河川水質を通して知りたいこと 福島 慶太郎

河川水質を通して知りたいことーKemena・Tatau流域の水質調査報告

福島 慶太郎(京都大学 フィールド科学教育研究センター)

 河川水質は、採取地点より上流の流域環境を知る有効な指標として用いられる。たとえば、Ca2+(カルシウムイオン)やMg2+(マグネシウムイオン)、Si(ケイ素)の濃度は地質を、N(窒素)やP(リン)の濃度は農地や宅地といった土地利用を、Cl(塩化物イオン)濃度は海からの距離を反映する。特殊な物質を排出する鉱山や特定の工場も、その物質の点源として河川水質を形成する。また、森林伐採や農地・宅地化などの土地利用改変の影響や、植物の成長や農地への施肥などの季節的な変化も水質に現れる。したがって、同一地点で時系列的に水質を調べれば当該流域の土地利用の変遷を評価することができる。
 そして河川に生息する生物や河口付近の沿岸・海洋域の生物の生産性や生存は、河川水質と密接に関わっており、水質が内水面・沿岸漁業の成否を決定している。また、流域内に生活する人間にとっても飲料水や農工業用水などとして河川水を利用する。そのため河川水質の保全と監視が、人間の生存基盤確保のためには必要不可欠といえる。河川水質の調査が、流域生態系の健康診断と形容されるのは、人間でいう尿検査のように、水質から流域に関する様々な環境情報を併せ持ち、水質が悪化した場合にその原因とそれによる人間生活への影響をある程度推測できるからである。
 マレーシア・サラワク州では、ここ数十年の間、次々に熱帯林がアカシアやオイルパームのプランテーションに変換されてきた。その背景には、狩猟採取・漁労・焼畑耕作などの伝統的な営みの中に、経済効率を重視した資本主義経済が拡大してきたことが挙げられる。このような急激な土地利用変化が河川水質にどのような影響を与えるのだろうか?本研究では
(1)Kemena流域とTatau流域内に分布する様々な土地利用履歴を持つ支流河川の水質調査を行い、各土地利用が形成する水質を把握すること
(2)河川の上流から下流までの水質変化を把握し、変化の原因を明らかにすること
を目的とした。特に今回着目する水質項目は、NO3(硝酸イオン)、DOC(溶存態有機炭素)、SS(懸濁態物質)の3つであり、それぞれの項目から窺い知れる情報について、以下に紹介する。
 
1)硝酸イオン(NO3
 一般に熱帯や温帯の森林の土壌には、植物の利用できるN(NO3やNH4+[アンモニウムイオン])が少なく、植物成長の制限要因となっている。土壌は負に帯電した粘土コロイドによって、同じ負に帯電したNO3の土壌保持力は小さいが、植物による吸収によって森林生態系外へと流出するNO3は少ない。したがって、一度森林が伐採されると、吸収源である植物が無くなるほか、有機物の分解が促進されて土壌中にNO3が多量に生成されるため、 河川に一時的に多量のNO3が流出する。この現象は、森林が再成立するにしたがって次第に回復するが、土壌の大規模攪乱などを伴う伐採や天然林からのプランテーション化などの劇的な植生改変が行われる場合は、元の状態に戻るまでに長期間要するか、あるいは以前とは異なる平衡状態に移行すると考えられる。NO3の流出は他にも、農地やプランテーションにおける窒素施肥の影響も多分に受ける。日本では下流に行くに従って農地や市街地が増えるのでNO3濃度が上昇する傾向がみられる。それに対して、マレーシアでは河川源頭域でさえオイルパームやアカシアのプランテーションとなっていることもあるため、流域河川のNO3濃度分布が日本のそれとは大きく異なる可能性がある。また、河川中のNO3を森林伐採によって生成された土壌有機物由来のものと、人為的な施肥由来のものとに分離することが極めて困難である。そこでNO3の起源推定に極めて有効とされているNO3のNとOの同位体比(δ15N-NO3, δ18O-NO3 注1)を用いることとした。 図1で示されているように、河川水中に含まれるNO3は降水由来であったり、土壌有機物の分解生成物由来であったり、人為的に合成された窒素肥料由来であったりと、様々である。さらに還元的な条件下ではNO3がガス態のN2OやN2にまで還元されて放出される脱窒反応が知られており、NO3の挙動は極めて複雑である。これをNO3のδ15N、δ18Oの多寡の組み合わせで起源を推定することができ、河川水質の汚濁指標として注目されている。

