるというのは事実ではない。このたぐいの話はサラワク各地で何度か耳にした。実際にヤマアラシの胃石を見たり触れたりしたことがない人びとの間で、こうした話まことしやかにが流通したのではないかと思われる。
 ジュラロン川の支流クトゥブ川沿いにあるJロングハウスの住人もヤマアラシを捕獲している。3年ほど前からロングハウスの後ろの二次林のなかに政府からの援助によって入手したアブラヤシの苗を植えるようになった。このアブラヤシの実やバナナの実、更には若いバナナの幹の髄を食べに、夜になるとイノシシやヤマアラシがやって来るとのことである。そのためJロングハウスの人びとはロングハウスの裏手のアブラヤシの栽培場所や二次林のなかにはね罠を仕掛け、イノシシやヤマアラシを獲っている(写真6)。2014年3月にJロングハウスを訪問した際にも、イノシシの内臓と共に料理されたヤマアラシの肉を筆者のうちの一人に提供してくれた。JロングハウスのYN氏も2013年に罠猟で捕まえたヤマアラシから胃石を獲得した。YN氏はこの時、一頭のヤマアラシの腹のなかから親指大の胃石を二つ見つけたとのことである。ただし彼は、どこで誰に胃石を売ればよいのか分からないため、まだ売らずに保管している、と語っていた。
写真6: Jロングハウスの裏手の二次林の中に罠を仕掛けるYN氏。(撮影:市川 哲)
2-3. バラム川中流域
 バラム川流域でもヤマアラシの胃石の取引が行われている。バラム川出身で現在ビントゥルに居住するクニャー人の男性は、10年ほど前に、彼の弟がヤマアラシの胃石を見つけて、マルディで3,000RMで売ったことを記憶していると語ってくれた。
 バラム川中流域のロング・ラマに近いカヤン人の居住地であるN村では、上述した二つの流域とは少し異なる状況が見られる。N村でも以前から熱帯雨林のなかでヤマアラシを狩猟してきた。N村のKN氏(カヤン人)は、自分の父の代からヤマアラシやリーフモンキーの胃石を獲得し、ロング・ラマやマルディの華人に売ってきたと筆者たちに語ってくれた。彼の父親や祖父は塩舐め場に来るリーフモンキーを吹き矢で獲り、その胃石を獲得することもあった。だが1970年代にN村の近隣でWTKやリンブナン・ヒジャウといった企業が森林伐採を行うようになると、リーフモンキーは次第にいなくなってしまったとのことである。またN村の住民は、2003年頃から森林で獲れるヤマアラシの量も減ってきたとも言う。その理由はいくつか考えられるが、この地域ではこれまでもヤマアラシを獲り続けてきた上に、森林伐採により付近の森に生息するヤマアラシの数が減少したからだと思われる。だが2005年頃からN村では、アブラヤシが植えられるようになり、それにしたがってヤマアラシの捕獲量も増えたとのことである。一時的にヤマアラシの捕獲数が減少したにもかかわらず、実を食べにくるヤマアラシを捕まえることにより、再びヤマアラシの捕獲数が増えたのである。
 N村では通常の狩猟方法以外にもアブラヤシ・プランテーションのなかでの罠猟が行われている。N村の人びとはプランテーションのなかに檻状の罠を仕掛け、そのなかにアブラヤシの実を置き、夜間実を食べに来たヤマアラシを捕まえている。例えばKN氏のキョウダイはこのようにして入手した胃石をマルディに持って行き、華人ミドルマンに35,000RMで売ったとのことである。KN氏はそのキョウダイからマルディの華人ミドルマンの話を聞き、いずれ自分も入手した胃石を持って行って売るつもりだ、と語っていた。
 N村の人びとは、このようにして捕まえた直後にヤマアラシを殺し、腹のなかに胃石があるかどうかを確認する以外にも、ヤマアラシを生け捕りにして村に連れて帰り、檻のなかで飼うというやり方も行っている(写真7)。N村を訪問した際に、KN氏は筆者たちに2013年に罠で捕まえたヤマアラシを見せてくれた。彼によると、2013年には二頭のヤマアラシを捕まえ、うち一頭を2014年に殺し内臓を調べてみたところ、出来かけの胃石があったとのことである。もう一頭は2014年3月の時点ではまだ飼育中であり、餌として果物や野菜の他に、アブラヤシの実が与えられていた。KN氏によると、ヤマアラシの胃石には多くの場合そのなかにアブラヤシの繊維が含まれているため、生け捕りにしたヤマアラシにもアブラヤシを食べさせ続ければ、運がよければ胃石が取れるかもしれない、とのことであった。このようにアブラヤシ・プランテーションのなかでヤマアラシを狩猟し胃石を得るだけでなく、生け捕りにしたヤマアラシを飼育し、アブラヤシの実を食べさせることにより、意図的に胃石を獲得する試みも行われているのである。
写真7:  N村で生け捕りにされ飼育されているボルネオヤマアラシ。(撮影:市川 哲)
3.ヤマアラシの胃石の交易:ミドルマンとしての華人商人たち

