ツバメの巣の商品連鎖―サラワクと東アジアの間―
ツバメの巣の商品連鎖―サラワクと東アジアのあいだ―
Daniel Chew (University of Malaysia Sarawak)
食用となるツバメの巣は、アナツバメ(aerodramus)の唾液から成形されるもので、白色系や黒色系のものがある。このツバメの巣は、滋養豊富とされ、高額で取り引きされている。ツバメの巣の独特の魅力は、中国王朝の歴史の中で支配者や富裕層にとって特別な食材として用いられてきた事実と深く結びついている。そして、こうした高価であり威信にもかかわる食材は、今日においても、世界のいたるところに住む華人にとって魅力あるものとなっている。ツバメの巣は東南アジアの内陸部や沿岸部において、洞窟内の岸壁から集められたり、あるいは、人工の建物内部で採取されたりしている。東南アジアにおけるツバメの巣の採取は、中国内外の華人コミュニティの消費に対応した形で行われ、その過程は商品連鎖の一部として描き出すことができる。この商品連鎖という概念は、もともとはWallerstainやHopkinsが1980年代に使い始めたもので、1800年以前の世界経済における資本移動を記述・分析するためのものであった(Wallerstein 2008)。以来、商品連鎖というフレームワークは、グローバル・ネットワークや工業製品とサービスの流通に関する研究に利用されてきた。Bair(2005)は、レビュー論文のなかで、商品連鎖の2種類の形態、つまり、グローバル商品連鎖(GCC:global commodity chain)と、グローバル価値連鎖(GVC:global value chain)があることを示した。GCCが、製品やサービスが最終消費地に届けられるまでの商品としての生成過程に注目する一方で、GVCは、商品連鎖の流れの中での、生産者と消費者の役割や力関係を考察する。
商品連鎖における生産者―消費者という枠組みは広範なものであり、Wallersteinは次のように指摘している。「(商品連鎖は)トータルな現象であり、何を持ってしても全てを見通すことは不可能である。このトータルな現象がどのように機能しているのか、どの様な原則に基づいているのか、トレンドはどのようなものか、それがもたらす不可避の結果である不均衡と格差はどのようなものであるか、こうした点を明らかにすることが重要であろう。そのためには、厳密さと根気強さに加えて、想像力と大胆さが必要となるであろう。気を付けなければならないのは、近視眼的な見地に囚われてはならないという事である」 (Wallerstein 2008)。ツバメの巣の商品連鎖の形成プロセスをWallersteinの提唱する「近視眼的にならないような」アプローチで見るとすれば、それは広範なものとなる。この予察的小稿において、私は、関係性とネットワークという観点を採用したい。これらは、歴史性をもち、社会経済的文脈をも組み込んだものであり、上述したGCCやGVCのアプローチでは十分にカバーしきれない枠組みである。さらに言えば、ツバメの巣という商品は、適切な生息環境におけるアナツバメの営巣活動に依存しており、生態学的な営為に立脚して獲得できるものである。そして、こうした生態学的な要素が、採取や交易という形での人的アクターの介入を通じて、需要に刺激される商品となっていく。ツバメの巣が地域を越えて高額で取り引きされるプロセスにおいて、政策決定者がその商品に関心を示すとき、結果として商品連鎖の政治性が前面に現れ、生産と消費の形態に影響を与えることになる。
ツバメの巣の商品連鎖の背景には、東南アジア島嶼部地域と中国本土の間の、長きにわたる経済関係がある。Lim and Earl of Cranbrook(2002: 62)やChiang(2011: 410-411)は、16世紀の明代中国王朝に供すために、東南アジア沿岸部の洞窟でツバメの巣が探し求められていたことに焦点を当てている。Chiang (2011) は明代 (1368-1644) ・清代 (1644-1911)の王朝において、中国の古い医学書のなかでツバメの巣の治癒的効能が謳われていることに言及している。同時に、中国王朝によるこの貴重な商品への欲求が、サラワクのNiah 並びにBaramにおける洞窟を利用したツバメの巣の社会的生産に結びついたとも指摘している。ボルネオと近隣の島々、例えばジャワ島などの熱帯雨林や海岸部、さらに大陸部においても、アナツバメは営巣活動を行ってきた。これらの地域は、ツバメの巣を始めとした自然産物の豊かな商業的中心として知られ、中国、インド、中東やひいては西洋から、商人たちをひきつけて来た。こうした自然産物の獲得熱は19世紀のヨーロッパによる植民地主義の絶頂期に一層の高まりを見せたのだが、その際に交易活動の仲買役を果たしたのが、当時この地にやって来た華人商人たちであった。東南アジアの自然産物の原産地においては、おもに3つのアクターたちが相互関係を持っていた。つまり、植民者、華人、そして先住民の3アクターである。彼らは、その地の高価な商品を中国やヨーロッパの市場に輸出することを目的に、それぞれの役割を果たしていた。
サラワクを例にとってみれば、ツバメの巣の採集と取り引きは19世紀ブルック政府にとって重要な税収源であった。そこでは、華人が交易を取り仕切り、洞窟内での巣の採集に関しては、洞窟の所有権や採取権を持つ先住民たちが、その役割を担っていた。19世紀には、商品連鎖の経路は当時の域内交易を利用していた交易中心地シンガポールにまで伸びていった。森林産物や海産物の取り引きは華人の手中にあり、その交易範囲は19世紀半ばに西欧諸国との条約港であった広東と、英国に割譲された香港にまで広がっていた。当時、広東や香港といった港湾は、中国―東南アジア貿易によって資本を蓄積していた。ツバメの巣は少量かつ高価値な産物の好例で、東南アジアの沿岸部の洞窟で採集されたものが、海を越えて中国に渡り、中国市場において魅力的な高額熱帯産物として珍重された。この商品連鎖は現在まで続いており、香港はツバメの巣の消費地であると同時に、中国本土や北米などのディアスポラ華人コミュニティへの輸出拠点にもなっている。