図1(a) NO3-の各起源におけるδ15N,δ18Oの取りうる値の範囲Kendall (1998)を書き直した。/ Figure 1(a). Isotopic signatures for different NO3- sources. From Kendall (1998).
図1(a) NO3の各起源におけるδ15N,δ18Oの取りうる値の範囲Kendall (1998)を書き直した。

図1(b)  (a)をもとにNO3-のδ15N,δ18Oの相対的な量的関係を模式的に示した図
河川に流出するNO3-の濃度とN,Oの同位体組成から流出起源を推定する。/ Figure 1(b). Schematic diagram of a qualitative relationship of δ15N and δ18O of NO3- in different sources based on (a). We analyze the source of NO3- in river water using δ15N and δ18O of atmospheric and overland NO3-
図1(b) (a)をもとにNO3のδ15N,δ18Oの相対的な量的関係を模式的に示した図。河川に流出するNO3の濃度とN,Oの同位体組成から流出起源を推定する。


 本研究では、NO3濃度と同位体比を組み合わせることで、Kemena流域・Tatau流域の河川水質の空間分布を把握し、森林タイプ(原生的な天然林、二次林、アカシアプランテーション、オイルパームプランテーション、湿地林など)や土地利用(農地、市街地など)とNO3濃度との関係を明らかにする。また、NO3濃度の河川流下に伴う変化の要因を同位体比を使って推定する。さらに、河川上流域の源流部に着目して、プランテーションの林齢構成や施業履歴とNO3の関係を明らかにし、森林管理による河川水質への影響を予測するモデルの構築を目指す。

2)溶存態有機炭素(DOC)  
 次に着目する水質項目は、水に溶けている有機物、すなわち溶存有機物(Dissolved Organic Matter; DOM)である。河川を通じて陸域から海域へと流出するDOM中の炭素と窒素(溶存有機態炭素・窒素、Dissolved Organic Carbon・Nitrogen; DOC・DON)は、全球的な炭素循環・窒素循環においても無視できない量であるとされている。また、DOM にはFe(鉄)などの金属イオンと錯体を形成する画分が含まれており、本来なら水中で酸化して沈殿するFeが、DOMとともに水に溶けた状態で存在することができる。この溶存鉄が淡水や海水中の一次生産者・植物プランクトンの重要な栄養素であり、水産資源を支えていることが報告されている。DOMは主に土壌中に含まれる有機物由来の腐植物質が起源とされている。しかしながら、その構造は非常に複雑である上に、河川中でも生物活動によって生成・消費されていることも報告されており、DOMの挙動についてはいまだ多くの点が不明である。本研究では、河川中のDOCとDONの濃度を測定するだけでなく、DOMの光学的特性を調べて有機物の質的な評価も合わせて行う(図2)。これにより、各森林タイプから流出する河川のDOMの特性を把握し、それらが合流して海まで流下していくまでの変質過程を明らかにできる。多様な森林タイプを有し、湿地も点在するKemena川やTatau川のDOMが一体どのように形成されているのか、非常に興味深いテーマである。


