V-2.「近現代ベトナムにおける伝統医学の形成」(令和3年度 FY2021 新規)


  • 研究代表者:小田なら(東京外国語大学・世界言語社会教育センター)

研究概要

本書は、20 世紀のベトナムにおいて伝統医学が中国医学の影響や西洋医学との競合のもとで独自の医療体系として形成され、社会に浸透していった歴史的経緯を解明するものである。植民地期、南北分断・統一を経た複数のベトナムの国家権力が、それぞれ伝統医学を「制度化」し、国家の医療制度に組み込もうとしてきた過程を跡づけるとともに、その「制度化」から排除された知識や実践についても検討することで、20 世紀以降のベトナムの伝統医学全体の構造を描写する。

詳細

本書の刊行の目的は、ベトナムの伝統医学について初めて通史として広く公開することにある。とりわけ、分断期の南北ベトナムの両方を含めて詳細を論じた通史的研究は国外においても類例がなく、学術的な意義が大きい。

これまでの研究では、ベトナムの伝統医学はナショナリズムの高揚とともに、旧宗主国フランスをはじめとする西洋や、隣接する中国の医学との対抗関係から生まれたと説明されてきた。しかし、公的医療に取り込まれたベトナムの伝統医学は、中国由来の薬(北薬)とベトナムの薬(南薬)を含んだ実践であり、さらに、「民族医学」「東医」「伝統医学」という複数の呼称を持つ。こうした複合的な状況は、従来の単線的な叙述では捉えることができない。

これに対し、本書ではフランス植民地時代、1945 年の独立から南北分断期にかけての北ベトナム、南北分断期の南ベトナム、 1976 年の南北統一後、1986 年のドイモイ以降の現代ベトナムという時代区分を設け、史料とインタビュー調査に基づき、ベトナムの伝統医療の制度と概念の形成過程を実証した。「民族の伝統」が長いたたかいの中でも維持・保護されてきたとするベトナムの公的史観を相対化した本書は、狭義の「医療史」にとどまらず、新たなベトナム史・ベトナム地域研究の理解を世に問うことができる。この事例は今後の地域間比較にとどまらず、現在グローバルに問われている医療への国家の介入や、人々の医療技術への信頼についての再考にも寄与しうると考える。

 


ホーチミン市で伝統医学を専門とする診療所。ここで診察している華人の2 代目の医者は、父を手伝いながら研鑽を積んだ。

フエ医科大学で伝統医学を学ぶ医学生。入学まで伝統医学に馴染みのなかった学生も多い。