ツバメの巣の商品連鎖に関する供給側における重要な変化としては、持続可能な形で巣の再生産が出来ないほど、思慮のない採取行動がおこなわれ、ツバメの巣の生産が減少したという点がある。サラワクのNiah洞窟はツバメの巣の採集にとって重要な拠点の一つだが、採取される巣の数も営巣するアナツバメの数自体も年々急速に減少してきた。これも思慮を欠いた過剰な収穫による結果である。洞窟でのツバメの巣の採取量減少は、香港や中国本土での需要の高まりに同調して起きている。これらの地域にあっては、ツバメの巣は高級健康食材として認知され、レストランで提供されたり、高価でステータスの高い進物として利用されたりしており、その治癒的効能を信じる人々が日常的に消費できる食材となっている。
洞窟だけでなく、人が作った建物や家屋でも、アナツバメが営巣していることが、ジャワ島で偶然確認された。このことで取引業者たちは人工構造物をアナツバメの営巣地として利用し始めた。建物を利用したアナツバメ達の「放し飼い」は、20世紀初頭にジャワ島で始まり、世紀末ごろまでに、マレー半島全域、そしてサラワク地域にまで拡大した。乱獲によって洞窟からの収穫量が減少する状況にあって、現在では、サラワクだけでなく、マレーシア全土、そして近隣のインドネシアにおいても、アナツバメを呼び込むために作られた建物や、既存の設備を改築した建物を利用することで、ツバメの巣の生産が維持されているという状況である。 商品連鎖の末端では、既存のものであれ新築のものであれ、人工構造物にアナツバメを営巣させている。それはもはや産業化しており(Lim 2012)、多額の経費を要する資本集約型産業とさえいえる。アナツバメを建物に誘い込み営巣させるためのコツを売る「知識産業」が生まれ、その知識は企業秘密として守られている。専門家や知識提供者たちは各地でセミナーを企画し、参加者たちに、この商売に投資すれば高額な利益が得られると謳っている。たとえば、サラワクのDaro地区のTJK氏は、ジャカルタで開かれた有料セミナーに参加した後、所有するショップハウス(店舗ビル)をツバメハウスに改造した。これとは別に、サラワクと近隣地域を結びつける動きもある。たとえば、CPK氏はサラワクのSamarahan地区でツバメの巣生産に成功し、約20棟のツバメハウスを経営しているが、彼はインドネシアのポンティアナックでも数棟のツバメハウスを所有している。ツバメの巣はごみを取り除いてきれいにする作業が必要となるが、そうした清掃や加工は労働集約的な作業であり、その作業コストはインドネシア・カリマンタン側の方が安価なので、サラワクで生産されたツバメの巣もカリマンタンに送っている。
商品連鎖の枝葉に当たるこうした末端部分が広がり重層性を帯びることで、商品連鎖(commodity chain)というよりも商品網(commodity web)とでもいうべきものが形成されることになるかもしれない。サラワクにはツバメハウスを巧妙に設計する建築家がいて、その設計に基づいた建物を実際に作る施工者も、資材を調達する業者も揃っている。なかには金のかかった要塞めいた建物もあれば、コストを抑えた非常にシンプルな建造物もある。都市部ではショップハウスがよくツバメハウスに改造される。サラワクにおいては推定でおよそ5,000軒もの建造物がアナツバメの営巣に使われており、もはや産業と呼んで差し支えない状態である。(郊外で)ツバメハウスが建てられている土地は先住民の所有であり、投資家たち(そのほとんどは華人である)が、それらの土地を購入したり、賃借したり、あるいは所有者とパートナーシップを結んだりすることになる。先住民の土地所有者・洞窟所有者や、巣の採集者、そして華人商人たちのあいだの、商品連鎖における相互に関連した役割については、さらなる調査が必要となる。サラワク北部Tatau川上流のBukit Sarangでは、洞窟ツバメの巣の持続的な採取を目的とした共同管理モデルが作られており、そこでは、取引業者と洞窟所有者がツバメの巣の管理と採取に関する責任を共有している(Lim 2011 and Ah Kong 2011)。これは、たとえばSiniawanの先住民コミュニティのたちが、年ごとに順々に巣を採取するという取り組みと比較できよう。歴史資料や現地調査で分かることは、先住民のグループや個人が、洞窟所有者や採取者として、ツバメの巣の商品連鎖の主体的なプレイヤーとなっており、そのなかにはハウスを利用したビジネスにも乗り出す者たちがいるということである。
