サラワク調査レポート:異分野・他領域研究者との華人研究の可能性について
市川哲(立教大学 観光学部)
報告者はこれまでサラワクの華人を対象とし、特に華人と先住民との間の経済活動や婚姻関係、養子関係等に注目した調査を行ってきた。このレポートでは報告者のこれまでの華人を対象とした調査経験から、文理融合的なチームによる調査の特徴について述べてみたい。
今回の調査で一番の収穫であったのは、異なる分野の研究者とチームを組んで行う調査の可能性である。報告者に限らず、ほとんどの人文社会科学系の研究者は単独でフィールドワークを行うことが多い。単独で行う調査には、単独でなければ得られない情報や経験があるため、大変有効な調査方法であるといえる。また人文社会科学系の研究を行う限りでは、基本的に大人数で調査チームを編成することはなく、もしそのようなことがあっても、それは首都や調査地の都市部を訪問する段階までで、それ以降、よりインテンシブな調査を行う場合は個人プレーになることが一般的であった。そのため今回のように文系・理系の異なる学問分野を専門とする研究者とともに、常に10人前後のチームで調査地を訪問するという調査スタイルは報告者にとって初めての経験であった。実際に調査チームに参加する以前は、はたしてどのような調査になるのか、多少の不安もあった。だが実際には、石川先生、祖田先生をはじめとする方々のお力により、大変有意義な、得難い経験をすることが出来た。
華人を対象とした調査という観点から見ると、チームで行う調査の利点としてあげられるのは、調査協力者から警戒されることが意外と少ないということである。非常に単純なレベルの話であるが、サラワクで華人を対象として個人で調査を行うと、警戒されることが多く、飛び込みでの調査はなかなか受け入れられないということが現実問題としてしばしば起こる。もちろん知人の紹介等を通して面会すれば警戒されることはないので、報告者を始め多くの華人研究者は、まず何らかのつてを頼って調査地に入ることが多い。またサラワクに限らず、マレーシアの華人は主に都市でビジネスを行う人々が多いため、個人での飛び込み調査には限界があることは、ある程度仕方ないことではある。そのような経験から、報告者は今回のように10人前後のチームでの調査を行った場合、各調査地で出会う華人たちに警戒されないかどうか心配していたが、それは杞憂であった。むしろ単独で動き回り、店のオーナー等に話しかける、いわゆる飛び込み調査のスタイルよりも、はるかに好意的に接してもらうことが出来た。これは明らかに日本人と分かる人々が10人前後で移動するのを見た場合、警戒心よりも好奇心を強く持つためなのかもしれない。そのため、これまでのように単独で動き回っていた際には得られなかったような情報、特に河川上流域における華人コミュニティの現状や、華人と先住民との関係等について知ることが出来た。
これは調査テーマの本質とは関係のないことであるが、今回の調査では、このようにチームでの調査の特徴について考えさせられる事が多かった。そのため、以下ではそうした発見と今後の調査の可能性について書きたい。
①華人と他民族との交流について
本調査で特に収穫があったのは、他分野の研究者とともに調査することにより、華人と他の先住民との相互関係に関する知見を得ることが出来たことである。マレーやイバン、プナンといった先住民を対象とした調査を行ってきた研究者とともにビントゥルやタタウ、サガンといった都市や、Anap Muputの伐採場、イバンのロングハウス、Kakusのツバメが営巣する洞窟等を共に訪問することにより、これまであまり知ることがなかった華人と先住民の交流パターンや、先住民からの華人観といったものを知ることが出来た。今回の調査では直接、華人と先住民の交流等を参与観察したり、聞き取りによって包括的なデータを集めたりすることこそできなかったが、今後、当該地域で調査を進めるに当たり、有益な情報やアドバイスを受けることが出来たのは大変有益であった。
