IV-13.「長い自己奪還の道のり─インドネシアの戦時性暴力被害者の戦後と地域社会─」(平成28年度 FY2016 新規)


  • 研究代表者:鈴木隆史(フリーランス研究者)
  • 共同研究者:松野明久(大阪大学・大阪大学国際公共政策研究科)
  •                      水野広祐(京都大学・東南アジア研究所)
  •                      内海愛子(大阪経済法科大学・アジア太平洋研究センター)
  •                      古沢希代子(東京女子大学・現代教養学部)

研究概要

本研究は、第二次大戦中日本軍が占領したインドネシアのスラウェシ島に生存する戦時性奴隷制(いわゆる「慰安婦」制度)のサバイバーが戦後どのようにトラウマと闘ってきたか、すなわち孤独や無力感との闘い、自分との和解、自己肯定感の獲得を経て、どのように自己を奪還してきたか、その軌跡を映像で描くものである。また、その自己奪還の過程に地域社会がどのように関与したかを追求することで、性奴隷制研究と地域研究を橋渡しする。

詳細

本研究グループは過去4 年間に渡ってインドネシア・南スラウェシ州における日本占領時代の性奴隷制に関する証言と資料を収集し、分析してきた。これまで出会ったサバイバー(あるいは被害者)は孤独であり、生活も厳しい。しかし、たくましさ、やさしさ、強い倫理観を持っていた。本研究では彼女たちの戦後の人生についての語りを集め(記録し)、出発点にある孤独や無力感、そしてそこから自分と和解し、自己肯定感の獲得に至る、すなわち自己を奪還する道のりをインドネシア・スラウェシ社会という特定の文脈において描き出す。

本研究の第一の意義は、被害の「その後」を描くことで、サバイバーの語りと記憶をその全体性において理解することへの道を開くことだ。被害に関する証言は全体のストーリーの一部、出発点である。第二の意義は、それを描くのに映像というメディアを用いることで、新たな表現方法を提示できることだ。第三の意義は、地域社会が自己奪還の過程にどのように関与したかを明らかにすることで、性奴隷制の研究と地域研究を橋渡しすることができるという点である。

戦時中の過酷な性暴力体験で傷ついたサバイバーが自己回復する軌跡を描く本研究は、必ずしも「慰安婦」制度の被害者に限らず、より広く性暴力サバイバーにとって実践的な意義がある。つまり、失われた社会との関係性を回復するためには告発や被害の認知が必要であることを浮き彫りにすることになる。

 


チンダさん。パレパレのウジュンバルにあった綿繰工場で母親と働かされた。13 歳だった。彼女はオケダという将校に工場の敷地内に隣接する慰安所に拉致され、強姦された。慰安所に捉えられいる間に両親は死亡。親族から追い出され、一人でお手伝いをしながらお金を貯め、お菓子を作って売り歩くようになった。現在、間借りをしているが、近所の人に自分の過去を話したところ、ベッド、コンロ、冷蔵庫などの中古の家具を持ってきてくれるようになった。

Uさんと二人の息子。Uさんは日本兵の息子。母は日本兵の性暴力被害者。日本が負けた時、母は妊娠6ヶ月だった。Uさんの父親は彼女に自分の名前「U」を子供につけるようにと言って帰った。彼は叔母に育てられ、子供の時に日本兵の子供だと知らされた。結婚し、妻と3 人の子供と一緒に暮らす。一度でいいから父とその家族に会いたいと語る。日本に家族がいることは誇りでもあると妻は語る。