ツバメの巣産業の拠点は、洞窟からハウスへと移り変わったが、商品連鎖の中継地点や最終地点を通して、サラワクと他の東南アジアが結ばれており、その連鎖を支える関係性やネットワークの拠点となっているのが、シンガポールであり、香港であり、また中国本土なのである。サラワク州内や東南アジア域内に見られる事例から分かるのは、こうしたツバメの巣の商品連鎖は経済的・社会的な関係の中に埋め込まれているということである。たとえば、クチンのLoh家は、Loh Siaw Kuei氏とその父、親子2代に渡ってツバメの巣の取引をしてきたが、彼らは、洞窟での採集から始めて、現在ではハウスを使っての採集、さらに採集した巣の清浄施設を備えた複数のハウス建設への投資までも検討しているという。Loh家はツバメの巣を香港に向けて出荷してきたが、その香港には1960年代から先ごろ亡くなるまで、Loh Siaw Kuei氏の叔父にあたる人物が長年にわたって移り住んでおり、送り出されたツバメの巣の輸入の手続きと現地での取り引きを担っていた。Loh家が代々取り扱ってきた自然産物を見れば、サラワクで起きた経済変化と、そこで取引される物品の変遷として見ることができる。第二次世界大戦以前、Loh Siaw Kuei氏の父親はクチンの中心商店街に店を構え、森林産物(ダマールやグッタペルカ、ツバメの巣など)を取り扱っていた。こうした産物は今日ではありふれた物ではなくなり、洞窟で採れたツバメの巣はツバメハウスで採取されるものに取って代わられた。こうした例は他にもあり、クチン在住の商人で不動産業も営むLiu Thian Leong氏も、扱うツバメの巣を、洞窟採集のものから自ら建てたツバメハウス採集のものに切り替えたという。
香港でツバメの巣の卸業を営むWinnie Hon氏は、ツバメの巣の輸出入を通じてクチンのLiu Thian Leong氏とは旧知の関係にある。2012年3月、ツバメの巣の交易中心地である香港Sheung Wanにある彼女のオフィスを訪問してみた。Hon氏の話によれば、彼女は東南アジアに定期的に出かけては、自らツバメハウスを視察し、巣のサプライヤーたちと会うことで、半島マレーシアやインドネシアのツバメの巣生産者たちとの間に個人的なコネクションを持っているのだという。Hon氏はマレーシアおよびインドネシアでのツバメの巣の供給と市場での流通に明るく、ツバメの巣の生産コストや品質についての知識も豊富であり、結果として求める品物を入手するにはどこに行けばよいか理解している。もう一つの卸売業者の例としてHing Kee Java Edible Bird’s Nest社の例を挙げよう。同社はツバメの巣の処理設備を持っており、サラワクを含めたマレーシア、インドネシアのサプライヤーや輸出業者とネットワークを持っている。同社ではスタッフが東南アジア現地に足しげく通って供給の確保と納品物の品質維持に努めている。同社にはインドネシアの華人女性もスタッフとして在籍していて、インドネシア語ができるため、現地の取引相手との交渉にも役立っている。 ここで指摘したいことは、このようにして時間をかけ、個人ベースで構築されたネットワークが、地域を越えた交易を可能にしており、ツバメの巣の安定的・継続的供給に繋がっているということである。中国語では、こうした個人的関係による商売促進を「guanxi(関係:互いに利益を享受できる関係)」と呼ぶ。華人によるguanxiの事例としては、クチンの中華街でも見られる。そこは、潮州系華人の集住地区で、ツバメの巣を含む伝統的な中国漢方を扱う商人が数多く住んでいる。中国からサラワクやその他の地域に来て、少量・多量のツバメの巣を買い付ける行商人やトレーダーたちの存在は、商品連鎖のなかで見えにくい不透明な部分となっているが、広東省の汕頭からやってくる潮州人たちは、クチンの中華街に隣接し潮州人が数多く住むカーペンター・ストリートと中国本土とを結ぶ形で、ツバメの巣を購入するための最短ルートを形成することになるのである。クチンにいる調査協力者によれば、中国からの訪問客は、何キロもの分量のツバメの巣を、バッグいっぱいになるまで買って行くという。たとえば、クチンの中華街で漢方薬の店を営むTeo Teo Khoon氏は、ツバメの巣の売買を専門としている訳ではなく、小売できる在庫量も限られているという。しかし、Teo氏の元に、そうした中国人客が巣を求めてやって来た場合には、ツバメの巣を扱う商人としての立場から、取引関係のネットワークを駆使して商品供給するという。中国政府は、海外への旅行者が売買目的で大量のツバメの巣を本国に持ち帰ることを規制しようとしてきた。もう一つの問題は、非公式あるいは不法な経路を使ったツバメの巣の中国本土への輸入である。主な経路は香港-「深圳間の越境ルートである。我々が話をした香港の業者は、こうした違法取引の「ネットワーク」の存在を暗に仄めかしたが、それ以上の詳しい話を聞くことはできなかった。これらのことは、先述したWallerstein(2008)が述べるところの「…何を持ってしても全てを見通すことは不可能な現象」なのだ。ツバメの巣に関して言えば、香港と中国本土の間での越境取り引きは活発で、香港の業者によれば、近年のツバメの巣産業の増大と成長は、中国本土の需要増大によるものだという。したがって、香港の業界関係者たちは、業界に悪影響を及ぼしかねない中国政府の政策変更の行方を注意深く見守っている。
ツバメの巣の商品連鎖について次に指摘したい点は、ツバメの巣の商取引における政治の影響である。2011年、中国において、マレーシアから輸入されたとされるツバメの巣から許容基準を超える亜硝酸塩が検出されるという、衛生上の問題が起きた。中国政府は、輸入されるツバメの巣に含有される亜硝酸塩の量に関して、新たな規制と許容基準を設定するという、大胆な方策を取った。その結果、輸入されるツバメの巣の大半がこの新たな基準を満たせず、需要と価格の両面で急激な低下を見ることとなった。マレーシアでは収益性の高い有望なビジネスとして企業家たちを惹きつけて来たツバメの巣生産の業界を揺るがす事態となった。それからの数か月の間に、マレーシア政府上層部から中国に対して強い働きかけが行われた。大臣クラスの要人を含め高級官僚たちが中国に出向き、この事態の打開を模索した。2012年3月、私は石川登氏、祖田亮次氏、市川哲氏と共に、現地調査を目的に香港を訪れ、ツバメの巣を取り扱う商人たちから話を聞いた。そこで、中国とマレーシア間のツバメの巣に関する取り引き上の懸案事項について、直接その影響を窺うことが出来た。香港の業者への聞き取りによると、彼らは即座にマレーシア産のツバメの巣を避ける態度を見せたという。我々が話した業者は、皆、インドネシア産の巣だけを扱っているという事であった。彼ら曰く、マレーシア産のツバメの巣は悪評が立って、彼らとしても取り扱いを避けざるを得なかった。類似の事態として、以前、インドネシアにおいて鳥インフルエンザが流行した時にも、インドネシア産の巣の中国への輸出が途絶え、インドネシア側の産業は打撃を被ったという。