 次に、ここでバラム川流域を事例に取って華人の活動を見てみたい。華人商人たちが、ヤマアラシの胃石の交易において、ミドルマンとしての役割を担っている。以下では、調査で出会った3人の華人商人の活動に関して紹介する。ロング・ラマのAP氏、マルディのLS氏、ミリのSY氏である。彼らはバラム川流域およびミリの華人商人たちである。なお筆者たちの調べによれば、ビントゥルおよびその周辺地は、ヤマアラシの胃石の取引はミリと比較すると盛んではないようである。

3-1. 上流域のAP氏の事例
 バラム川上流域の街ロング・ラマに在住するAP氏は頻繁に先住民居住地を訪問することによって胃石を入手している。彼はもともとガハルやツバメの巣といった森林産物を扱っていたが、数年前から特にヤマアラシの胃石の取引に力を入れるようになった。彼はプナン人のような狩猟採集民の居住地やカヤン人やクニャー人といった焼畑耕作民のロングハウスを訪れることにより胃石を購入するだけでなく、ロング・ラマにも店舗を所有し、そこでも胃石を取り扱っている。胃石を獲得した先住民のなかには彼のロング・ラマの店舗を訪れ、胃石を売ったり、場合によっては生きているヤマアラシそのものを持ち込んだりしている。彼の胃石の購入者はミリやクアラルンプール、シンガポール、中国広東省の商人である。中国の商人はロング・ラマの彼を直接訪問し、胃石を買って帰るとのことである。

3-2. 中流域のLS氏の事例
 LS氏はバラム川中流域の街マルディに居住し、パサールのなかに生活雑貨を販売する店舗を持っている。彼の父親は中国出身であり、中国で中医の知識を得てからサラワクに移住した。LS氏の父親はマルディに来てからも自宅で漢方薬を自分で調合し、自分たちで使ったり、他の華人に売ったりしたとのことである。LS氏も父から胃石を含めた中医の知識を習った。
 現在、LS氏はマルディの店舗で雑貨を販売する以外にも、ヤマアラシやサルの胃石や洞窟産のツバメの巣、ガハル、熊の胆等の取引をしている。だが彼によるとヤマアラシの胃石はツバメの巣と異なり定期的に入手できるものではなく、取引量も非常に少ないとのことである。2014年3月にマルディのパサール(商店街)にある彼の店舗を訪問した筆者たちに対し、彼はこれまでに先住民から購入した胃石の写真や、現在も店舗のなかに置いてある熊の胆やリーフモンキーの胃石と共に、数個のヤマアラシの胃石も見せてくれた。なお前述したN村の住民からも、プランテーションでの罠猟で最近獲得したヤマアラシやネズミヤマアラシの胃石を、このマルディのLS氏の店で売るつもりだ、との話を聞いた。このように、上流域の先住民たちが必ずしも上流域の華人商人にのみ胃石を販売するとは限らず、より良い条件を求めてさらに下流や、別の地域に居住する華人を訪問するということも行われているのである。