図2 河川中の溶存態有機物の質的評価を可能にする3次元励起蛍光特性の分析と,複数の蛍光波長ピークを統計的に分離する方法(Parallel Factor Analysis; PARAFAC)の模式図 
DOCやDONの濃度に加え,PARAFACにより分離された異なる蛍光特性を持つDOM相互の強度比等を解析することで,DOMの質的相違を検討できる。 / Figure 2 Three- dimension fluorescence excitation-emission matrix (3D-EEM) of DOM in river water, and parallel factor analysis (PARAFAC). The combination of 3D-EEM spectroscopy and PARAFAC as well as the concentrations of DOM can make both quantitative and qualitative evaluations of DOM. 図2 河川中の溶存態有機物の質的評価を可能にする3次元励起蛍光特性の分析と,複数の蛍光波長ピークを統計的に分離する方法(Parallel Factor Analysis; PARAFAC)の模式図    DOCやDONの濃度に加え,PARAFACにより分離された異なる蛍光特性を持つDOM相互の強度比等を解析することで,DOMの質的相違を検討できる。


3) 懸濁態物質(SS)
 最後に、河川水の濁り成分である懸濁態物質(Suspended Solids; SS)について紹介する。イオンやDOMを測定する際には、水を0.45µmのフィルターでろ過をするのが一般的であるが、SSはその濾紙上に残ったものの総体である。したがって、粗大な有機物から粘土などの無機物まで様々な物質で構成されており、その構成を明らかにすることでSSの起源推定を行うことができる。本研究では、Kemena流域・Tatau流域のSS濃度の空間分布を把握することに加え、SSの炭素・窒素濃度および同位体比(δ13C, δ15N)を測定し、各森林タイプでのSSの質的特徴を明らかにし、Kemena川・Tatau川のSSの起源を明らかにしようと考えている。森林土壌や湿地などを通過すればSSの有機物画分が相対的に多くなる一方、河岸浸食などが起こっている地域からは無機態画分が多くなると考えられる。各河川の下流に広がる濁りがどういったものから形成されており、それがどこからきているものかを知る手掛かりとなるだろう。

最後に
   Kemena流域・Tatau流域では、原生林、二次林、泥炭湿地林、アカシアプランテーション、オイルパームプランテーション、乾燥二次林など景観要素は様々であり、また今なお土地利用の大規模な改変が進行している。河川水質による健康診断の結果、”要改善”と出た土地利用方法に対しては、その原因をきちんと示し、処方箋を出して経過観察をしっかりとしていかなくてはならない。さもなくば、持続可能な開発神話のみが先行して、かつて日本の公害問題にあったような重篤な病気の前兆を見落とし、二度と元には戻らない状態にまで進行してしまう可能性があることを肝に銘じておかなくてはならない。河川水質は、当該地域の社会経済活動と密接に関連して変動するため、経済開発の拡大によって生活基盤の一つである河川の水質が悪化して足元をすくわれることがないよう、河川水質形成の要因解明と土地利用改変に伴う水質変化を明らかにすることが喫緊の課題といえる。

