グローバル生存基盤研究部門・日本学術振興会特別研究員RPD
博士(農学)
専門分野はアマゾニア地域研究、環境社会学、環境人類学、食文化研究
私は2017年1月に母親になりました。それまでは、ペルーアマゾニアの氾濫原に住むシピボ(Shipibo)の人びとの生活について研究をしてきました。村に居候させてもらいながら、彼らの環境利用(氾濫原という特殊な環境での農耕・漁労)や食文化(アマゾニア原産とされるキャッサバとイノベーションとしてのバナナの関係)、そして、食のシェアリングについて研究をしてきました。村を歩けば、「食べにこい」と声をかけられます。彼らにとって、食事に招待することは大事な慣習であり、私はそれがとても気に入っていました。
私自身は、「ヒトと自然の関係」にはどういう形があるのか、(距離が「近い」場合だけでなく、「遠い」場合も含めて)そして、「豊かな生活」とは一体どういうものなのか、を考え続けています。母になってからは、根本的な問題意識は変わりませんが、小さい子どもを連れての「調査のしやすさ」というのは考えるようになりました。その結果、夫が研究フィールドとしてきたメキシコの首都メキシコシティやユカタン半島でも調査を始めました。メキシコ料理のトルティーヤやタコスなどは日本でもよく知られていますが、現地ではそれらも実に多様で地域差もあります。メキシコではそうした豊かな食文化について調べています。
最近は同時に、都市と農村を行き来する「複数拠点」の生活というにも注目しています。アマゾニアに住むシピボは、近隣都市やペルーの首都にも長期で滞在できるコミュニティを持っています。それによって彼らは、他者との「出会い」や「関係」をうまく活かしつつ、「自然との距離」を縮めたり遠ざけたりしながら生活しています。他方、アメリカ合衆国に多くの移民を送り出しているメキシコでは、地方政府が移民に対応する部署を持ち、「人の移動」をサポートしているところもあるなど、国内移動か、国際的な移動という違いはありますが、人の移動を見るという意味で非常に重要な事例です。さらにいえば、こうした移動を前提とした生活は、ペルーやメキシコに限らず、日本でも地域創生の取り組みにおいて注目できる視点だと考えています。
普段は山梨県の甲府市に居住しています。甲府盆地内で、外国移民の農家さんや温泉にいらっしゃる常連さんのお話を聞いています。甲府盆地には豊富に温泉があります。「風呂」というのはおもしろくて、社会的身分や属性が異なる人が狭い空間に集まり、言葉を交わす、日常性を持った場所なのです。我々家族がとりわけお世話になっている温泉さんには、堅気の道に戻ってこられた方や(山菜採りや地元の祭りに連れて行ってもらいました)、反対にその筋の人に間違えられてしまう石屋(石材店)さん、占い大好きな奥さんなど様々な方がいらっしゃって、子どもを連れた私たちは、そうした常連さんそして温泉のご家族にいつもよくして頂いています。こうした方々の話から、甲府盆地の「ヒトと自然」の変容について探っていくと同時に、みなさんひとりひとりの身に起きる出来事それ自体が大変興味深く、「事実は小説より奇なり」とはよくいったものだと感じています。私に話してくれた内容――とりわけ、学術論文にしにくい内容――を聞き書きあるいはライフヒストリーとして(あるいは他の媒体をもちいて)まとめていけたらと考えてもいます。
また、「地域」が豊かになるために、実践的な「何か」ができれば、とも常日頃から思っています。ひとつひとつの笑顔が増えていくような場面の設定です。母になってから、赤ちゃんや子どもには、多くのおじいちゃんおばあちゃんを笑顔にする力があることを知りました。例えば、私が住んでいる地域では過疎化が進んでいます(甲府市の比較的中心近く:若い人は郊外に住む傾向があります)が、まわりのお年寄りに子どもたちのことをとても良くしてもらいました。一人暮らしのお年寄りと子どもたちをつなぐような地域の仕組みづくりを今後実現していけたらと思っています。
二度の出産・育児そしてコロナ感染の時期が続いたため、ペルーアマゾニアのシピボの村へは長いこと行っていません。でも、私は母として困ったことがあると「シピボのおかあさんならどうするか」と、考えてきましたし、そのおかげで、なんとかやってこられました。そろそろ村に行って、私も「母になった!」とみなさんに報告したいです。私は母親業が大変気に入っていますが、「子どもとの時間」と「研究の時間」はどうしてもトレードオフの関係にあり(あくまでも私の場合)、そのバランスで悩むこともあります。ですが、そうした悩みも含めて、ここに書いたような着想(色々と欲張って考えていること)や「していること」を、少しずつ形にしていければ、と思っています。(なお、写真はだいぶ前のものです。)