3-3. 下流域のSY氏の事例
 SY氏はバラム川下流域の都市ミリの市街地にナマコやフカヒレ、アワビの干物等の海産物やツバメの巣やガハルといった森林産物を主に扱っている。彼はAP氏と同様、サラワク各地からヤマアラシの胃石を収集しており、自ら先住民居住地域に赴きヤマアラシの胃石を買い付けているが、サラワク先住民たちも自分達自身でミリの彼の店舗を訪問し、彼に胃石を売っている。ただSY氏の商売ではヤマアラシの胃石の取引にはそれほど比重が置かれていない。
 彼は自ら先住民の居住地を訪れ、胃石を入手するが、それ以外にも前述のようにプナン人をはじめとする先住民たちも彼の店を訪問し、胃石をはじめとする森林産物を彼に売っている。例えばブラガ川上流のU村のJO氏は1980年代には自ら森のなかで採ったガハルをミリに持って行ってSY氏に売ったことがあるとのことである。
 ここで見たようにSY氏も前述のAP氏と同様、都市内部で商業を営むだけでなく、自らプナン人をはじめとする先住民居住地を訪れ、住民と交流することにより森林産物を入手し、それをシンガポールや西マレーシアといったサラワク域外へと輸出している。この点で、SY氏もAP氏と同様、サラワク内陸部と外部世界とを接合する役割を果たしているといえるだろう。
 このようにバラム川流域では、華人ミドルマンが狩猟採集民や焼畑耕作民から胃石を入手し、それを自分の店舗で販売したり上流域から下流域の都市に流通させたりするという域内の胃石の流れがあるだけでなく、西マレーシアやシンガポール、中国といった外部世界にも直接、ヤマアラシの胃石を販売しているという点で、複数の民族や地域の間に張り巡らされる商品網[cf. Chew 2013]を形成しているのである。
 ただしこのようなヤマアラシの胃石取引の連鎖網はクムナ・ジュラロン水系ではまだ十分に発達していないようであり、またブーム自体も近年になり、アブラヤシ栽培が本格化してからようやくこの水系にもたらされたようである。
 これらの3氏のインタヴューに共通していて興味深いのは、ヤマアラシの胃石をめぐる買い取りの難しさである。彼らは、口をそろえて、先住民たちが、偽物のヤマアラシの胃石を製作し、売りに来ることがあると述べる。先住民のなかにはヤマアラシの胃の内容物とサゴヤシ澱粉を混ぜ、それを丸く形作ることにより、偽物の胃石を作る者が存在する。胃石の流通の絶対量が少ないため、経験を積んだミドルマンでないと、胃石の真贋を判断するのは容易ではないようだ。前述のAP氏も真贋を判断できるようになるまでかなりの金額を失った、と語っていた2
 以上みてきたように、サラワク各地で動物に接近することによって、それを殺し、副次的にヤマアラシの胃石を直接手に入れることができる先住民の人びとから、二次的に入手するミドルマン的な存在としての華人の活動が存在する。そのなかにはLS氏のように、中医の知識にもとづいて、漢方薬の調合に携わる過程で、ヤマアラシの胃石に親しむようになり、ビジネスとして展開するようになった華人もいれば、ビジネスマンとして深く先住民の地へと入り込んで、ガハルやツバメの巣などに並行して、サルの胃石やヤマアラシの胃石を手掛けるようになった華人もいる。SY氏がヤマアラシの胃石を手掛けるようになったのは比較的最近のことであるが、彼にもそれに先行するかたちで、サラワクの森林産物を商業的に扱う経験があった。

4.ヤマアラシの胃石の消費:マレー半島での需要

 ヤマアラシの胃石は、いったい、何に使われるのであろうか。誰が、それをどのように消費するのであろうか。次に、マレーシアにおけるヤマアラシの胃石の需要に関して、卸売業や小売業の現場から報告する。そのことは、中医における利用を探ることに他ならない。ここでは、マレー半島の都市、クアラルンプールとペナンの薬材店を取り上げて、ヤマアラシの胃石の需要の実態の一端を紹介したい。