都市部の商店や企業、学校等で、華人が他の先住民と交流することはサラワクに限らず、マレーシアではごく一般的な現象である。このような公的な場面や経済活動に関わる場面では、マレーシアの異なる民族集団は相互に分離しているわけではない。だが、それ以外の場面、例えば日常的な生活の場では、それぞれの民族集団は驚くほど交流がないというのも事実である。実際に(筆者を含めて)マレーシアの各民族集団を調査対象とする研究者は、自己が調査対象とする民族集団以外の人々についてはなかなか知るチャンスがない。このような、自己の研究対象以外の民族集団に関する詳細かつ専門的な知識を得るのは、マレーシアに限らず、多民族社会を研究する人文社会科学系研究者が等しく抱える困難であるといえよう。だがマレーシア社会、あるいはもっと限定してサラワク社会を理解するためには、特定の民族集団を対象とした調査・研究を行うと共に、それら複数の民族集団や地域社会がいかなる関係の中に置かれているのかを理解することは重要な研究テーマだと思われる。このような調査上の困難を乗り越えるために、他の民族集団を対象とした調査・研究を行っている研究者と、「共同研究」ではなく「共同調査」を行うという手法は、大変優れているということを実感した。
②河川上流の華人のコミュニティと活動について
今回の調査では、サラワクの内陸部、特に河川上流域における華人の活動やコミュニティを対象とする調査のきっかけを得ることもできた。今回の調査では筆者は途中参加であったため、ジュラロン川上流域の訪問に同行することが出来なかった。だが調査に参加したメンバーからは、ロングハウスの中に居住している華人の存在について聞くことが出来た。このように、都市や華人集住地域を離れ、先住民のコミュニティに入って行く華人の存在については、断片的な情報があるのみであり、包括的な研究は皆無に等しい。このような先住民コミュニティの中で生活する華人を対象とした調査・研究は、サラワクにおける華人社会の地域的特徴を理解するための大変興味深い事例となると思われる。
これまでのサラワク華人社会を対象とした先行研究の多くも、沿岸部や都市部と内陸部を河川流域に居住する様々な民族集団が媒介していること、そしてその中で華人が果たす役割に注目してきた。しかし先行研究の多くは歴史的な記述が多く、サラワクの河川流域で華人がいかなる活動を行ってきたか、またどのような生活を送っているのかといった現代的な問題を扱うものは少なかった。だがサラワクにおける華人社会の地域的特色を理解するためには、大規模な華人コミュニティが存在する都市部だけでなく、先住民と様々な形で交流する機会が多い河川の上流域の比較的小規模な華人社会を調査することは有効な手法であると思われる。特定の河川流域を調査地とし、そこを異なる専門分野の複数の研究者がそれぞれのディシプリンと問題意識に従って調査するという本研究プロジェクトは、サラワクにおける華人研究にとっても重要な切り口となると思われる。
③「混血」華人の存在について
今回の調査では、両親に華人と先住民を共に持つ方や、幼少時に華人の家庭に養子に取られた先住民の方とお会いすることが出来た。このような、いわゆる「混血華人」や、華人の養子となった先住民を視野に入れた研究の可能性を見出すことが出来たのも今回の調査の大きな収穫であった。例えばサガンで出会ったある男性の母親はイバンの女性だが、父親は中国出身の第一世代であり、男性もイバン語に加え、福建語を話すことが出来るとのことであった。またKakusでツバメの巣を管理する華人として紹介された男性は、イバン人の両親のもとに生まれたが、幼少時に華人の家庭に引き取られ、華人として成長したとのことであった。これらの方々以外にも、今回の調査では何人かのいわゆる「混血」の華人の方々とお会いした。このような方々はサラワクでは特段珍しくはないが、それでも一週間程度の期間でこのように頻繁に「混血」の方や、華人に養子に採られた先住民の方とお会いした報告者にとっては初めての経験であった。
また前述のように、ジュラロン川上流域への合同調査に参加した方々の話からは、婚姻により先住民のロングハウスで居住する華人が何人か存在し、さらには先住民と華人の両親を持つ、いわゆる「混血」の方も存在するとのことであった。このような方々は、クムナ川流域やジュラロン川流域ではそれほど珍しくないとのことであり、今後、華人と先住民との相互関係や、サラワクにおける華人の現地化の過程を調査するためには、これらの方々を対象とした調査も興味深いのではないかと考えた。