調査概要報告
 2010年はクチンでの会議に参加しただけで、水質調査を徳地さんに丸投げてしまったので、2011年8月が自分にとって初めての海外調査であった。現場で河川水を取ってpH、EC(電気伝導度)を測定すること自体は日本での調査と何ら変わりないことであるが、コーヒー牛乳を連想するほど茶色に濁った河川水、醤油かと思うほどのブラックウォーター…、とんでもない色の水が次々に溜まっていく様子は何とも異様だ。採水地点間の移動においても、鬱蒼とした泥炭湿地林内の川をボートで進んだり、全く代わり映えのしない地平線一面のプランテーションの中をもうもうと砂塵をあげて突っ走ったり、ランクルの荷台に乗せられて伐採機材や食材と渾然一体になりながらあたかも安全バーのないジェットコースターのように凸凹の林道を時速60キロですっ飛ばしたりと、日本とは全く異なる状況に五感が大層刺激された。現場で取った水は、宿泊場所に持ち帰って夜な夜な濾過作業をすることになるが、その濁りゆえに濾過作業は一際しんどかった。このように現場で苦労して取ったものはまだただの“サンプル”であり、帰国して後、少しばかりご機嫌斜めな複数の分析機械で化学分析を行って、ようやく水質データとなる。すなわち、サンプリングからデータを得るまでには、だいぶ時間とお金を費やすことになる。
 2010年8月では、Kemena川の特に上流部のJelalong川を中心とした調査を行ったが、今回(2011年8月)はもっといろいろな土地利用に着目するため、複数の支流に入って調査を行うこととした。Kemena流域では、Kemena本流河川に注ぐ泥炭湿地林が主体のPandan川、Binyo川流域や、Sarawak Planted Forest (SPF)社のアカシアプランテーションや天然林保全地区内の河川、Keresa社の管理するオイルパームプランテーション内の河川で水を採取した。またKemena川流下過程での水質変化を把握するためにTubau、Pandan、Sebauhなどの地点で河川水を採取した。Tatau川流域では、Tatau川本流に注ぐZedtee社保有のAnap-Muput森林管理区内の二次林・択伐林内の河川で水を採取した。さらにそれらが合流したAnap川、Tatau川の中流にあたるSanganなどでも河川水を採取して流下過程を把握できるようにした(図3)

図3 2010年(黒点)、2011年(赤点)の河川水採水地点   赤線は2011年の調査経路。黄色の数字は写真の番号と対応する。
青緑色の部分は泥炭湿地林を示す。/ Figure 3 Sampling points on August 2010 (black), and August 2011 (red) . Red lines represent truck of the survey on 2011. Yellow numbers denote photograph numbers.
図3 2010年(黒点)、2011年(赤点)の河川水採水地点 赤線は2011年の調査経路。黄色の数字は下の写真の番号と対応する。 青緑色の部分は泥炭湿地林を示す。

 また、今回はさらにKemena川のTubau付近に暮らすLahap氏宅前、Binyo川流域内のBukit Mawang小学校前、SPF社のコンセッション内8点(SPF社自身で行っているモニタリング定点3点を含む)、Zedtee社のAnap-Muput森林管理区内の河川数点について、個人あるいは各関係機関に協力をお願いして1-2月に1回のサンプリング・濾過までをお願いした。こちらの希望通りにサンプリングできるか若干の不安が残るが、それよりも1年であっという間に膨大なサンプル量になるのでそれをさばききれるのかという心配が日に日に高まっていく。しかし、この定期採水から得られる水質の時系列変化は、流域内の水質の空間分布からでは得られない、水質形成に関する新たな情報を得ることができる。サンプリングボトルやシリンジ、フィルターとともにサンプリングマニュアル(英語版と、それをJasonさんが訳してくれたマレー語版)も配布したので、きっと首尾よくいくに違いない。粛々とサンプルを集め、粛々と水質分析を行い、何カ月か経った後、結果を紹介する予定である。

写真1 オイルパームプランテーション内の河川 / Photo1 Small stream inside the oil plantation. 写真2 Lahapさん宅前の河川 / Photo2 the river flowing right in front of the house of Mr. Lahap. 写真3 アカシアプランテーション内の河川 / Photo3 A creek runs through acacia plantation. 写真4 Binyo川の泥炭湿地林内の河川 / Photo4 A stream runs inside the peat land area of the forest along Binyo River. 写真5 Anap-Muput森林管理区内の河川 / Photo5 A stream inside Anap-Muput Forest Management Unit
謝辞
 河川水採取にあたり、各関係機関と連絡調整をしていただいた鮫島弘光さん、Jason Honさんに大変感謝いたします。特に鮫島さんは調査にずっと一緒についていてくださり、本当に心強かったです。Logieさんとのマルコポーロな一夜も楽しかったです。また、調査全般に渡って、プロジェクトリーダー・石川登氏、祖田亮次氏のアドヴァイスも大変参考になりました。ありがとうございました。
注1
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