4-1. クアラルンプール
 X薬材店はクアラルンプールのチャイナタウン内部のショップハウスのなかに店舗を構えている(写真8)。X薬材店は特に胃石を主力商品としている訳ではない。マレーシアの一般的な他の薬材店と同様、漢方薬を店頭販売し、それと共に店を訪れる顧客は店員に自分の症状を説明することにより漢方薬を紹介してもらい、必要量を量って購入するという形態をとっている。またこの店ではグラム単位ではなく、中国の伝統的な度量衡である両(liang : 3.78グラム)や分(fen : 0.378グラム)で販売している。
 筆者たちは現地調査の際に、X薬材店を訪問しヤマアラシの胃石はあるかと質問したが、これに対し女性店員がすぐに店の奥に行き、プラスチック・ケースおよび小さなジップロック付きビニール袋に入った数個の胃石を持ってきて見せてくれた。店員による説明では、これらの胃石はサラワクに限らずボルネオ島の各地、さらにはインドネシア各地からもたらされるとのことである。サラワク産やサバ産の胃石は数が少なく、インドネシア産の方が数が多いとのことであった。
写真8: クアラルンプール、チャイナタウンのなかのX薬材店。(撮影:市川 哲)
 Y薬材店はクアラルンプールの中心地でもあり、チャイナタウンにも隣接するパサル・スニ駅の近くに店舗を構える(写真9)。他の店と比べた場合のY薬材店の特徴は、伝統的なショップハウスの店舗ではなく、ガラス張りのショーウインドウを設け、中薬の写真をプリントした外装の店舗であり、店の二階はツバメの巣料理を提供するレストランを設けている点である。さらにこの薬材店は特にヤマアラシの胃石の取引を店の主力商品の一つとして位置付けており、店主自らが編集した胃石に関するDVD付きの小冊子も出版している。Y薬材店は希望者にはこの小冊子を無料で提供することによりヤマアラシの胃石の薬効を宣伝し、さらにはマレーシア国内の取引相手の薬材店や華人商人にも配布している。
 Y薬材店では直径3、4cm程の丸ごとのヤマアラシの胃石をプラスチック・ケースに入れて販売しているが、それ以外にも緊急時のためにすでに粉末にし、紙に包んだヤマアラシの胃石も販売している。紙包みは0.1グラムのものと0.2グラムのものの二種類ある。それぞれ、0.1グラムの包みは250RM、0.2グラムの包みは500RMである。実際に我々の現地調査時にもある華人の顧客が粉末の胃石を4包み購入していた。
 このようなスタイルを取る漢方薬店は少数派であり、実際にはX薬材店のような、「伝統的」な華人の薬材店で他の漢方薬と共に胃石も取り扱うのみ、という店が大多数を占める。

 以上、需要地であるクアラルンプールを取り上げて、ヤマアラシの胃石の実用的な消費のあり方を、漢方薬店の小売りの実態のなかに探ってみた。残念ながら、治療の現場で、どのように用いられているのかに関しては、現時点では調査が及んでいない。
 漢方薬のジャンルの一つとしてヤマアラシの胃石を扱っているX薬材店のような漢方薬店があった。その一方で、Y薬材店のように、ヤマアラシの胃石の効能の積極的な広報を手掛けながら、患者が服用しやすいようなかたちで小分けにして売っている、今日のヤマアラシの胃石の需要の拡大を考える上で、きわめて重要な役割を果たしていると思われる拠点があった。
写真9:  クアラルンプール、パサル・スニ駅近辺のY薬剤店。(撮影:市川 哲)
 クアラルンプールでの華人に対する筆者たちの聞き取りによれば、このようにパッケージ化された胃石の粉末や、あるいは客の目の前で切られあるいは粉末にされる胃石が販売・消費されている一方で、ヤマアラシの胃石の薬効に関する華人の認識や信頼度には偏差があった。ヤマアラシの胃石に関しては癌をはじめ各種の病気や怪我に効果があり、自らも胃石を服用したことがあると述べる人びとがいる一方で、胃石の薬効そのものを疑問視する人びとも同時に存在する。