半島部のプラナカンと呼ばれる人々や、サバのシノ・カダザンと呼ばれる人々と比較した場合、サラワクにおける混血の華人の存在についてはこれまであまり注目されず、先行研究でも言及されることが少なかった。だが華人と他の民族集団との地域的な交流パターンの特徴を知るためには、このような華人と先住民を共に両親に持つ人々への注目は有効な調査方法の一つであると思われる。このような華人と先住民を共に両親に持つ人々を対象とした調査・研究の可能性を見出すことが出来た。
④サラワク域外との関係について
報告者はマレーシア研究を本格的に開始する以前、パプアニューギニアで現地調査を行ってきた。現在、パプアニューギニアには中国やインドネシアといった東・東南アジア諸国から中国系移民が流入してきているが、中でも目立つのがマレーシア華人であった。この時の経験から、マレーシア華人のトランスナショナルな活動に関心を持っていたが、今回の調査ではヒトの移動だけでなく、モノの移動もマレーシア華人のトランスナショナルな活動を理解するための一つの手がかりになると思われた。
マレーシア華人が関わるモノのトランスナショナルな流通の代表例が、上述したツバメの巣である。ツバメの巣は中華料理の食材として珍重されることはよく知られているが、ツバメの巣自体が採集できる地域は中国国内にはそれほどないため、大部分が中国国外で入手されることとなる。このような、サラワクと域外社会をとむすぶ商品としてのツバメの巣には以前から興味があり、都市部の販売店で話を聞いたりもしたが、実際にどのようにして採集され、流通するのかを調べることはなかった。だが今回は他の専門分野の研究者とともに共同でツバメの巣に関する調査を行うことが出来た。特に華人が他の民族集団といかなる関係を保持しているのかを調査する方向性を見出せたのは大きな収穫であった。Kakusを訪問した際には実際に巣が採集される洞窟を実見することが出来ただけでなく、現地のPunan Kakusの人々がツバメが巣を作る洞窟をどのように所有・利用しているのか、また華人がいかにして持続的に巣を採集するために管理しているのか、といったことを知れたのは有益であった。これまで東南アジアにおけるツバメの巣の採集や流通、消費といったテーマに関する現地調査に基づく民族誌的な報告は非常に少なかった。だがサラワクにおける複数の民族集団の相互関係や、サラワクと域外社会との関係に注目する際には、ツバメの巣のような複数の民族集団や地域社会が採集や流通、消費に関わる物品に注目することは大変有効な切り口なのではないかと思われる。
以上、ここでは四点をあげたが、今後の調査によってはさらに多くの研究テーマが見つかると思われる。このような「流域」という特定の地理的範囲の中で、異なる専門分野の研究者が合同で調査することは、サラワク華人社会、さらにマレーシア全体の華人社会を研究する上でも重要な示唆を与えると思われる。
マレーシア華人社会を対象とした先行研究は圧倒的に半島部のものが多く、サバ・サラワクを対象とするものは少なかった。だがT’ien Ju-Kangの古典的な調査やDaniel ChewやDanny Wongの歴史的なモノグラフ等、東マレーシアの華人研究にも興味深いものが存在する。マレーシア研究の中ではこれまでも、中国とは異なるマレーシアにおける華人の現地というテーマが盛んに研究されてきた。だがサバやサラワクといった東マレーシアにおける華人が、他の民族集団とどのようにして交流してきたのかに関する研究は非常に少なかった。確かにクチンやシブといった大都市では華人は独自のコミュニティを形成し、華人を中心とした社会生活を送っている人々も存在する。だが半島とは異なる地理的・歴史的背景を持ち、民族構成も異なるサラワクにおける華人が、他の民族集団といかなる交渉の過程におかれているのかを研究することは、サラワクの地域研究のみならず、マレーシア研究そのものにも益することが多いのであろう。今回の調査への参加は、このような東マレーシアにおける華人社会を対象とする研究の可能性について改めて考え直す契機となった。