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Makiko Wakai 若井 真木子
Makiko Wakai
若井 真木子
山形国際ドキュメンタリー映画祭・東京事務局
アジアの若手作家を応援する「アジア千波万波」
プログラムコーディネーター
プロジェクトのテーマ
アサヒからアブカイへ:ビデオアーカイブ・プロジェクト
プロジェクト概要
1980年代に山形県に嫁いで来たフィリピン人女性たちのルーツをフィリピンにた どり、故郷の村に住む兄弟や親戚の人たちのオーラルヒストリーをビデオで記録し、
アーカイブにするビデオ・プロジェクト。
研修国
フィリピン
自己紹介
大学在学中に映像の力に魅了され、個人史を映像で記録すること、特にメディアや大きな社会の枠で消されがちな市井の人々の多彩な個人史に興味を持つようになりました。「慰安婦」にされた女性たちの証言を記録していくビデオ・アクティビズムに関わるようになり、本格的に映画学を学びに、アイルランドに留学しました。そこで、大学時代の恩師からの紹介で、アイルランド農村の「マッチメーキング・フェスティバル」を調査に来た日本人研究者グループの通訳・コーディネータを行い、その1人が、「国際結婚」に長く関わっている女性で、帰国後一緒にドキュメンタリーを製作することになりました。
日本でいわゆる「嫁不足」のため、市町村主体でアジアの女性と日本の男性の「集団見合い」が始まってから、20年以上たちました。80年代、その先がけだった山形県の町にはフィリピンの同じ町から女性たちが集団で嫁ぎ、メディアがセンセーショナルに報道し、多くの議論を巻き起こしました。当時18歳で嫁いで来た女性も、今では娘がその年を追い越しました。2003年当時、娘が高校二年生だった時、子供の目を通して「国際結婚」を記録しようと、アイルランドで出会った女性と一緒にカメラで撮影を始めました。帰国後、山形国際ドキュメンタリー映画祭にスタッフとして働き出した事もあり、山形に行く機会も増え、数えきれない撮影の過程で、その町の家族だけではなく、山形県の他の市町村に嫁いだ女性たち、その家族に出会いました。
長年かけて様々な語りを記録する中で、翻って、彼女たちのフィリピンの家族は、「国際結婚」をどのように見ているのかを理解したい、しなければと思うようになりました。年に数回はフィリピンの故郷に帰り、経済的に支援する反面、彼女たちを頼って、日本に出稼ぎに来たり、嫁ぐケースも少なくありません。日本の一家族を中心にしたドキュメンタリー製作の過程で日本在住のフィリピン人女性、子供や日本人の夫たちの語りが映像として蓄積されてきました。今回は、フィリピンの彼女たちの故郷へ行き、地元の人々の思いをビデオで記録し、生きた「オラルヒストリー」を紡ぐことが目的です。ビデオアーカイブを重ねていくことで、日本とフィリピンの過去と現在がつながり、また、個人の語りから「国際結婚」の姿が見えるのではないかと考えています。