4-2.ペナンの華人と胃石
 ペナンでもクアラルンプールと同様、いわゆる伝統的な華人の薬材店や、都市住民を主な消費者としているパッケージ化された薬材や健康食品を売る店舗が共に存在する。
 M薬材店はペナンの有名な華人寺院、極楽寺(Kek Lok Si)の近くのA地区に店を構えている卸売店である(写真10)。マレーシアの一般的な薬材店と同様、薬材が入った木製の引き出しが壁を覆っている。この店は店頭販売の他に薬材の卸売を行っており、その一環としてヤマアラシの胃石も取り扱っている。この店員の説明では、この店で売っている胃石は「粉棗(fen zao)」と呼ばれる種類であり、高級品とのことである。実際には「血棗(xue zao)」と呼ばれるものが最も高価だが、現在は在庫がないとの説明を受けた。この店の高級品のヤマアラシの胃石の卸値は一分が600RMであり、小売りに出されるともっと高価になるであろう、とのことであった。またこの店で扱っている胃石は多くがインドネシアのジャワやスマトラで産出されたものであり、マレーシア産の胃石は少数だとのことである。
 次に同じA地区のM薬材店の隣に位置する、小売店であるN薬材店を紹介する(写真10)。N薬材店は店頭で顧客の求めに応じて漢方薬やその材料を販売している。現地調査の際に筆者たちはN薬材店の店員に、ヤマアラシの胃石はあるか、と聞いたところ、プラスチック・ケースに保管した胃石と、ジップロック付きのビニール袋に入った、粉末の胃石を見せてくれた。N薬材店では上述のKLのY薬材店と同様、あらかじめ胃石を粉末にし、一分ごとに小分けし紙に包んでいる。そして顧客の必要に応じた数の紙包みを販売するという形態をとっている。
写真10:  ペナン、A地区の卸売店(左奥)と小売店(右手前)(撮影:市川 哲)
 この店でも顧客はペナン在住のマレーシア華人であり、中国人やシンガポール人の顧客はいないとのことである。またヤマアラシの胃石の産地はインドネシアが多いとのことである。胃石はどのような病気に効くのか、との筆者たちの質問に対しては、癌やデング熱以外にも、身体にできる腫瘤一般に効く、との答えを得た。N薬材店では胃石の在庫はそれほどなく、卸売りから少量を仕入れ、客の求めに応じて販売するだけであるとのことである。このようにN薬材店では胃石は珍奇な商品ではないが、かといって常に在庫を補充するような一般的な商品という訳でもないようである。
 上記二つの事例は、いわゆる伝統的な華人の薬材店であるが、これ以外にもKLのY薬材店と類似した、いわゆる都市の中間層をターゲットとしたチェーン店も胃石を販売している。「余仁生」(Eu Yan Sang)はシンガポールに本店を置き、オーストラリア、中国、香港、インドネシア、マカオ、マレーシア、シンガポール、アメリカ合衆国に支店を持つ、中医の薬材や健康食品を販売するチェーン店であり、上記二つのいわゆる伝統的な中医の薬材店とはことなる、パッケージ化された商品を販売する店である。余仁生のペナン支店もヤマアラシの胃石を販売している。現地調査時に筆者たちが余仁生ペナン支店を訪問し、ヤマアラシの胃石があるかどうかを聞くと、ガラスケースに入った胃石を見せてくれた。胃石が入ったケースには英語表記で「bezoar stone」、中国語表記で「箭猪棗(粉棗)」というラベルが付いていた。
 余仁生ペナン支店ではヤマアラシの胃石は1gを2,800RMで販売しているとのことである。上記、M薬材店やN薬材店とことなりグラム単位での販売だが、顧客の求めに応じ、「分」や「両」でも販売するとのことである。この価格で顧客が求める量に応じてヤマアラシの胃石を削り、その粉末を量り売りするとのことである。胃石の産地はマレーシアかインドネシアのどちらかである、とのことであった。  余仁生の店員に、中国やオーストラリアといった支店もヤマアラシの胃石を販売しているのか、と質問したところ、マレーシアやシンガポール以外の国では胃石はあまり売られていないし、例えばもし中国の支店で売られていたとしても、マレーシアの値段よりもはるかに高い値段がつけられるだろう、との説明を受けた。店員の説明では、ヤマアラシの胃石はマレーシアやシンガポールの華人社会では一般的な薬材だが、中国を含むそれ以外の国々ではヤマアラシの胃石は一般的な薬材ではなく、もしあったとしても、なかなか手に入らない薬材であるため、高値がつけられるとのことである。このことは、ヤマアラシの胃石の産地が比較的近いマレーシアやシンガポールでは、それらは高価ではあるものの、他地域と比較した場合には流通量が多く、それほど珍奇な商品ではないのだということを示唆しているのだと考えられる。
 