ツバメの巣の商品連鎖の最終地点である香港での短期間の調査から明らかになったのは、この業界から生じた副産物の存在である。この地での業者への聞き取りの中で我々が関心を持ったのは、なぜ、どのようにして、香港がツバメの巣市場における世界的中心地としての役割を担うようになったのかという点であった。主な理由として挙げられたのは、香港が自由港であること、効率的な金融システムが存在していたこと、中国市場や各地に散在する華人社会、そして東南アジアのサプライヤーのいずれとも豊富な取引経験を蓄積してきたこと、取り扱う商品の品質保証に関してのR&Dが発達していて、不純物や偽物を排除する商倫理が存在していること、などである。香港の経験がツバメの巣の交易にどのように有利に働いたかをWinnie Hon氏に聞いてみたところ、たとえば、マレーシア産のツバメの巣の輸入に対して中国政府からかけられた規制に、香港の商人がどう対処したかという事例を挙げてくれた。彼らは、マレーシアの政府高官の訪中やロビー活動を、メディアを通じて大々的に喧伝したという。Hon氏によれば、香港の商人は派手に表舞台に立つのではなく、あくまで政策決定の責任は中国の政府官僚たちが負うべきであることを明瞭にしておきたいと考えているという。そのため、役人に対しては、陳情を行ったり、彼らを招いて豪勢な宴会を開いたりするという形で、問題に対処するのだという。Hon氏の考えではマレーシア政府高官からの目につく働きかけよりも、こうした根回しの方がより良い結果を得られるのだという。
ツバメの巣を取り巻く商品連鎖の範囲は確かに広範囲にわたる。今回のような調査では、商品連鎖のローカル~リージョナルを結ぶ関係がより広くなる。商品連鎖の枠組を理解するには、グルメ・健康食材であるツバメの巣の採集、加工処理、交易、そして消費行動にいたるまでの、ローカルからリージョナルまでのネットワークと、それらの関係がどのような役割を持っているかについて、より深く掘り下げることが必要になる。それは見方を変えれば、高バイオマス環境における人-自然の相互関係というコンテクストの中で、人間が果たす役割を検証することであると言える。ツバメの巣の商品連鎖を調査するにあたっては、その連鎖を形成するさまざまな結びつきに対しての、多面的なアプローチが必要とされるのである。
参考
Bair, Jennifer. Global Capitalism and Commodity Chains: Looking Back, Going Forward, in Competition and Change, Vol. 9, No.2, June 2005, 153-180.
http://www.efiko.org accessed 20 December 2012.
Chiang, Bien. Market Price, Labor Input, and Relation of Production in Sarawak Edible Birds’ Nest Trade, 407- 431, in Tagliacozzo, Eric and Chang, Wen-Chin (eds.), Chinese Circulations, Capital, Commodities and Networks in Southeast Asia (Durham: Duke University Press, 2011).
Lim Chan Koon and Earl of Cranbrook. Swiftlets of Borneo, Builders of Edible Nests (Kota Kinabalu: Natural History Publications, 2002).
Wallerstein, Immanuel. Protection Networks and Commodity Chains in the Capitalist World-Economy.
http://asrudiancenter.wordpress.com/2008/1/03 accessed 20 December 2012.
Interviews with Lim Chan Koon, September and October 2011, Kuching and Ah Kong, November 2011, Sarikei; interviews with Loh Siaw Kuei, Liu Thian Leong, Teo Teo Khoon and Chai Poh Khong, August 2011 and March 2012 in Kuching.
Interviews with Winnie Hon, Wilson Ng, March 2012, HongKong and discussions with committee of Birds’ Nest Association* (wholesalers) Hong Kong, March 2012.
