VI-1.「ベトナム南中部ラグライ人社会における祖先霊供犠の動態──母系論理の維持に着目して」(令和3年度 FY2021 新規)


  • 研究代表者:康 陽球(東京外国語大学・アジア・アフリカ言語文化研究所)

研究概要

ベトナム南中部、ニントゥアン省バクアイ県に住むラグライ人は、政府主導のダム建設によって 2005 年に移住を余儀なくされた。その結果、人々は生業形態の急激な変化を経験している。この変化に伴って、人々はこれまで信仰してきた精霊や祖霊に対する供犠の形式を変化させている。本研究では、そのなかでも母系出自集団の成員が共同で開催する祖霊に対する供犠の近年の動態をとりあげ、祖先の土地を離れ賃金労働に勤しむラグライの人々にとって、母系出自集団と祖霊への供犠がいかなる意味をもっているのかを考察する。

詳細

本研究の目的は、現代のラグライ人にとって、母系出自集団と祖霊への供犠がいかなる意義をもっているのかを明らかにすることである。ラグライ人社会において、母系出自集団の成員間のつながりは、血縁だけでなく、祖先の財の継承、姻戚間の贈与、人生儀礼、祖霊への供犠といった多様な実践を通して構築・維持されてきた。2005 年の移住をきっかけに、人々は費用がかさむ祖霊への供犠を一斉に廃止する決断をしたが、現在も、厄災からの保護と経済活動の円滑化を求めて、母系出自集団の成員が共同で祖霊への供犠を度々開催している。人々は現在、祖霊への供犠を通して、産出を促進する力を得ようとしていると推測できる。本研究では、祖霊への供犠がラグライ人に産出の力を与えるメカニズムを、母系出自集団を構築する諸実践に通底する生産や所有に関するローカルな論理に着目して明らかにする。

本研究の独自性は、祖霊信仰の変容を、親族関係の構築過程および生産や所有に関わるローカルな論理との関連から理解しようとする点にある。このようなアプローチは、当該社会における力の構成とその統制のメカニズムを、他の社会の類似した実践と比較可能な形で提示することを可能にし、東南アジア地域の力の概念に関する理解を発展させる。また、本研究が達成されると、祖霊信仰の変容が、伝統の喪失やアイデンティティの表象ではなく、力の根拠を賭けた政治的選択でもあることを指摘でき、ベトナムにおける国家と少数民族の緊張関係を理解することにつながる。

 


母系出自集団による儀礼。

死者の魂が宿る食器と壺。祖先が築いた財として次世代に継承される。