ビントゥル都市部およびその周辺地域 におけるスクウォッター集落
―地区ごとの特徴と開発による住民 移転の動き―

ビントゥル都市部およびその周辺地域におけるスクウォッター集落
―地区ごとの特徴と開発による住民移転の動き―


池田 愉歌 (大阪市立大学 文学部)
ロギー・スマン (元マレーシア・サラワク森林局)


1. はじめに
 都市部には、農村部から出てきて生活している人が数多くいる。ビントゥル省においても、開発の進行に伴い多くの人々が都市部へと移動している。しかし、彼らが移動先の地域でどのように生活を送っているのかについての調査は、これまであまり行われていない。都市部と農村部は密接に関係しあっており、都市部について知ることが、農村部に対する理解を深めることにも繋がると言える。
 特に、都心から近く便利で、しかし居住費がほとんどかからないスクウォッター集落は、十分な資金を持たない人々にとって農村からの移転先として非常に好都合な場所である。スクウォッター集落の立地や発生・成長時期、住民たちの生活様式などから、その都市の発展過程や周辺地域の社会状況を読み取ることもできるだろう。
 1980年代初頭のビントゥル省では、上中流域での商業的木材伐採の活発化に加えて、マレーシア液化天然ガス(MLNG: 1978年設立)およびアセアン・ビントゥル化学肥料(ABF: 1980年設立) の設立に伴う経済の急成長により、ビントゥル都市部およびその周辺にスクウォッター集落が出現した。旧市街近くのセビウ(Sebiew)川沿いには、1980年頃すでにスクウォッター集落が存在していたが、1980年代半ば~後半になると、職場に近いという理由からキドロン工業地帯の多くの箇所でスクウォッター集落が出現し、急速に拡大するようになった(表1参照)。
 MLNG とABF が発展し、木材の価格も良かった1980年代末から1990年代初期にかけて、第二の急成長が起きた。キドロン地区には、天然ガスや化学肥料関連の工場が多数建設されるようになり、一方、クムナ橋周辺の工業地帯にはいくつかの合板工場が建設され、都市近郊の労働需要が劇的に増大した。こうしたビントゥルの工業発展の中で、スクウォッター集落が拡大していったものと思われる。近年の動きとしては、サラワク再生可能エネルギー回廊(SCORE)の事業展開や、シミラジャウ(Similajau)工業団地建設などがあり、ビントゥルの工業発展は現在も継続している。こうした流れの中で、旧市街地からキドロン地区、新ミリ-ビントゥル道路沿い等に点在するスクウォッター集落は重要な開発用地とみなされ、数年前から立ち退きが進められている。スクウォッター住民を移転させるために、空港近くのスガン(Segan)地区にスクウォッター住民移転用の住宅団地が建設され、その他の場所にも再定住地区が建設され始めている。ビントゥルにおけるスクウォッター集落は新たな局面を迎えていると言える。
 著者らは、2014年8月26日~9月15日に、ビントゥルの都市部およびその周辺のスクウォッター集落、元スクウォッター住民が住む住宅団地で聞き取り調査を行い、53件のスクウォッター住民および元住民から回答を得た(現住民35件、元住民18件)。彼らに話を聞いたところでは、村から都市に移る主な理由は豊富な就労機会や高い賃金、教育の質の高さ、病院やクリニックといった施設の充実などであった。また、都市の中でもビントゥルを選ぶ理由としては、故郷から近いという理由に加え、他の都市に比べ特に仕事が多い、賃金が高いという意見が目立ち、遠方からビントゥルにやってきたという事例も数多く見られた。
 スクウォッター住民自身への聞き取りに加え、土地測量局をはじめとする行政機関等で資料収集をしたほか、住宅開発公社(HDC) での聞き取り調査も行った。なお、土地測量局が作成したリストでは、ビントゥル都市部、つまり、ビントゥル開発局(BDA :Bintulu Development Authority)の管轄内にあるスクウォッター集落は13か所とされていたが、実際に確認できたのは10か所だった(表1参照)。確認できなかった場所は、開発が進んだことが原因で姿を消したと思われる集落が2か所、Google Earth の画像では現存するように見えるがそこへのアクセス道が分からなかった集落が1 か所である。実際、工業地区として集中的に開発を進める地域に指定されたキドロン地区のスクウォッター集落(図1の番号3~8)では、複数の集落で、住宅・商業開発に伴う土地造成工事がすぐ近くまで迫り、再定住政策を利用したり、他地域に自主的に家を手に入れたりするなどして、住民の転出が進んでいる。
 今回の調査で得られた情報に基づき、第2章ではビントゥル都市部のなかでも特に開発が進むキドロン地区のスクウォッター集落について、第3章ではその他のスクウォッター集落について、各特徴を述べていく。第4章でスクウォッター集落から転出する動きに注目し、行政の政策や住民を取り巻く環境についてまとめ、第5章では、他の都市と比較した際に見えてくるビントゥルの特徴として、政治的な交渉力について考察する。

