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「タイ・プーミポン国王崩御に関する写真レポート」を掲載しました。

「タイ・プーミポン国王崩御に関する写真レポート」

 2016年10月12日、タイ国民に長らく愛され尊敬されてきたプーミポン・アドゥンヤデート国王の容体が、非常に厳しい状態となったとのニュースが流れた。心配したタイ国民や各種マスメディアが、国王が入院しているシリラート病院に駆けつけた。国民らは国王の肖像を掲げて一斉にお経を唱えるなど、必死に国王の快復を祈った。夜には小康状態になったとの発表があり、一旦状況は落ち着いた。しかし翌13日夜、国王が崩御した旨の発表があり、シリラート病院で祈り続けていた国民らは涙を流して泣き崩れ、ショックのあまり卒倒する女性もいた。病院に皇太子やシリントーン王女が入る際には、集まった国民たちは「国王万歳!」と何度も叫んだ。

 14日午後、国王のご遺体は病院から葬儀が行われる王宮へと移された。炎天下の中、国王を見送るために数えきれないほどの国民が沿道に集まった。当初は午後1時すぎに車列が出発するとされていたが、夕方4時過ぎまで出発が遅れた。しかし沿道で待つ人々は愚痴一つこぼさずに、ひたすら車列を待ち続けた。

 筆者は、サナーム・ルアンにある最高裁判所の前で車列を待っていた。車列が到着する前に数人が立ったままであったが、周囲の人々から「国王がお出ましになったぞ、座れ!」と罵声が飛んだ。国王の車列が通過する際には、音一つない静寂の瞬間が訪れた。

 現在、サナーム・ルアンでは、地方から集まってきた人々のために、無料の炊き出しが行われており、連日お祭りのような賑わいとなっている。多数のボランティア、軍、警察などが会場を仕切っており、サナーム・ルアンに向かう無料のシャトルバスやバイクが走っている。政府からの指示により1年間喪に服すこととなり、街の中は黒い服で埋め尽くされている。テレビは連日国王の業績をたたえるドキュメンタリー番組やドラマを流し続けている。

 タイは、2006年から赤色と黄色に分かれて激しい政治対立を続けてきた。この政治対立は現在も収束してはいないが、国王の崩御によって全員が黒色となり、一旦休戦状態となった。再び政治が動き始める前の、つかの間の(少なくとも表面的には)穏やかな時間には、国王からの最後のメッセージが込められているのかもしれない。

文責(外山文子)

 

撮影:直井里予(京都大学東南アジア研究所バンコク事務所駐在員)、外山文子(東南アジア研究所学振PD)10月12~18日 バンコク市内(病院、サナームルアン、王宮前、サヤームなど)の様子。

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