cseas nl75 特集1 発足記念シンポジウム 河野 泰之 京都大学東南アジア地域研究研究所 所長

所長挨拶

みなさん、こんにちは。本日はお忙しい中、ご参集いただき、どうもありがとうございます。東南アジア地域研究研究所発足記念シンポジウムの開催に際し、一言ご挨拶申し上げます。

 東南アジア研究所と地域研究統合情報センターは、本年1月1日をもって統合し、東南アジア地域研究研究所として再出発しました。本日のシンポジウムは、この新たな研究所の進もうとする道をみなさんにお示しし、ご助言、ご批判を仰ぐために企画したものです。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 20世紀、とりわけその後半、人類社会は、科学技術の進歩に精力を注ぎこみ、市場経済を世界の隅々にまで浸透させて、急速な経済成長を実現しました。一方で、現代社会を見渡してみますと、この成長のほころびが、地球環境の劣化、化石資源の枯渇、未解決の貧困問題、人口の高齢化と少子化、再発する感染症、民族・宗教対立、さらにテロの蔓延等として、世界諸地域で現れています。20世紀の発展の牽引力が21世紀の問題群の要因となりつつあります。これら諸問題は相互に関連しており、個別の問題への対症療法には限界があります。問題解決のためには、学際・統合型の研究が求められています。同時に、急速なグローバル化の進行は、これらの問題を、閉じられた地域社会を前提として考えるのではなく、グローバルに開かれた地域社会を前提として考えることを要請しています。これらの複雑化する地球規模の課題解決を克服する社会発展の指針を提示するためには、既存の地域区分や専門分野の枠組みを超えた新しい研究体制の構築が不可欠と考えました。

 東南アジア研究所と地域研究統合情報センターが推進してきた研究は、大きくは地域研究という枠組みで括ることができます。地域研究とは何か。これについては所内外で数多の議論を繰り返してきました。私自身は、地域研究は統一された学問体系のもとに成り立っているわけではないので、いわゆるディシプリンとは異なる、しかし地域研究が共有するものがあると考えています。それは世界諸地域の現場のrealityを研究の出発点とする、ということです。これは、先人が築いてきた学問体系を前提として、それをさらに一歩、積み上げることを目標とする他の研究分野とは大きく異なるアプローチです。現場のrealityは、私たちがどのような学問体系を構築してきたかということにはお構いなく、厳然と存在し、機能しています。この現場のrealityこそが私たちの研究の前提です。現場のrealityと向き合って、その総合的理解に至るために、適切な学問体系を選択し組み合わせて、realityに切り込むことこそ、私たちが目指してきたものです。

 地域研究は、1960年代に欧米とわが国で成立した研究分野です。ただし、欧米、とりわけアメリカにおける地域研究がいわゆる地政学に軸足を置いたものであるのに対して、わが国の地域研究はあくまでも対象地域の総合的理解、政治や経済のみならず、社会や文化、そして自然環境をも含めた総合的理解を目指して成長してきました。わが国の地域研究がこのような道筋を辿ってきた背景には、太平洋戦争の当事者としての反省があります。ただ、そのおかげで、私たちは、時流に流されることなく、地道に、着実に発展することができました。

 地域研究の成立から40年近くが経過して、1998年には本学に大学院アジア・アフリカ地域研究研究科が設置されました。当時の東南アジア研究センターは研究科に協力講座を開設し、本格的に大学院教育を担うようになりました。2004年には研究センターから附置研究所へと改組しました。そして2006年には国立民族学博物館地域研究企画交流センターから新たな仲間を迎え入れ、地域研究統合情報センターを設置しました。この過程で、地域研究の存在意義は何なのか、何を目指すべきなのかをずいぶんと議論しました。その答えは、これからの地域研究は、地域社会の総合的理解に留まるのではなく、地域社会の総合的理解を踏まえた地域社会へのcommitmentを強化するとともに、地域社会からグローバルな人類社会への知の還流を促し、グローバルな人類社会にインパクトを与えうる共有知を地域社会の多様なrealityを踏まえて構築することを目指そう、というものでした。その試みの一つが、2007年に着手したグローバルCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」でした。