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データが古いため世帯数については信頼性が低い。
土地測量局の資料では2014年の数値とされているが、実際には数年前の数値と思われる。
* 土地測量局では一つのスクウォッター集落とされているが、地域住民たちは異なる集落と捉えている。


図1 : 主な調査対象地域の分布(番号は表1 と対応)

図1 : 主な調査対象地域の分布(番号は表1 と対応)

2.工業開発により成長したキドロン地区のスクウォッター集落
 工業地帯に指定され、ビントゥルの中でも特に多国籍企業の参入や開発が進むキドロン地区では、発展に伴い多くの人が流入し、写真1のようなスクウォッター集落の著しい成長がみられた。図1の番号3~8のスクウォッター集落はキドロン道路沿いに立地しており、スクウォッター集落がこの地区へ集中していることが分かる。しかし、近年では更なる開発を可能にするため、行政や企業によるスクウォッター住民の立ち退きが進められている。実際、いくつかの集落では、空き家となっている住居や解体途中の住居(写真2参照)もあり、それらの集落の裏手にはショップハウスや住宅の開発がすぐ近くまで迫ってきている(写真3~5参照)。
 キドロン地区のスクウォッター集落の特徴としては、住民のほとんどがイバンという民族であること、キドロン地区の各工場の労働者であること、仕事を求めてクチンやシブ周辺といった遠方からもこの地区へ相当数の人が入ってきていること、小学校卒業または中学校卒業以下の低学歴の人が多いということが挙げられる。スクウォッター集落で聞き取りを行った34人の世帯主の学歴を見ると、無就学5人、小学校中退8人、小学校卒業6人、中学校卒業3人となっており、高校卒業(Form5終了)者は3人のみであった(不明9人)。急激な開発が進むビントゥルでは、建設現場での単純作業やドライバー等の仕事が数多くあるため、学歴の低い人や特別なスキルを持たない人でも容易に仕事を見つけることができるのである。
 スクウォッター集落に新たに入る際、住居をどのように手に入れたかを聞いたところ、「購入した」という人が回答者の半数近くにのぼった。スクウォッター集落の住居は、個人で建設するものと考えていたが、購入したという答えが多かったのは意外であった。家屋を購入することは、自分で建てるのに比べて即時入居が可能であるだけでなく、水道局から引かれている公的な上水道を利用出来るなど生活に便利である1。逆に、自分で新たに家をつくろうとすると、行政の目に留まり撤去される可能性が高いことも、家屋の購入が多い主要な理由の一つとして挙げられた。
 また、一部のスクウォッター集落では、流入者が自ら公有地に住み付いたのではなく、増加した労働者の居住地を確保するため、行政や企業が公有地に労働者用の住居を建設し、そこに住まわせたことで、現在スクウォッター集落になった場所もある。例えば、表1の番号6がそれにあたり、名称も「BDA Worker’s Camp」となっている。つまり、ビントゥルの都市開発行政の主導権を握る公的機関BDAが、キドロン地区の開発に際して、労働者用バラックを建設したことが、このスクウォッター集落の発生契機となっている。これも、ビントゥルの急速な発展と関係する事象として注目に値する。
 住民の多くはキドロン地区で働く労働者とその妻子であるが、都市での生活を望むのは若者だけではないようで、退職後もビントゥルの街に残りたいと話す人も珍しくなかった。なかには、ずっと村で農業をしていたが、歳をとり妻も亡くなったため子供のいる都市に最近出てきたという人もいた。彼らが居住地として都市を選ぶ大きな理由は、病院やクリニックが近いという利便性がある。特に、公営の病院(General Hospital)だと年金受給者であれば医療費が無料となる。また、数例ではあるが、ビントゥルのスクウォッター集落に滞在していながら、夫が他地域へ出稼ぎに出ているという事例もあった。ある家族の場合は、最初はビントゥルで仕事をしていたが、現在はより給料のいいクアラ・ルンプールへ働きに行っている。しかしクアラ・ルンプールは物価も高く生活費がよりかかるため、家族はビントゥルに残っていると話していた。
 このように、工業地帯に指定され近年ビントゥルの中でも特に開発が進むキドロン地区では、幹線道路沿いにスクウォッター集落が集中して点在し、多くの賃金労働者とその家族が生活している。車やバイクを所持している世帯も珍しくはなく、就労機会が多いためか、ある程度の収入を得られている様子がうかがえた。また、この地区では、さらなる開発の進展に伴い複数の集落で立ち退きが進められ、空き家が目立っていた。住民の構成を見ても、遠方出身者や低学歴者、高齢者といった人々が多くこの地域に移転してきている。これらは、開発の最中にあり、単純作業の仕事が多くあり生活も便利であるといった、この地区の特徴が大きく影響していると考えられる。