(*affiliate of Hong Kong Chinese Medicine Merchants’ Association, Hong Kong)
Daniel Chew (University of Malaysia Sarawak)
食用となるツバメの巣は、アナツバメ(aerodramus)の唾液から成形されるもので、白色系や黒色系のものがある。このツバメの巣は、滋養豊富とされ、高額で取り引きされている。ツバメの巣の独特の魅力は、中国王朝の歴史の中で支配者や富裕層にとって特別な食材として用いられてきた事実と深く結びついている。そして、こうした高価であり威信にもかかわる食材は、今日においても、世界のいたるところに住む華人にとって魅力あるものとなっている。ツバメの巣は東南アジアの内陸部や沿岸部において、洞窟内の岸壁から集められたり、あるいは、人工の建物内部で採取されたりしている。東南アジアにおけるツバメの巣の採取は、中国内外の華人コミュニティの消費に対応した形で行われ、その過程は商品連鎖の一部として描き出すことができる。この商品連鎖という概念は、もともとはWallerstainやHopkinsが1980年代に使い始めたもので、1800年以前の世界経済における資本移動を記述・分析するためのものであった(Wallerstein 2008)。以来、商品連鎖というフレームワークは、グローバル・ネットワークや工業製品とサービスの流通に関する研究に利用されてきた。Bair(2005)は、レビュー論文のなかで、商品連鎖の2種類の形態、つまり、グローバル商品連鎖(GCC:global commodity chain)と、グローバル価値連鎖(GVC:global value chain)があることを示した。GCCが、製品やサービスが最終消費地に届けられるまでの商品としての生成過程に注目する一方で、GVCは、商品連鎖の流れの中での、生産者と消費者の役割や力関係を考察する。
商品連鎖における生産者―消費者という枠組みは広範なものであり、Wallersteinは次のように指摘している。「(商品連鎖は)トータルな現象であり、何を持ってしても全てを見通すことは不可能である。このトータルな現象がどのように機能しているのか、どの様な原則に基づいているのか、トレンドはどのようなものか、それがもたらす不可避の結果である不均衡と格差はどのようなものであるか、こうした点を明らかにすることが重要であろう。そのためには、厳密さと根気強さに加えて、想像力と大胆さが必要となるであろう。気を付けなければならないのは、近視眼的な見地に囚われてはならないという事である」 (Wallerstein 2008)。ツバメの巣の商品連鎖の形成プロセスをWallersteinの提唱する「近視眼的にならないような」アプローチで見るとすれば、それは広範なものとなる。この予察的小稿において、私は、関係性とネットワークという観点を採用したい。これらは、歴史性をもち、社会経済的文脈をも組み込んだものであり、上述したGCCやGVCのアプローチでは十分にカバーしきれない枠組みである。さらに言えば、ツバメの巣という商品は、適切な生息環境におけるアナツバメの営巣活動に依存しており、生態学的な営為に立脚して獲得できるものである。そして、こうした生態学的な要素が、採取や交易という形での人的アクターの介入を通じて、需要に刺激される商品となっていく。ツバメの巣が地域を越えて高額で取り引きされるプロセスにおいて、政策決定者がその商品に関心を示すとき、結果として商品連鎖の政治性が前面に現れ、生産と消費の形態に影響を与えることになる。
ツバメの巣の商品連鎖の背景には、東南アジア島嶼部地域と中国本土の間の、長きにわたる経済関係がある。Lim and Earl of Cranbrook(2002: 62)やChiang(2011: 410-411)は、16世紀の明代中国王朝に供すために、東南アジア沿岸部の洞窟でツバメの巣が探し求められていたことに焦点を当てている。Chiang (2011) は明代 (1368-1644) ・清代 (1644-1911)の王朝において、中国の古い医学書のなかでツバメの巣の治癒的効能が謳われていることに言及している。同時に、中国王朝によるこの貴重な商品への欲求が、サラワクのNiah 並びにBaramにおける洞窟を利用したツバメの巣の社会的生産に結びついたとも指摘している。ボルネオと近隣の島々、例えばジャワ島などの熱帯雨林や海岸部、さらに大陸部においても、アナツバメは営巣活動を行ってきた。これらの地域は、ツバメの巣を始めとした自然産物の豊かな商業的中心として知られ、中国、インド、中東やひいては西洋から、商人たちをひきつけて来た。こうした自然産物の獲得熱は19世紀のヨーロッパによる植民地主義の絶頂期に一層の高まりを見せたのだが、その際に交易活動の仲買役を果たしたのが、当時この地にやって来た華人商人たちであった。東南アジアの自然産物の原産地においては、おもに3つのアクターたちが相互関係を持っていた。つまり、植民者、華人、そして先住民の3アクターである。彼らは、その地の高価な商品を中国やヨーロッパの市場に輸出することを目的に、それぞれの役割を果たしていた。
サラワクを例にとってみれば、ツバメの巣の採集と取り引きは19世紀ブルック政府にとって重要な税収源であった。そこでは、華人が交易を取り仕切り、洞窟内での巣の採集に関しては、洞窟の所有権や採取権を持つ先住民たちが、その役割を担っていた。19世紀には、商品連鎖の経路は当時の域内交易を利用していた交易中心地シンガポールにまで伸びていった。森林産物や海産物の取り引きは華人の手中にあり、その交易範囲は19世紀半ばに西欧諸国との条約港であった広東と、英国に割譲された香港にまで広がっていた。当時、広東や香港といった港湾は、中国―東南アジア貿易によって資本を蓄積していた。ツバメの巣は少量かつ高価値な産物の好例で、東南アジアの沿岸部の洞窟で採集されたものが、海を越えて中国に渡り、中国市場において魅力的な高額熱帯産物として珍重された。この商品連鎖は現在まで続いており、香港はツバメの巣の消費地であると同時に、中国本土や北米などのディアスポラ華人コミュニティへの輸出拠点にもなっている。
