The Nippon Foundation Fellowships for Asian Public Intellectuals


Motoko Kawano 河野 元子

河野 元子

Motoko Kawano
河野 元子

政策研究大学院大学 
助教授

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プロジェクトのテーマ

イカン・ビリス(アンチョビ)、民族関係、国家:水産資源の利用からマレーシア50年間の社会変化を考える

プロジェクト概要

ビリスの生産・流通・消費をめぐるマレー系と華人の民族間関係の変容を探りながら、漁村社会の再編過程を明らかにし、マレーシアの特質を見出す。主な研究手法は、政府機関・大学等における資料調査とトレガヌ州での現地調査である。

研修国

マレーシア

自己紹介

 私のしごとは、比較政治経済、政治経済史および地域研究という3つの領域を柱とした研究および教育です。現在の研究テーマとなると、東南アジア新興国の政治・経済の相互作用の研究、具体的には、アジア経済危機後の政治経済パフォーマンスとか、ゴム産業発展をめぐる政治と社会とか、大学院時代から続けているマレーシアにおける経済成長と政治の地域間比較とか、いわゆる現代研究、一方で現代直面する問題を理解するための歴史研究になります。中心は現代研究ですが、通底するのは開発/発展と政治への関心です。大学院で行っている授業も”Comparative Development Studies of Asia”と「ディベロプメント」に縁があります。

 つい最近(2015年3月末)、京大名誉教授坪内良博先生と海峡植民地年次報告書統計集(イギリス統治時代のシンガポール、マラッカ、ペナンの19世紀末から第二次世界大戦前)をとりあえず仕上げました。一種のデータベースづくりを目標とした地味な作業です。歴史しかも基礎的研究のためにとれる時間は限られていて、長い歳月がかかりました。本来このような仕事は終わりがないのかもしれません。ただ今回のものは助成期日の関係で積み残しがあって、あくまで暫定版です。全体の改定作業、グラフの挿入、日英対応の体裁にして増補改訂版を今年度中に完成させる予定です。

 統計集が印刷所から納品され手にとったとき、一里塚にたどり着いたなと安堵すると同時に、餅屋は餅屋なのだろう、と歴史好き、資料好き、数字好きの自分を再確認することになりました。というのも、本来、大学では日本史を専攻し、その後自治体史編纂に関わった後、大学院で日本近世の社会経済史について学んだからです。「書くこと」に蓄積をもつ日本では、現在においても和紙に墨で書かれた古文書が保存され、時に屋根裏にひっそりと眠っています。文書調査とはいえ古文書を伝えてきた人々とのつきあいがあってこそ調査は進むもので、まさに私にとってのフィールド・ワークの原点です。当時の指導教官からは、過去の記憶・遺産を発見し、次世代に運ぶことを第1の仕事に、第2が整理した古文書を活字化する史料集づくり、そして、第3に自分の考えを主張する論文執筆をルーチン・ワークとするよう教えられ、多くの時間を文書整理と史料集づくりに費やすことになりました。日本、東南アジアと違えども、期せずして今回よく似た作業をやりながら、史資料(アーカイブ)をいかに遺していくのか、いかに使えるようにするのか、アーカイブのもつ命のようなものをあらためて思ったりしています。今後、細々とでも取り組んで行くしごとの一つになるでしょう。

 APIでの活動は、日本経済史研究を離れ東南アジア研究を学びはじめた2年後に開始しました。なぜ東南アジアへとたびたび尋ねられました。歴史学とくに日本の歴史研究(経済史はそこまできつくはなかったのですが)では、研究する時代の枠、地域、他の学問領域を横断することは「踏み絵」を踏むような難しさがあること、幾つかの偶然に突き動かされ、人生一度だから、とそれまでと風土も社会も文化も異なる東南アジアの海域世界を五感で学ぶことを志したこと、そのため今一度大学院の門をたたいたの、とお話したものです。機会を得ることができて、生まれてはじめての一人での海外調査がはじまりました。着目したのは、マレー半島で大量・多様に利用されているイカン・ビリス(ジャコ)の生産・流通・消費をめぐる社会経済関係で、このテーマで、修士論文(一貫性大学院のため予備論文とよばれる)を仕上げました。

 さらに、このトピックを発展させるかたちで、マレー半島東海岸トレンガヌ漁村での本格的なフィールド・ワークを開始することになりました。博士論文のためのマレーシアでの調査は、ゆうに3年を越えてしまいました。調査が可能になったのは、APIに縁をいただけたことが大きかったと思います。長期滞在の要因のひとつに、熱帯性皮膚疾患のために療養しなければならなかったことがありました。幸か不幸か、身体が自由に動けない中で研究関心の洗い直しをすることになりました。当初設定した研究課題を横におき、今、現場で何が起きているのか?何が問題なのか?そして、村ばかりでなくマレーシアを理解するためには何が重要なのか?とフィールド・ノートを読み返し、文献を読み、自問自答を繰り返したのです。体調が回復した後は「新しい目」で現地を歩き、その結果、「開発と政治」という博士論文のテーマにたどり着いたのでした。これが現在の研究に直接流れ込んでいくわけです。ただ情けないことに、博士論文をベースにした本づくりという大しごとは忸怩足る思いがあって果たせていません。しかし、もうそろそろ踏ん切りをつけなければ、そうしないと書庫の一角に眠ったままになり、後に私の越し方を振り返ったとき間違いなく悔やむだろう、という煩悶が今、ひたひたと押し寄せてきています。直接寄り添える時間は永遠ではないからです。至近のしごとに目途がたったならば、いざ行かん、です。

 さらに、いつも心の隅に在るのが、トレンガヌ漁村で集めた調査前期のデータの多くを活字にしていないことです。テーマが大きくかわったためですが、お世話になった地元への還元がまだということになります。民族誌のようなもの、もしくは研究書とは違うようなものとして、形にしていければと思うことしばしばです。およそこの仕事が終わってはじめて、APIに申請したプロポーザルのミッションはそれなりの完成をみるのかもしれません。

 (2015年4月)