写真1 : キドロン地区のスクウォッター集落(Park and Green) 写真2 : 空き家になったスクウォッター住居(Sg. Sebatang) 写真3 : スクウォッター集落の背後に開発が迫る(Sg. Sebatang)
写真4 : スクウォッター集落の背後に開発が迫る(Park and Green) 写真5 : スクウォッター集落の背後に開発が迫る(Sg. Plan)
3.キドロン地区以外のスクウォッター集落
 前章では、キドロン地区を中心にスクウォッター集落の概要を紹介したが、ビントゥル都市部やその周辺にはその他にもスクウォッター集落やそれに準ずる集落が存在し、それぞれ特徴的な点がみられる。

(1)RPR セビウ――旧市街に隣接するスクウォッター集落
 ビントゥルの旧市街地近郊にもスクウォッター集落が存在する。旧市街地から約2km西に位置するRPR セビウ(RPR Sebiew)というスクウォッター集落(図1の番号13)では、市場(いちば)で自分の店を持つ目的で農村部からここに移住してきた人々に出会うことができた。
 ある夫婦は、夫がキドロン地区で働きつつ妻が公設市場に店を出しており、またある人はこのスクウォッター集落に来てしばらくの間古着屋を経営し、その店をたたんだ後キドロンで労働者として働いていたという経験を持っている。彼らは、ビントゥル旧市街付近での商業活動と、キドロン地区での労働とを上手く組み合わせながら生計を立てているように見えた。
 RPR セビウでは、ダイバーの仕事をしているという人にも出会った。ダイバーとは、海底に潜ってそこに沈められたガス・パイプの状態のチェックやメンテナンスをする仕事で、命の危険を伴う代わりに賃金は非常に高い。1回のダイブでRM1,500だという。ただし体への負担から、潜れるのは1日1回だけと決められている。
 また、住民はほぼイバンのみであるが、ムスリムが近くに住んでいるためか、家を建てる際に土地をムスリムから買ったという人が少なくないようだった。おそらく、インフォーマルな個人間での売買であると思われるが、州有地でありながら土地の売買まで行われているという話を聞いたのはここだけだった。

