I-2.「1930年代から50年代におけるバタヴィア・ジャカルタの華人商業ネットワークに関する研究」(平成25-26年度 FY2013-2014 継続)


  • 研究代表者:泉川 普(広島女学院大学・国際教養学部)
  • 共同研究者:水野広祐(京都大学・東南アジア研究所)
  • 北村由美(京都大学・付属図書館研究開発室)
  • 植村泰夫(広島大学・文学研究科)
  • 小座野八光(愛知県立大学・外国語学部)

研究概要

本研究は、インドネシア史上の転換期であった1930 年代〜50 年代におけるバタヴィア・ジャカルタの華人の商業ネットワークの実態を経済学(担当:水野)、社会学(担当:北村)、そして歴史学(担当:植村および小座野)による領域横断的なアプローチから分析し、同時期の都市社会の形成とネットワークとの相関関係を明らかにする。

そのため、共同研究者との文献サーヴェイおよび研究代表者による平成26年度7 月から9 月によるジャカルタ連絡事務所を拠点とした現地調査を進める。

詳細

本研究の目的は、インドネシア史の画期であった1930 年代~50年代のバタヴィア・ジャカルタの華人商業ネットワークについて検討することである。その際、オランダ語およびインドネシア語の文献調査のみならず、フィールドワークを行うことで、その実態に迫ることを試みる。

従来の華人研究では、社会関係に基づくネットワークを用いて、広域的なビジネスを展開したとされるが、その限界性についてはあまり触れられていない。そこで、本研究では、華人商人のネットワークがビジネスのどの場面で機能したのか、もしくは機能しなかったのか、他のグループ(ミナンカバウ人や日本人)との競争に際して、個々の華人商人たちに対して、このネットワークはどのような役割を果たしたのか、ということを通じて、社会関係に基づく華人商業ネットワークの機能および分析手法としての有効性を再考する意義を持つ。

研究対象とする時期に東南アジア各地では、植民地国家から国民国家体制への転換が見られたが、独立後の「国民国家」は、かつて植民地国家を支えていた華人商業ネットワークを「国民」の名の下で排除することができた。換言すれば、華人商業ネットワークの代替となるネットワークが登場したと想起できる。つまり、この実態を検討することは、バタヴィア・ジャカルタ史の多様性を経済面から明らかにすることにつながり、1930 年代~50 年代という「危機と変化」の時代の特性を考察する一助となる。


植民地期のピントゥ・クチール
出典:Batavia. Kali Pintoe Ketjil

現在のピントゥ・クチール
泉川撮影(2014 年9 月)