ツバメの巣の商品連鎖に関する供給側における重要な変化としては、持続可能な形で巣の再生産が出来ないほど、思慮のない採取行動がおこなわれ、ツバメの巣の生産が減少したという点がある。サラワクのNiah洞窟はツバメの巣の採集にとって重要な拠点の一つだが、採取される巣の数も営巣するアナツバメの数自体も年々急速に減少してきた。これも思慮を欠いた過剰な収穫による結果である。洞窟でのツバメの巣の採取量減少は、香港や中国本土での需要の高まりに同調して起きている。これらの地域にあっては、ツバメの巣は高級健康食材として認知され、レストランで提供されたり、高価でステータスの高い進物として利用されたりしており、その治癒的効能を信じる人々が日常的に消費できる食材となっている。
洞窟だけでなく、人が作った建物や家屋でも、アナツバメが営巣していることが、ジャワ島で偶然確認された。このことで取引業者たちは人工構造物をアナツバメの営巣地として利用し始めた。建物を利用したアナツバメ達の「放し飼い」は、20世紀初頭にジャワ島で始まり、世紀末ごろまでに、マレー半島全域、そしてサラワク地域にまで拡大した。乱獲によって洞窟からの収穫量が減少する状況にあって、現在では、サラワクだけでなく、マレーシア全土、そして近隣のインドネシアにおいても、アナツバメを呼び込むために作られた建物や、既存の設備を改築した建物を利用することで、ツバメの巣の生産が維持されているという状況である。 商品連鎖の末端では、既存のものであれ新築のものであれ、人工構造物にアナツバメを営巣させている。それはもはや産業化しており(Lim 2012)、多額の経費を要する資本集約型産業とさえいえる。アナツバメを建物に誘い込み営巣させるためのコツを売る「知識産業」が生まれ、その知識は企業秘密として守られている。専門家や知識提供者たちは各地でセミナーを企画し、参加者たちに、この商売に投資すれば高額な利益が得られると謳っている。たとえば、サラワクのDaro地区のTJK氏は、ジャカルタで開かれた有料セミナーに参加した後、所有するショップハウス(店舗ビル)をツバメハウスに改造した。これとは別に、サラワクと近隣地域を結びつける動きもある。たとえば、CPK氏はサラワクのSamarahan地区でツバメの巣生産に成功し、約20棟のツバメハウスを経営しているが、彼はインドネシアのポンティアナックでも数棟のツバメハウスを所有している。ツバメの巣はごみを取り除いてきれいにする作業が必要となるが、そうした清掃や加工は労働集約的な作業であり、その作業コストはインドネシア・カリマンタン側の方が安価なので、サラワクで生産されたツバメの巣もカリマンタンに送っている。
商品連鎖の枝葉に当たるこうした末端部分が広がり重層性を帯びることで、商品連鎖(commodity chain)というよりも商品網(commodity web)とでもいうべきものが形成されることになるかもしれない。サラワクにはツバメハウスを巧妙に設計する建築家がいて、その設計に基づいた建物を実際に作る施工者も、資材を調達する業者も揃っている。なかには金のかかった要塞めいた建物もあれば、コストを抑えた非常にシンプルな建造物もある。都市部ではショップハウスがよくツバメハウスに改造される。サラワクにおいては推定でおよそ5,000軒もの建造物がアナツバメの営巣に使われており、もはや産業と呼んで差し支えない状態である。(郊外で)ツバメハウスが建てられている土地は先住民の所有であり、投資家たち(そのほとんどは華人である)が、それらの土地を購入したり、賃借したり、あるいは所有者とパートナーシップを結んだりすることになる。先住民の土地所有者・洞窟所有者や、巣の採集者、そして華人商人たちのあいだの、商品連鎖における相互に関連した役割については、さらなる調査が必要となる。サラワク北部Tatau川上流のBukit Sarangでは、洞窟ツバメの巣の持続的な採取を目的とした共同管理モデルが作られており、そこでは、取引業者と洞窟所有者がツバメの巣の管理と採取に関する責任を共有している(Lim 2011 and Ah Kong 2011)。これは、たとえばSiniawanの先住民コミュニティのたちが、年ごとに順々に巣を採取するという取り組みと比較できよう。歴史資料や現地調査で分かることは、先住民のグループや個人が、洞窟所有者や採取者として、ツバメの巣の商品連鎖の主体的なプレイヤーとなっており、そのなかにはハウスを利用したビジネスにも乗り出す者たちがいるということである。