(2)カンポン・プタニとカンポン・ピサン…農村的性格を持つスクウォッター集落
 キドロン地区にほど近い場所で、シミラジャウ工業団地に向かう道路(新ミリ-ビントゥル道路)の周辺にも、いくつかのスクウォッター集落が存在する。図1で示した、カンポン・ピサン(Kampung Pisang:写真6参照)(10世帯:イバン7世帯、ムスリム3世帯)とカンポン・プタニ(Kampung Petani:表1の番号1)と呼ばれている集落である(25世帯2:全てムスリム)。これらの集落は、住民が比較的少なく、まだ開発されていない十分な土地があって、多くの人が本業または副業として米や野菜、アブラヤシなどを育てている。他のスクウォッター集落でも小規模の畑をつくっている人はいるが、これら2つの集落は農耕面積が他集落よりも大きいことが最大の特徴である。彼らは自ら森を開き、そこに自分の畑をつくったという。私たちがインタビューしたサバ州出身のブギスの男性は、1,700本のアブラヤシを植えていた(写真7参照)。
 注意すべきは、カンポン・プタニが土地測量局のスクウォッター集落のリストに挙がっているのに対し、カンポン・ピサンはリストに入っていないという点である。土地測量局の職員によると、これは、前者がビントゥルの都市域に含まれている一方、後者は都市域から外れているために土地測量局のリスト化の対象になっていないというが3、両集落の距離はそれほど離れておらず(約2km)、いずれも農業生産が盛んに行われており、集落景観としては類似している。これらの集落は、キドロン工業地帯にも近い場所にあり、賃金労働と農業生産の両方が可能で、第2章で記述したキドロン道路沿いのスクウォッター集落とはやや趣を異にする。
 もう一つの大きな特徴は、イバンに加えマレーやブギスがこの集落に集中していることである。カンポン・ピサンでは、イバン・エリアとムスリム(マレー/ブギス)・エリアに棲み分けがなされていたが、カンポン・プタニは住民すべてがムスリムで、その内訳はブギス20世帯、マレー5世帯となっていた。ここでは、全25世帯がアブラヤシを栽培していた。

写真6 : Kpg. Pisang のイバン・エリア 写真7 : Kpg. Pisang に住むブギスのアブラヤシ畑
(3)カンポン・バルとルマ・ジャラオ…政治的側面
 スクウォッター集落での調査を行う中で、元スクウォッター住民でありながら、政治的な理由により自分たちの土地を手に入れた事例が2件見られた。
 一つはカンポン・バル(Kampung. Baru:図1参照)と呼ばれる地域で、第3章第1節で紹介したRPR セビウ付近のスクウォッター集落に隣接している。見た目はいかにもスクウォッター集落という感じであるが、土地測量局で作成されているリストには載っていない。2000年ごろに土地測量局による測量が実施され、そこに住んでいた住民に土地が割り当てられたようで、住民は土地登記もされていると話していた。RPR セビウ付近のスクウォッター集落で調査した際、なぜRPR セビウはスクウォッター集落で、隣接するカンポン・バルはスクウォッター集落ではないのか、違いは何かと住民に尋ねたところ、初めは答えるのをためらっている様子だったが、しばらくして一言、「あの地域に住んでいるのはムスリムだから」と言った。マレーシアではムスリムが優遇される場面が珍しくはなく、公務員でも役職が上がるにつれムスリムの比率が高くなる。ただし、面白いことに、カンポン・バルのマジョリティはムスリムであるが、その一画にイバンも住んでいて、同じように土地を与えられている。行政もあからさまに区別は出来ないからだろうか、ムスリムが集住する地域にいるイバンにも土地を与えたようである。
 2つ目の事例はルマ・ジャラオ(Rh. Jaraw)というロングハウス(54世帯)で、先述のカンポン・ピサン付近に位置する(図1、写真8参照)。彼らはもともとムザコ(Muzako)と呼ばれるキドロン道路沿いのスクウォッター集落に住んでいたが、1997年に現在の位置にロングハウスを建てて住むようになった。カンポン・ピサンやスンガイ・プランなどに近く、場所的にも出自的にもスクウォッティングしているように見えるが、土地測量局の職員によると、ルマ・ジャラオはスクウォッター集落ではないという。
 このロングハウスには特異な点がある。それはムザコから現在の位置に移動してロングハウスをつくる際、行政による例外的な措置が多く与えられているということである。具体的には、移転のための整地作業を行政が行っていたり、正式な登記はされていないものの土地の区画番号(ロット・ナンバー)が与えられたりしているのである4
 このロングハウスは地元でも有名で、現地のタクシー運転手に聞いてみたところ、「あそこの村長は政治的な交渉が上手い」と話していた。事実、ルマ・ジャラオの村長はかつて与党政党であるPBB(Parti Pesaka Bumiputera Bersatu)と関係の深いサバラカス(Saberkas)という名の団体組織で数年働いた経験があり、その時に政治家や政党とのつながりを作ったと考えられる。村長自身が「このロングハウスの住民はみんなPBB支持者である」とも語っていた。
 スクウォッター住民と行政や選挙候補者とが政治的な交渉を行うことはマレーシアでは珍しくなく、むしろこうした事例があまり見られないビントゥルの方が特異だと言えるかもしれない。