5.まとめに代えて

 ある河川の流域でにわかに湧き上がったかのように見えたヤマアラシの胃石のブームは、サラワク全体を鳥瞰図的な視点で眺めなおしてみるならば、他の河川流域では、以前からすでに始まっていたものであり、また別の地域では、これから始まろうとしている可能性があるものだということが分かった。それらは、ここでは、それぞれ、ブラガ川上流域、バラム川流域、ジュラロン川流域のことを指している。  先住民の居住地域での調査をつうじて、ヤマアラシの胃石を手に入れて、破格の大金を得たり、四輪駆動車を買ったりした人がいるという話が、数多く聞かれた。そうしたヤマアラシの胃石をめぐる現実や情報が、一部の人びとの想像力と欲望をかき立ててきたようである。  そのブームが先行している地域(バラム川流域)の一部では、胃石取得のための乱獲によるヤマアラシの数の減少が、地域住民によって危惧され始めている。また、大金を得る目的で、ヤマアラシの胃石を模した「偽胃石」が真贋の見分けがつきにくいほど巧妙に製作され、そのことが、買い手である華人の商人たちを悩ませている。さらには、ヤマアラシを生け捕りにし、胃石を産出するべく案出された特有の餌付け方法によって、ケージのなかで飼育した後に、胃石を取り出すために殺すという新たな試みも行われていた。
 後発の地域でも、先行する地域を追いかけるような興味深い現象が観察された。ヤマアラシに傾いた猟を行って、その結果、家族でヤマアラシの肉を頻繁に食べることになったり(ブラガ川上流域)、ヤマアラシが果実を食べに来る機会を狙って、アブラヤシ・プランテーションのなかにはね罠を仕掛けて捕まえたりするという工夫が行われていた(ジュラロン川流域)。そこでは、そのような努力をつうじて、ヤマアラシの胃石が入手されたものの、いったい誰にそれを売ればいいのか分からないという、ブーム感覚のみが先行し、取引がまだ行われてないという実態が見られた。ヤマアラシの胃石のブームの進み具合に関する限り、先住民の取り組みには、居住する河川流域によって地域偏差がある3
 サラワク州内の先住民たちによるこうした数々の創意工夫は、もっぱら、外部に発信源がある、ヤマアラシの胃石のニーズの拡大に応じるかたちで行われてきたのだと考えられる。ミドルマンである華人商人たちが、自ら奥地に探しに出向いたり、名刺などを配布して取引情報を流通させたりすることによって、先住民がヤマアラシの胃石を捕獲する取り組みがこれまで広く促されてきた。その点で、ヤマアラシの胃石を自らの薬用にも用いることがある、ミドルマンとしてのサラワクの華人商人の役割は大きいのだと言えよう。他方で、ヤマアラシの胃石がいったい何の用途に関わるのかについては、「薬」に用いられるということ以外の事実を、その直接的な捕獲の担い手である先住民たちはほとんど知らない。
 サラワクの先住民のヤマアラシの胃石の取引の工夫と努力に関して、そうした外部要因の大きさを考えてみるとき、先住民の居住地域において、ここ数十年の時間幅で起きた周囲の自然環境の激変、なかでも、商業的な森林伐採後のアブラヤシ・プランテーションの拡大という課題もまた検討されるべきであるように思われる。アブラヤシの実を好んで食べに来るヤマアラシは、胃のなかに石を抱えていれば千金が得られるため、先住民がその野生動物に注目するようになり、捕獲する機会が増えたというのが、その場合、予想される見取り図である。そのような動向に比例して、サラワク各地で、ヤマアラシの胃石の供給総量が増大したことが予測される。そのことは、ヤマアラシの胃石の需要ではなく、その供給量の増加が需要の拡大に火をつけたという、通常とは反転した需給の仕組みの可能性を示唆する。しかし、残念ながら、その点に関する実証的なデータはない。いずれにしても、サラワク州内のアブラヤシ・プランテーションの拡大とヤマアラシの胃石の増加の相関関係のなかに、ヤマアラシの胃石のブームを位置づけることは、現段階では、あながち間違いだとは言えないだろう。
 ところが、こうした見取り図は、ヤマアラシの胃石の交易の担い手たる華人商人のビジネス感覚に基づくデータに照らしてみると、異なる相を加えることになる。華人の商人たちは、今日、アブラヤシ・プランテーションで捕獲されるヤマアラシによってもたらされる胃石の質は、かつて森のなかで得られたものに比して、一般に、低いものが多いと見ている。加えて、彼らは、胃石を捕るために殺されるヤマアラシが増えたため、それに反比例して、今日、ヤマアラシの総数が減少傾向にあり、かつて森での猟において入手ができた、表面がすべすべしている、高い質のヤマアラシの胃石を手に入れることが、次第に、困難になってきているという(AP氏、SY氏)。
 アブラヤシ・プランテーションの拡大に従って、ヤマアラシの数は増えたかもしれないが、そこで得られる胃石は低品質だし、ヤマアラシが、大金目当てで捕り尽くされてきており、今後のビジネス展開は期待薄だというのである。ハイバイオマスを背景にして、ヤマアラシの胃石をめぐる交易の現状は、より複雑かつ不透明である。
 これに対して、他方の極には、ヤマアラシの胃石を必要とする人たちが存在する。彼らのほとんどは、サラワク州内ではなく、マレー半島やシンガポールなどに住んでいる。これまでのところ、そうした場所に、ヤマアラシの胃石が薬材として輸出されてきた。サラワクからだけではなく、インドネシアからも、多くのヤマアラシの胃石がマレー半島へと流れてきた。クアラルンプールでは、末端価格が1グラムあたり2500RM~2800RMという破格値で、顧客に小売りされていた。サラワクの先住民たちの売値のおおよそ3~4倍の値が付けられている。あるミドルマンは、ヤマアラシの胃石はダイヤモンドより高価であると述べた。そのようなヤマアラシの高い経済価値が、サラワクの先住民に車を買うことを可能にしていることは、すでに見たとおりである。
 ヤマアラシの胃石は、それを胃のなかから直接的に取り出した先住民の手を離れて流通してゆく過程で、乾燥化され、時間をかけて保存され、最終的には、細粒化され、人によって嚥下されることを経て、身体組織のなかへと入りこんでゆく。それは、人の健康や生命の維持に、すなわち、医療の領域につながっている。ヤマアラシの胃石の服用は、現代の生物医療によって完治することができない癌や、デング熱などの感染症に対して、一定の効果があるとされる。
 ヤマアラシの胃石は、大陸中国の伝統的な中医の体系のなかに位置づけられてこなかった可能性が高い一方で、東南アジアの華人社会では、早くからその薬効が知られてきていたが、誰もが買い求められることができないほどの高値で取引されていた。マレー半島の一部では、その効能が経験され、ある信念にまで高められたりして、現代の華人企業家たちによって、インターネットなどをつうじて、広く宣伝されつつあり、今後、薬材として、よりグローバルな広がりのなかで、ヤマアラシの胃石の需要がさらに拡大することも十分に予想される。

