Jelalong川流域調査(2)
2011年3月13日~3月19日
鮫島は3月6日、奥野は3月9日にBintuluに到着した。当初12日からJelalong川に行く予定であったが、東日本大地震の影響をみるため、一日出発を延期した。
今回は昨年8月のようにTubauから船で上がるのではなく、Jelalong川南岸のRimbunan Hijau社 (サラワク6大木材伐採企業の一つ)の伐採道路を通って、上流の村にいくコースを取った、天候に恵まれたこともあって、Rh Julaihiまで直接車で行くことができたが、この道沿いにはSamling Jelalong社の広大なオイルパームプランテーションが広がっていることが明らかになった。Samling Jelalong社はJelalong川流域のほとんどを人工林コンセッションとして所持している企業だが、その造成はまだ始まっていない。現在は元々生えている有用樹の伐採と、2008年からはオイルパームプランテーションの開発を進めている(伐採会社にはそのコンセッションの15%まではオイルパームプランテーションにして良いという法律がある)。Jelalong川上流には他にもBLD社のオイルパームプランテーションが80年代からある。Jelalong川流域のRh Duat (旧Rh Jeranku), Rh Julaihi (旧Rh Keti)で聞いたところでは、これらのプランテーションの影響で現在のJelalong川本流の水質はかなり悪くなっていて、魚を取りに行くのはもっぱら支流に頼らざるを得ないという話であった。
Jelalong川では主にRh Julaihi、Rh Resaに滞在し、狩猟について行かせてもらったり、そのやり方を見せてもらったり、村の歴史について聞いたりした。また奥野は、天候激変のさいの祈願文の収集や、森のなかで別名に言い替えられる動物の名前とその意味などについて聞き取りを行った一方、鮫島はRh Duat、Rh Udauにも足を延ばして一泊ずつし、地域の状況、特に狩猟活動についての聞き取りを行った。
Rh Julaihi、Rh ResaのPenanの人々は奥野がこれまで調査してきたBelagaのPenanと比較して、由来と、それがためのプナン語が語彙のレベルで違っていて、また、焼畑農耕に長じていて、近代に調和している点で、ずいぶん異なった印象を受けた。またBelaga、Balui、BaramのPenanの人々はKeyan、Kenyahと歴史的関係が深いのに対し、Jelalong川のPenanの人々はむしろIbanと歴史的な関係が深いようであった。しかしBelagaのPenanの人々と共通する自然、動物のとらえ方も持っていることも分かり、これらの自然観がどのように形成されてきたのか、今後調査を進めていく予定である。
狩猟に関しては、Jelalong川流域の中でも、オイルパームからの距離によって、狩猟形態にバリエーションがあることが分かった。Rh Duat、Rh Awanなどの最上流の村、Rh Udauなどの下流部の村ではオイルパームプランテーションが比較的近くにあるので、これまで加藤氏や奥野が報じてきたような(
奥野 2010)、オイルパームに果実や苗を食べにくるイノシシを対象とした狩猟をおこなっていた。一方Rh Julaihi、 Rh Resaなどの中流部の村ではまだまだオイルパームが遠いため、村周辺の焼畑休耕林や、伐採後二次林などを猟場としているという話であった。今後の調査では、天然林伐採施業を続けているAnap川、アカシアプランテーションが広がっているBinyo川、ゴム園が広がっているSebauh川周辺と併せ、ヒゲイノシシなどの狩猟獣の生態と、人々の狩猟活動の様相の比較検討も行いたいと考えている。