 このプログラムでは、人類社会の発展経路を百年単位で考えることに挑戦しました。そういう視点でみたとき、20世紀の世界の成長をけん引した制度や技術は、その時代の先進国の歴史的、社会的、生態的文脈において最適化されたものでしかありません。そこで、21世紀の人類社会を、20世紀の世界の単なる延長線として構想するのではなく、世界の諸地域で機能している多様な制度や技術を新たな出発点として、より豊かで多元的な発展経路を開拓していくことが重要であるという主張を展開し、これを持続型生存基盤パラダイムと名付けました。

 これらの議論を踏まえて、新研究所では、地域社会の多様な成長の実現に資するために、人文・社会科学を中核に据えた学際研究を強化して、複雑化する地球規模の課題解決を追求していきます。世界の諸地域を視野に入れつつも中心は東南アジアです。東南アジアは、グローバル化を積極的に推進して急激な経済成長を実現しつつありますが、必ずしも、市場原理が貫徹する社会ではないことを、私たちのこれまでの研究は明らかにしてきました。多様な民族、宗教、文化によって構成され、それらがコンフリクトを生んでいますが、決定的な対立は起こらず共存していること、感染症や自然災害が頻繁に発生しますが、強靭なレジリアンスを発揮していることも明らかにしてきました。このような東南アジア社会のrealityは、21世紀の人類社会を考えるうえで、私たちに豊かな示唆を与えてくれると思うからです。

 それでは具体的にどのように研究推進するのか。この問いを、組織統合に至るさまざまな過程で繰り返し考えました。私たちの研究は、大型の装置を構築するとか、大規模な実験を実施するといった可視化できるメカニズムを中心に据えたものではありません。私たちの研究の原動力となってきたのは、自らの来し方を振り返ると、多様な知見、多様な経験、多様な発想をもった研究仲間や現地の人々と繰り返し実施してきた議論です。これは決して効率的な道筋ではないように見えますが、多様な知を結集するためには必須のプロセスです。そのためには、関連する研究分野との、さらにアカデミズムを超えた、ネットワークを強化し、腹を割って議論できる幅広い研究コミュニティを形成していくことが最も重要であると考えています。

 そこで、新研究所では、4つの内部組織を設置しました。旧東南アジア研究所は共同利用・共同研究拠点「東南アジア研究の国際共同研究拠点」に認定していただいていました。同じく、旧地域研究統合情報センターも「地域情報資源の共有化と相関型地域研究の推進拠点」を実施しています。これらはいずれも、国内外、とりわけ国内の研究者コミュニティとの連携を強化するうえできわめて重要な制度です。そこで、両拠点を管轄する組織としてIPCRセンターとCIRASセンターを設置しました。また、東南アジアの研究組織に加えて、政府機関、国際機関、民間企業や市民などとの交流を活性化し、議論仲間の幅を広げるためにASEAN研究プラットフォームを設置しました。さらに、フィールドワークに加えてビックデータの活用を促進するためにグローカル情報ネットワークを開設しました。

 本日は、先に述べたグローバルCOEプログラムにおいて、リーダーとして私たちを先導してくださった杉原薫先生に基調講演をお願いしました。また、その後、今、申し上げた4つの内部組織を中心として、新たな研究所が何を目指そうとしているのかをご報告し、ご助言、ご批判の材料としていただきたいと考えています。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 以上、はなはだ簡単ではございますが、これをもちまして私のあいさつとさせていただきます。

 *本記事は、2017年6月2日に京都大学で稲盛ホールで開催された京都大学東南アジア地域研究研究所発足記念シンポジウムでの講演内容を収録したものです。