写真8 : Rh. Jaraw のロングハウス
4.スクウォッター集落からの転出
 スクウォッター集落から出る人の動きに注目すると、聞き取りのなかで多かったのは、出身の村(ロングハウス)に帰る人、行政が用意した低所得者向け住宅もしくは宅地を購入し自宅を手に入れる人、その他ビントゥル内外に土地を買って家を建てる人、出身村近くの都市に移動する人などであった。ただし、現在スクウォッター集落に住んでいる人々に今後移動の予定や意思があるかと質問すると、ほとんどの人が「No」と回答している。職場との近接性や収入の良さ、教育の質の高さ、買い物や病院といった生活の快適さなどが理由として挙げられていた。以下では、行政による再定住スキームと、空港近くに建設されたスクウォッター住民移転用の住宅団地について見ていこう。

(1)行政による再定住スキーム
 キドロン地区周辺に作られた再定住スキームは、土地を区画ごとに分けて廉価販売し、住宅はその購入者が自分の収入に合わせて好きなように建てることが出来るという形態で、BDAや土地測量局のもと、複数のプロジェクトがこれまでに行われてきた。これらの土地に関しては、誰でも申請することが出来るが、採用者を選定する際、ビントゥルに土地を持っていないことに加え、収入・家族の人数・ビントゥル滞在年数などを基準に優先度が決められる。スクウォッター住民であることも優先度を上げる一つの要素になるという。
 スンガイ・プラン・ロット5(Sungai. Plan Lot:写真9参照)と呼ばれる、キドロン地区に建設された再定住スキームでは、キドロン地区のスクウォッター出身者を複数見つけることが出来た。このスンガイ・プラン・ロットにおけるスクウォッター出身者の割合は、住民に聞いたところ、6割や8割などばらつきがあり確かな数字は分からないが、相当数の元スクウォッター住民がここに移動してきていることが分かる。ただし、申請は受理されたものの土地の値段6が高くて払えず、やむなく辞退したスクウォッター住民も多くいたともいう。現在スクウォッター集落に居住する人々のなかには、この再定住スキームに申請書を提出し結果を待っている人や、すでに書類は受理され区画の割り当てを待っているという人々もいた。
 このように、再定住地区も準備されているが、スクウォッター住民全てを収容できるだけのキャパシティはなく、また土地購入のための資金を持たない人も大勢いるため、スクウォッター集落の立ち退きには部分的な効果しかもたらしていないと思われる。先行例としてのミリやシブのスクウォッター移転政策では、広大な再定住地区をほぼ無料に近い形(手数料のみの支払い)で用意し、集落全体を一気に移転させるという方策がとられていたが、ビントゥルは、異なる形態の移転用地を複数用意するという形で、徐々に進められているという印象を受ける。次節では、これまでの移転政策では見られなかった住宅団地の賃貸アパートという移転先について見ておきたい。

