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Weaving sarong, weaving network around the Makassar Straits.
<しま>模様の海

Hamamoto Satoko, Ph.D. / CSEAS, Kyoto University
浜元 聡子(スラウェシ科研研究協力者:京都大学東南アジア研究所)

■2005年度の活動:2005年8月20日〜9月30日 南スラウェシ州スプルモンデ諸島での調査に従事

■2005年度の活動:2005年12月6日〜2006年1月27日 南スラウェシ州州スプルモンデ諸島および西スラウェシ州ティナンブン  郡での機織りをめぐる人の移動の調査
■2006年3月6日〜3月20日 南スラウェシ州トラジャ県でのワークショップ、マカッサル市内での研究ネットワーク構築活動



2005年の9月、初めてサラッポロンポ島を訪れた。この日は、長津一史(スラウェシ科研研究分担者)と一緒に、サナネ島、ボントスワ島を回っていた。遠くにかすんでいた島影の輪郭が明瞭になり、樹木の種類がはっきりとわかるほどになったとき、何の根拠もなかったのだが、あるひとつの予感が浮かんできた。−ここにはムラユ人や華人の商人が住んでいたはず−だと思ったのである。


ジョロロ(木造スピードボート)が桟橋に着き、一歩、足を踏み出した時、具体的に、なにがおなじだとははっきりと言葉にはできなかったが、バランロンポ島に雰囲気が似ていると思った。私がムラユ商人や華人商人だったら、絶対にここに住みたいと思うはずだ。それはおそらく、島の中央部に見えた背の高いパンノキの森のせいではなかったかと思う。大きな木がたくさんあるところでは、比較的淡水に近い飲料水を得ることができる。墓地の広さも十分に取れる。なによりも南北に長い長粒米の形をした島は、東側の砂浜が長く伸び、浜辺から数メートルで海はすぐに深く落ち込む。大型の船を繋留するには最適の環境だった。パンノキだけでなく、おそらくさまざまな果樹も自生していたはずだ。そんなことが予想できたからだった。


サラッポロンポ島は、すぐ近くのサラッポケケ島とふたつ一つのデサ(村)を構成する。南スラウェシ州パンカジェネおよび島嶼部県側に位置するスプルモンデ諸島の島である。主要な生業活動は、漁業である。集落を歩いてみると、他の島ではあまり見かけることのない、華人系マカッサルの人が好む家飾りを持つ家並みが続く。高床式家屋の床下のスペースは広い。なによりも、敷地が広い。割礼、婚姻、そして出産などの儀礼に欠かせない灌木が庭の植栽となっている。バランロンポ島の華人末裔が住む家屋とまったくおなじ雰囲気である。と、ここまでことばに置き換えてみたものの、そのときにわたしが得た直感はうまく説明できない。なにがどうなのかと問われれば、「そう思うのだ」としかいいようがないような気もする。


1996年以来、スプルモンデ諸島を主要な調査地として歩いてきた経験があった。初めて訪れる島を数歩歩き、家屋の材や路地の配置などをみれば、おおよその見当がつくようになっていた。それ以前に、島影がはっきりと確認できるくらいに船が近づき、繋留されている船の種類がわかり、海岸の様子がわかれば、おおよその見当をつけることができるようになっていた。そういう判断を下せるような知識と経験が十分にあると思うようになったのは、スラウェシ科研が始まってからのことだ。船を使って、一日に3〜4つの島を回ることがある。どの島も、基本的な要素はおなじ(植生がほぼおなじ、海面からの高さは平均1メートル、高床式家屋が中心、日中の電力供給はない)なのだが、それぞれに特徴がある。その特徴をどのように言語化して、人に説明するのか、それがスラウェシ科研における私の役割だと考えている。遅沢さんとAzizくんと取り組もうとしているのは、スプルモンデ諸島に50以上ある有人島のプロフィールである。ひとつひとつの特徴ある島や集落をつなぎ合わせたとき、スプルモンデ諸島は、どのように見えてくるのだろうか。マカッサル海峡という海の地域は、どのような形を現すだろうか。


マカッサル海峡を<海の地域>としてとらえることが、博士論文を書くまでの私の研究主題であった。その海に点在する<しま>がどのような模様を描くものであるか、人とものの移動をとおしてみようとしてきた。これまでの関心をもって調べてきた海のネットワークが、地方分権の時代になってどのような変化をみたのか、あるいはみなかったのか、それをみきわめたいと考えている。スラウェシ科研が対象とするスラウェシ地域は、おそらくそれぞれの研究者が掘り起こしていくものだと思っている。地域を歩いていくことで、今まで見えていなかった地域をくくるなにかが可視化されていくのだと考えている。島は海の地域を描く模様なのだ。できるだけたくさん海を渡り、島を歩くことで、地方分権の作用を確認していこうと思う。



(2005年10月21日)

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