(脚注)
1:1RM(マレーシア・リンギット)は、2013年8月時点で、約32.3円。
2:すでに19世紀末にはラジャン川流域で偽胃石が作られていたことが報告されている[Everett 1881]。
3:このようなサラワクにおける森林産物取引の地域的な偏差については、ブロシウスも報告している[Brosius 1995]。

(参考文献)
邦語文献
川道 武男
 1994「針を立てて攻撃:ヤマアラシ類『朝日百科』朝日新聞社
原色中国本草図鑑編集委員会(編)
 1985『中国本草図鑑7』雄渾社
上海科学技術出版社(編)
 1985『中薬大辞典 第二巻』小学館
安間 繁樹
 1991『熱帯雨林の動物たち:ボルネオにその生態を追う』菊地書館出版社
英語文献
Brosius, Peter
 1995 Bornean Forest Trade in Historical and Regional
 Perspective: The Case of Penan Hunter-Gatherers of
 Sarawak. In J. Fox (ed.) Society and Non-Timber Forest
 Products in Tropical Asia. Honolulu: East-West Center.
 (Occasional Papers, Environment Series, 19) pp.13-26.
Chew, Daniel
 1990 Chines Pioneers on the Sarawak Frontier, 1841-1941.
 Singapore: Oxford University Press.
 2013 The Edible Bird’s Nest Commodity Chain between
 Sarawak and East Asia. Equatorial Biomass Society 7:1-6
Everett, A. Hart
 1881 On the Guliga of Borneo. Journal of Natural History
 Series 5. (7)39:274-275.
Payne, Junaidi and Charles M. Francis
 2005 A Field Guide to the MAMMALS of BORNEO.
 The Sabah Society

(参考資料)
n.d. 2011年『薬覇箭猪棗(Lord of the Herbs…Porcupine Date)』n.d.

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