写真9 : Sg. Plan Lot の住宅と空き地(未分譲地)
(2)賃貸アパートへの移転事業
 現在、スクウォッター住民を対象に行われている重要な政策がある。それは、サラワク住宅開発公社(HDC:Housing Development Corporation)7の管轄のもと、ビントゥル空港付近のスガン地区に建設された住宅団地PPR BANDARIA PARK(通称スガン・アパート:Segan Flat)への移転事業である(写真10~11参照)。この住宅団地はキドロン地区の開発によって立ち退きに追い込まれたスクウォッター住民のための移転先で、5階建てのアパートがA棟からQ棟まで17棟建設され、合計約1,000部屋が用意されている。2013年12月より、特に立ち退きの緊急性の高い家族(つまり開発がすぐ近くまで迫っている場所にいた人たち)から優先的に入居が進められている。住宅団地への移転に関しては、申請したものの許可が下りず他のスクウォッター集落に移った人や、闘鶏用の鶏を飼うために移転申請をせずスクウォッター集落にとどまっている人、申請を受理されたものの辞退した人など様々だったが、その反面、住宅団地で出会った人のなかには「他のスクウォッター集落に移ることは行政が許さなかった」という人もおり、移転に際してある程度の強制力が働く場合もあるようだった。
 スガンの住宅団地の大きな特徴は、賃貸のアパートであることだ。これまで他の都市で行われてきた対スクウォッター政策では、再定住スキームによる宅地分与が主流で、プレミアムと呼ばれる土地取得手数料を分割で払い、払い切るとその土地は自分のものになるというのが一般的であった。しかしスガンの住宅団地に関しては、月にRM150の家賃を払い続けなくてはならない8。HDCによると、3年ごとに居住者審査があり、支払いや生活態度が良好であるとされればさらに3年延長可能で、最長9年まで住むことが出来るが、その後どうなるかはまだ決まっていないという。また、土地測量局の職員はスガン・アパートへの入居条件に関して、月収がRM650~RM 2,500の世帯に限るという制限があると話していたが、HDCで確認したところ、直近3か月分の給料明細の提出を義務付けてはいるが、選定委員会はクチンのオフィスが担当しているので、給与額が審査の基準に使われているかは分からないという回答だった。
 この団地は、本来は立ち退きに迫られたスクウォッター住民専用のものであるが、実際は約300部屋がムスリム用として準備されており、そこに住むムスリムの大半はビントゥル周辺の村や町に住んでいた人たちであった。ムスリム居住者のなかには公務員もおり、彼らの場合は申請から受理までが非常に速かったという。ここでもムスリム優先という意図が見え隠れしている。
 スガンの住宅団地に移転した元スクウォッター住民たちは、職場のキドロン地区まで、会社の準備した送迎バスや乗り合いのバンなどを利用して通勤する。子供たちのなかには、転校して近くの小中学校に通う生徒もいるが、転校を嫌がって今もキドロン地区の学校に通う児童・生徒も多い。スクール・バスは距離に応じて価格が異なるので、運賃が高くついて仕方がないと嘆く親もいた。
 スガンの住宅団地は、賃貸であること、職場・学校や街から遠いこと、畑作りや家禽飼育も禁止されていることなど、いくつかの不満を抱えながらも、他に行き場がなく移転してきた住民たちが大半を占めているように感じられた。