ツバメの巣産業の拠点は、洞窟からハウスへと移り変わったが、商品連鎖の中継地点や最終地点を通して、サラワクと他の東南アジアが結ばれており、その連鎖を支える関係性やネットワークの拠点となっているのが、シンガポールであり、香港であり、また中国本土なのである。サラワク州内や東南アジア域内に見られる事例から分かるのは、こうしたツバメの巣の商品連鎖は経済的・社会的な関係の中に埋め込まれているということである。たとえば、クチンのLoh家は、Loh Siaw Kuei氏とその父、親子2代に渡ってツバメの巣の取引をしてきたが、彼らは、洞窟での採集から始めて、現在ではハウスを使っての採集、さらに採集した巣の清浄施設を備えた複数のハウス建設への投資までも検討しているという。Loh家はツバメの巣を香港に向けて出荷してきたが、その香港には1960年代から先ごろ亡くなるまで、Loh Siaw Kuei氏の叔父にあたる人物が長年にわたって移り住んでおり、送り出されたツバメの巣の輸入の手続きと現地での取り引きを担っていた。Loh家が代々取り扱ってきた自然産物を見れば、サラワクで起きた経済変化と、そこで取引される物品の変遷として見ることができる。第二次世界大戦以前、Loh Siaw Kuei氏の父親はクチンの中心商店街に店を構え、森林産物(ダマールやグッタペルカ、ツバメの巣など)を取り扱っていた。こうした産物は今日ではありふれた物ではなくなり、洞窟で採れたツバメの巣はツバメハウスで採取されるものに取って代わられた。こうした例は他にもあり、クチン在住の商人で不動産業も営むLiu Thian Leong氏も、扱うツバメの巣を、洞窟採集のものから自ら建てたツバメハウス採集のものに切り替えたという。
香港でツバメの巣の卸業を営むWinnie Hon氏は、ツバメの巣の輸出入を通じてクチンのLiu Thian Leong氏とは旧知の関係にある。2012年3月、ツバメの巣の交易中心地である香港Sheung Wanにある彼女のオフィスを訪問してみた。Hon氏の話によれば、彼女は東南アジアに定期的に出かけては、自らツバメハウスを視察し、巣のサプライヤーたちと会うことで、半島マレーシアやインドネシアのツバメの巣生産者たちとの間に個人的なコネクションを持っているのだという。Hon氏はマレーシアおよびインドネシアでのツバメの巣の供給と市場での流通に明るく、ツバメの巣の生産コストや品質についての知識も豊富であり、結果として求める品物を入手するにはどこに行けばよいか理解している。もう一つの卸売業者の例としてHing Kee Java Edible Bird’s Nest社の例を挙げよう。同社はツバメの巣の処理設備を持っており、サラワクを含めたマレーシア、インドネシアのサプライヤーや輸出業者とネットワークを持っている。同社ではスタッフが東南アジア現地に足しげく通って供給の確保と納品物の品質維持に努めている。同社にはインドネシアの華人女性もスタッフとして在籍していて、インドネシア語ができるため、現地の取引相手との交渉にも役立っている。 ここで指摘したいことは、このようにして時間をかけ、個人ベースで構築されたネットワークが、地域を越えた交易を可能にしており、ツバメの巣の安定的・継続的供給に繋がっているということである。中国語では、こうした個人的関係による商売促進を「guanxi(関係:互いに利益を享受できる関係)」と呼ぶ。華人によるguanxiの事例としては、クチンの中華街でも見られる。そこは、潮州系華人の集住地区で、ツバメの巣を含む伝統的な中国漢方を扱う商人が数多く住んでいる。中国からサラワクやその他の地域に来て、少量・多量のツバメの巣を買い付ける行商人やトレーダーたちの存在は、商品連鎖のなかで見えにくい不透明な部分となっているが、広東省の汕頭からやってくる潮州人たちは、クチンの中華街に隣接し潮州人が数多く住むカーペンター・ストリートと中国本土とを結ぶ形で、ツバメの巣を購入するための最短ルートを形成することになるのである。クチンにいる調査協力者によれば、中国からの訪問客は、何キロもの分量のツバメの巣を、バッグいっぱいになるまで買って行くという。たとえば、クチンの中華街で漢方薬の店を営むTeo Teo Khoon氏は、ツバメの巣の売買を専門としている訳ではなく、小売できる在庫量も限られているという。しかし、Teo氏の元に、そうした中国人客が巣を求めてやって来た場合には、ツバメの巣を扱う商人としての立場から、取引関係のネットワークを駆使して商品供給するという。中国政府は、海外への旅行者が売買目的で大量のツバメの巣を本国に持ち帰ることを規制しようとしてきた。もう一つの問題は、非公式あるいは不法な経路を使ったツバメの巣の中国本土への輸入である。主な経路は香港-「深圳間の越境ルートである。我々が話をした香港の業者は、こうした違法取引の「ネットワーク」の存在を暗に仄めかしたが、それ以上の詳しい話を聞くことはできなかった。これらのことは、先述したWallerstein(2008)が述べるところの「…何を持ってしても全てを見通すことは不可能な現象」なのだ。ツバメの巣に関して言えば、香港と中国本土の間での越境取り引きは活発で、香港の業者によれば、近年のツバメの巣産業の増大と成長は、中国本土の需要増大によるものだという。したがって、香港の業界関係者たちは、業界に悪影響を及ぼしかねない中国政府の政策変更の行方を注意深く見守っている。
ツバメの巣の商品連鎖について次に指摘したい点は、ツバメの巣の商取引における政治の影響である。2011年、中国において、マレーシアから輸入されたとされるツバメの巣から許容基準を超える亜硝酸塩が検出されるという、衛生上の問題が起きた。中国政府は、輸入されるツバメの巣に含有される亜硝酸塩の量に関して、新たな規制と許容基準を設定するという、大胆な方策を取った。その結果、輸入されるツバメの巣の大半がこの新たな基準を満たせず、需要と価格の両面で急激な低下を見ることとなった。マレーシアでは収益性の高い有望なビジネスとして企業家たちを惹きつけて来たツバメの巣生産の業界を揺るがす事態となった。それからの数か月の間に、マレーシア政府上層部から中国に対して強い働きかけが行われた。大臣クラスの要人を含め高級官僚たちが中国に出向き、この事態の打開を模索した。2012年3月、私は石川登氏、祖田亮次氏、市川哲氏と共に、現地調査を目的に香港を訪れ、ツバメの巣を取り扱う商人たちから話を聞いた。そこで、中国とマレーシア間のツバメの巣に関する取り引き上の懸案事項について、直接その影響を窺うことが出来た。香港の業者への聞き取りによると、彼らは即座にマレーシア産のツバメの巣を避ける態度を見せたという。我々が話した業者は、皆、インドネシア産の巣だけを扱っているという事であった。彼ら曰く、マレーシア産のツバメの巣は悪評が立って、彼らとしても取り扱いを避けざるを得なかった。類似の事態として、以前、インドネシアにおいて鳥インフルエンザが流行した時にも、インドネシア産の巣の中国への輸出が途絶え、インドネシア側の産業は打撃を被ったという。
