広い間口のIPCR


藤田励夫(文化庁文化財第一課)

昨年度から、清水政明氏を研究代表とする共同研究「東南アジア地域文献の資料論的研究:ハンノム文献を中心として」に参加させていただいている。バンコクの寺院に伝わったベトナム語文献の料紙調査を行おうとするものである。

私は日本中世史の研究を志したのを発端として、これまでささやかながら研究を続けてきた。私が最初に勤務したのは滋賀県教育委員会で、文化財の調査や指定、修理に関わる業務を行ってきた。思い出深いのは、初めて本務として関わった文化財調査である大般若経調査である。諸先輩方に導かれ、地域の小さな神社やお堂に伝えられた虫に喰われた経典を開きながら、中世以前に遡る近江の文化財の豊富さに驚嘆したものである。ここが文化財の現場を渡り歩くスタートとなった。

次ぎに九州国立博物館に勤務することとなり、それまで馴染みの薄かった交流史を専門とする研究者とも知己をえることとなった。元来、アジアの国々にも興味津々ではありながら、身近なことからしか手を付けられない性格で日本史研究の道に入っていったが、ここに来て次々と新しい世界にも触れる機会を得た。博物館資料として、名古屋市・情妙寺所有のベトナム・ホイアンでの朱印船貿易を描いた著名な絵巻の類本の購入を担当し、これがきっかけでベトナムとも関わりを持つようになった。運良く特別展覧会「大ベトナム展」も担当させていただき、ベトナムと日本の外交文書の面白さにも気づくことができた。その後は、文化庁に移ることとなり、古文書等を担当して現在は文化財調査に明け暮れる日々を送っている。

ここに来て改めて振り返ってみると、興味と関心のおもむくまま、実に様々なことに手を出してきたものだと思う。どれもまだ到達目標は遠い先のものばかりであるが、ただいえるのは、そのようなことができたのは、一貫して文化財の現場に身を置いてきたからだと思う。文化財の世界では、研究の入り口はモノであり、出くわすモノを見過ごさないように絶えず心の間口は広げておかなければならない。ただし、美術や工芸の分野とは違って、文献史だと文字が読めないことには話にならない。幸い、漢字文化圏のベトナムの古文書研究にはベトナム史には全くの素人でも取り付く島があり、これまで学んできた日本古文書学や料紙研究の経験を応用することがある程度は可能であった。

冒頭に述べた共同研究には、ベトナム史の研究者と共に、私のような異分野の研究者もたくさん参加している。モノ研究という視点からだと、このように他分野の人たちが集っての共同作業が可能である。それはまた、自分のテリトリーを決め込んでしまうと体験できない刺激的なことでもある。このような学際的というか、萌芽的ともいえる研究を支援し、他分野の研究者も受け入れてくれるIPCR の懐の深さに感謝である。