写真10 : スガン住宅団地の入り口 写真11 : スガン住宅団地の敷地内
5.ビントゥルのスクウォッター住民の「交渉力」
 スガンの住宅団地は、キドロン地区の元スクウォッター住民にとっては、市街地にも職場にも子供の学校にも遠くなってしまい、不便さを感じている人が多い。また、アパート内の居住空間は65.03m2で4K と、スクウォッター集落の住居に比べてはるかに狭くなっている人が多い。そして、最大の不満は賃貸で将来的な再転出の可能性も残されているという点である。
 一方、キドロン地区ほかの再定住スキームは、現在のスクウォッター住民たちが移転するには、区画数が明らかに不足しているにも関わらず、一般からの申請も受け付けられていること、土地の価格も比較的高く設定されていることなどから、スクウォッター住民には敷居の高い移転先となっている。行政は、再定住スキームや賃貸アパートのほかに、低価格住宅の建設も進めているが、キドロン地区に住むスクウォッター住民たちにとって、誰もが購入できるものになるとは考えにくい。
 これまで、クチンやシブ、ミリなど、サラワクの主要都市で行われてきたスクウォッター移転政策は、ほかの国々から見れば非常に贅沢なものであった。サラワクに限らずマレーシアのスクウォッター住民は、フィリピンやタイのような「暗いスクウォッター」ではなく、公務員などの安定職への就業率も高く、将来的な土地の取得可能性が高い「明るいスクウォッター」などと呼ばれることもあった。そうした従来の政策と比較したとき、ビントゥルにおけるスクウォッター移転政策は、それほど条件のよいものにはなっていない。そこには、ビントゥルのスクウォッター住民の「交渉力」の弱さという背景があると考えられる。
 クチンやシブなどの他都市では、選挙を利用した政治家との大規模な交渉も事例として確認されてきた。たとえば、1990年代前半に成長のピークを迎えたシブのスクウォッター集落では、住民の4割以上が公務員職に就いており、彼らの職場のひとつであった土地測量局や公共事業局などから情報を収集して、スクウォッター住民自身が再定住地区の建設場所を提案した。彼らは、都市部の与党議員に投票することと引き換えに、その再定住地区に合法的な土地権を得ることに成功したのである。クアラ・ルンプールやクチンでも、スクウォッター集落は重要な票田とみなされることが多く、政治家との交渉のなかでそれらの移転政策が決まることが多い。
 ところがビントゥルでは、ルマ・ジャラオの例を除き、このような動きがほとんど見られない。カンポン・バルの事例も、ムスリム集落に紛れ込んだわずかなイバンが土地を取得できたに過ぎない。ビントゥルのスクウォッター住民の交渉力が弱い主な要因としては、マレーシアの他都市と異なり、ビントゥルではキドロン工業地帯を中心に、現場での単純労働者が圧倒的に多く、公務員がほとんどいないため、政治的・政策的な情報の収集手段が限られていること、全般的に学歴が低いこと、遠方から来たスクウォッター住民も多く、交渉に有利な土地勘や地元の社会的ネットワークが希薄であることなどが考えられる。
 シブやミリのスクウォッター集落は、基本的にはラジャン川やバラム川流域からの住民によって構成されていた。クチンはより広い範囲から人が集まっていたと思われるが、州都としての都市の性格や、1980年代後半に再定住政策が実施されたという時代背景などが、ビントゥルとは大きく異なる。1980年代以降に急速な発展を遂げた工業都市ビントゥルのスクウォッター集落は、クムナ川やタタウ川という近隣の流域人口を吸収しただけでなく、サラワク各地から単純労働者を集めることになった。このように、ビントゥルのスクウォッター集落の住民構成は、キドロン地区を中心にした工業発展の経緯と密接に関わっている。そのことが、他都市とは異なるスクウォッター集落の性格と、近年の移転政策のあり方に反映されていると思われる。