ツバメの巣の商品連鎖の最終地点である香港での短期間の調査から明らかになったのは、この業界から生じた副産物の存在である。この地での業者への聞き取りの中で我々が関心を持ったのは、なぜ、どのようにして、香港がツバメの巣市場における世界的中心地としての役割を担うようになったのかという点であった。主な理由として挙げられたのは、香港が自由港であること、効率的な金融システムが存在していたこと、中国市場や各地に散在する華人社会、そして東南アジアのサプライヤーのいずれとも豊富な取引経験を蓄積してきたこと、取り扱う商品の品質保証に関してのR&Dが発達していて、不純物や偽物を排除する商倫理が存在していること、などである。香港の経験がツバメの巣の交易にどのように有利に働いたかをWinnie Hon氏に聞いてみたところ、たとえば、マレーシア産のツバメの巣の輸入に対して中国政府からかけられた規制に、香港の商人がどう対処したかという事例を挙げてくれた。彼らは、マレーシアの政府高官の訪中やロビー活動を、メディアを通じて大々的に喧伝したという。Hon氏によれば、香港の商人は派手に表舞台に立つのではなく、あくまで政策決定の責任は中国の政府官僚たちが負うべきであることを明瞭にしておきたいと考えているという。そのため、役人に対しては、陳情を行ったり、彼らを招いて豪勢な宴会を開いたりするという形で、問題に対処するのだという。Hon氏の考えではマレーシア政府高官からの目につく働きかけよりも、こうした根回しの方がより良い結果を得られるのだという。
ツバメの巣を取り巻く商品連鎖の範囲は確かに広範囲にわたる。今回のような調査では、商品連鎖のローカル~リージョナルを結ぶ関係がより広くなる。商品連鎖の枠組を理解するには、グルメ・健康食材であるツバメの巣の採集、加工処理、交易、そして消費行動にいたるまでの、ローカルからリージョナルまでのネットワークと、それらの関係がどのような役割を持っているかについて、より深く掘り下げることが必要になる。それは見方を変えれば、高バイオマス環境における人-自然の相互関係というコンテクストの中で、人間が果たす役割を検証することであると言える。ツバメの巣の商品連鎖を調査するにあたっては、その連鎖を形成するさまざまな結びつきに対しての、多面的なアプローチが必要とされるのである。
参考
Bair, Jennifer. Global Capitalism and Commodity Chains: Looking Back, Going Forward, in Competition and Change, Vol. 9, No.2, June 2005, 153-180.
http://www.efiko.org accessed 20 December 2012.
Chiang, Bien. Market Price, Labor Input, and Relation of Production in Sarawak Edible Birds’ Nest Trade, 407- 431, in Tagliacozzo, Eric and Chang, Wen-Chin (eds.), Chinese Circulations, Capital, Commodities and Networks in Southeast Asia (Durham: Duke University Press, 2011).
Lim Chan Koon and Earl of Cranbrook. Swiftlets of Borneo, Builders of Edible Nests (Kota Kinabalu: Natural History Publications, 2002).
Wallerstein, Immanuel. Protection Networks and Commodity Chains in the Capitalist World-Economy.
http://asrudiancenter.wordpress.com/2008/1/03 accessed 20 December 2012.
Interviews with Lim Chan Koon, September and October 2011, Kuching and Ah Kong, November 2011, Sarikei; interviews with Loh Siaw Kuei, Liu Thian Leong, Teo Teo Khoon and Chai Poh Khong, August 2011 and March 2012 in Kuching.
Interviews with Winnie Hon, Wilson Ng, March 2012, HongKong and discussions with committee of Birds’ Nest Association* (wholesalers) Hong Kong, March 2012.
(*affiliate of Hong Kong Chinese Medicine Merchants’ Association, Hong Kong)