6.おわりに
 1980年代初頭以降の急速な開発により、ビントゥル都市部およびその周辺ではスクウォッター集落が出現し、その後増大していった。近年では、さらなる開発の進行によってスクウォッター集落からの移転が政策として行われており、ビントゥルのスクウォッター集落は新たな局面を迎えている。特に、工業地帯として指定され開発が進んでいるキドロン地区には、スクウォッター集落が集中し、立ち退きによる空き家も目立つ。また、キドロン地区以外の地域でも、旧市街近くのRPR セビウでは商業活動を希望する人々が集まったり、人口が少なく土地が十分にあるカンポン・プタニとカンポン・ピサンで農業生産が盛んであったりなど、立地の違いからそれぞれ特徴が表れていた。政治的な特権や繋がりを用いて、スクウォッター住民が合法的な土地を得たという事例は、カンポン・バルとルマ・ジャラオの2例が存在した。
 スクウォッター住民の多くは転出の積極的意思を持たないものの、開発の進行によって、それまで生活していたスクウォッター集落からの立ち退きを余儀なくされ、やむを得ず転出するという事例が多いようであった。転出先は様々であるが、政府が用意している代表的なものとしては再定住スキームによる区画分譲と移転用賃貸アパートの供給が挙げられる。しかし、再定住スキームに関しては用意されている区画の数が十分でないこと、スクウォッター住民では払うことがなかなか難しいような金額であること、スクウォッター住民以外でも申請できることなどが課題となり大きな効果を上げるには至っていないように感じられた。移転用アパートに関しても、賃貸であることや市街地から遠いこと、部屋が狭いことなど、いくつかの短所がある。さらに、クチンやシブ、ミリといった他の都市と比較すると、これらの状況がビントゥルに特有のものであることがより明瞭となる。ビントゥルでこのような特徴が生じたのには、背景として、ビントゥルの急速な工業発展という経緯がある。開発による周辺地域の環境変化がスクウォッター集落の住民構成に大きな影響を与え、現在のスクウォッター集落における特徴を生み出した。そして、このような住民構成のあり方が、「交渉力」の弱さという結果をもたらし、政策の方針が従来とは異なるものへと変化したと言えるのではないだろうか。

<謝辞>
 今回現地調査をするにあたって、高知大学農学部教授の市川昌広さん、同じく高知大学農学部3年生の高橋一弘さんには、聞き取り調査に同行して頂き、研究の方向性や調査計画の検討等、多くの場面でご協力いただきました。厚く御礼申し上げます。


脚注
1:キドロン道路沿いのスクウォッター集落には、水道局から上水が提供されており、毎月各世帯に請求書が送られてくる。集落によって異なると思われるが、例えばSebatang Tengahでは1993年に上水道が設置されたという。新たな住居を建設した場合は、家まで自力でパイプを繋げなくてはならず、雨水や河川の水でしのぐ事例も珍しくない。最近になってスクウォッター集落に入った人のなかには、すでに上水道を引いている他人の家からパイプを繋いで自分の家に引き込んでいる事例も見られた。

2:土地測量局のリストでは29世帯となっていたが、実際には25世帯であった。

3:カンポン・ピサンもビントゥルの都市域に近いため、土地測量局による調査は行われている。この集落は「都市域外スクウォッター(setinggan lular bandar)」と分類されている。

4:私たちの案内役を務めてくれたビントゥル在住のイバン(元森林局職員)は、内陸部のロングハウスが建てられている場所は測量や登記が行われていない州有地であることがほとんどだと話し、「ルマ・ジャラオはサラワクのなかで唯一、政府からロット・ナンバーを与えられた合法的ロングハウスだ」と冗談交じりに強調していた。

5:市川昌広氏が行った土地測量局およびBDAへの聞き取りによると、Phase 1(土地測量局担当、1994年建設)に415区画、Phase 2(BDA担当、2002年建設)に309区画が造成されたという。

6:各筆の面積によって金額は異なるが、土地の価格と登記・販売手数料等を含め、一筆15,000RM前後で手に入れることができるという。これらの金額を区画割り当て後6か月以内に支払いきれば、その土地は土地測量局からTOL(Temporary Occupation License)が発行される。これは1年ごとの更新になっており、3年間きちんと更新が続けられ、当該の場所に家屋が立っていることが確認されれば、正式な土地権を取得することができる。

7:サラワク州住宅省の管轄下にある独立行政法人。

8:クアラ・ルンプールやジョージタウンではアパートへの移転も珍しくはないが、過去に行われた移転政策は、賃貸ではなく分譲が主流であった。

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