CSEAS NEWSLETTER No.02 自著を語る 堀江未央

『娘たちのいない村――ヨメ不足の連鎖をめぐる雲南ラフの民族誌』

話し手:名古屋大学高等研究院 堀江未央特任助教
聞き手:京都大学東南アジア地域研究研究所 速水洋子教授
本稿は、ビデオ「自著を語る」のインタビューをもとに、編集室にて編集を行ったものである。

 

娘たちのいない村: ヨメ不足の連鎖をめぐる雲南ラフの民族誌 堀江未央(著)

速水 「今日は、2018年3月に京都大学学術出版会から本を出された、堀江未央さんにお話を伺います。」

堀江 「『娘たちのいない村――ヨメ不足の連鎖をめぐる雲南ラフの民族誌』という本を出版させていただきました。この本は、中国におけるヨメ不足の連鎖の問題を、中国雲南省の少数民族の村というミクロな生活の場面から明らかにしたものです。 中国では、一人っ子政策が行われて以来、男女比の不均衡が非常に深刻な問題となってきました。跡継ぎとなる男の子を産むことを望む人たちが産児選択を行うようになり、どんどん女性が不足するようになっています。それに加えて、経済の急激な成長に伴って内陸部と沿海部の間の経済格差が深刻化するようになり、たくさんの出稼ぎ者が豊かな沿海部に向かって出て行くようになりました。その結果、内陸部に残っている貧しい男性たちが配偶者を得られない、という問題が生じるようになり、彼らがより貧しい地域に女性を探しに旅に出るようになっています。 私の調査していた雲南省のラフの村は、そのような配偶者を得られない漢族男性のところへと多くの女性が嫁いでいる、まさに「娘のいない村」でした。このような状況が少数民族の村でどのように起こっているのか、ということを明らかにしたのがこの本です。」

速水 「現在中国の、しかも、社会問題を、中心から見るのではなく周縁から、少数民族の村から捉えようという非常に面白い試みだと思うのですが、どうやってこのテーマに、たどり着いたかお話いただけますか。」

村へ向かう道

堀江 「恥ずかしながら初めからこのテーマを目的として、調査に行ったわけではありませんでした。元々フィールドワークというものに強い憧れがあり、少数民族が多く暮らす雲南省のどこかの村でフィールドワークを行いたいと思っていまして、様々な縁が重なってラフの村で調査をすることになりました。調査テーマをあまり決めることなくフィールドワークを始めたのですが、村の人々にいろいろな話を聞きながらしばらく暮らしている間に、なんだか女性が少ない、若い女の人がいない、という状況にだんだん気づくようになりました。そして、村の人たちにどうして若い女の人たちがいないのか、と聞いたところ、「ヘパとポイして出て行った」―ヘパというのは漢族、ポイというのは、逃げる、とか出て行く、という意味なのですが―、という話を何度も耳にし、このようなテーマに徐々にいきつきました。」

速水「ヘパとポイした、という、耳に残る、面白い表現だと思うのですが、普通に考えたら、中国の問題を漢族から捉えようとすると思うのですが、どうしてわざわざ少数民族から見てみようと思われたのでしょうか。」

堀江 「元々は少数民族の村で調査をしたいという思いだけで、中国のどのような問題を明らかにするかまでは考えずにフィールドに行きました。しかし、漢族の地域で深刻に起こっているヨメ不足の問題が、さらに少数民族の村へと波及しており、ヨメとなる女性が得られないならもっと貧しいところへ、漢族の女性が得られないなら少数民族の村へ、というふうに、どんどん連鎖が起こっていることに気づきました。雲南省のラフの村は、まさにこうした連鎖の端っこに位置しているんだ、ということに思い至り、そうしたヨメ不足のしわ寄せを一番受けている末端の地域から、中国全土で起こっている問題を明らかにできるのではないかと考えました。」

市場の様子。若いラフ女性はあまり見かけない

速水 「中国の雲南省の少数民族の村というのは、私たちからは、非常に遠く想像がつかないのですが、フィールドワークにおいて何か面白い、あるいは、印象に残ったエピソードなどありますか。」

堀江 「今と当時では、だいぶ状況が違うのですが、当時はとにかく道が悪く、バイクでの移動がメインだったので、雨季の時期には本当に泥だらけになりました。村を出て街に向かう途中で、私のサンダルがどっちも泥の中に埋まってどうしても抜けなくなり、裸足で街に着き、そこで大慌てで靴を買ったということもありました。 ほかに印象に残っていることとしては、彼らの移動性の高さや国境というものに対する我々との感覚の違いについて感じたエピソードがあります。 私の暮らしていた村には、中国建国後の政治的、経済的な混乱のなかで、村人の一部がミャンマーに移住したという歴史があり、いまでも村人たちの親族がミャンマーに住んでいます。あるとき、ミャンマーで死んだ親族のお墓の位置が悪い、そのことが原因で今村にいる人たちが病気がちなんだ、という噂が立ったことがありました。そして、ミャンマーまでお墓を直しに行こうという話になったのですが、私にとって国境というのはとても遠い存在だったので、そうは言ってもそんなにすぐに行かないだろう、いろいろ準備をするのだろうと思っていたら、次の日にはもう、5、6人の人がバイクに乗って、しかもその墓の場所を知っているのがおばあちゃんしかいないのでおばあちゃんを後ろに乗っけて、じゃあちょっとミャンマーに行ってくるよ、と言って行ってしまったんですね。それで、2、3日して、もうちょっと経ってからかな、帰ってきたときに、むこうで親族と会ってきたよ、という話を聞きました。それから、1年ぐらいして追加調査に行ったら、その国境越えのときに向こうで出会った村の女の子がこっちの村に嫁いできているといったことが起こるようになっていました。あのときにたまたまお墓を直しに行ったことがきっかけで、国境の向こう側とこちら側の親族が再び繋がって、それが新しい女性の移動のルートになっているということは、すごく印象的でしたね。」

速水 「そうしてこの本を書き終えられたわけですが、書き終えた後の感触はいかがでしたか。」

土がむき出しの道路。雨が降ると粘土のようにドロドロになる

堀江 「この本は、人身売買に近いような現象も取り扱っていますので、どのように読まれるのか正直不安なところもあります。この本の中では「倫理的な迷い」という言葉で表現したのですが、こうした仲介者を介した女性の遠方への結婚が、人身売買に近い状況になる場合もあれば、そうではなく通常の結婚に非常に近しいような状況になる場合もあり、人権問題として女性の「強制婚」を解決すべきだ、というような意見に対して、何がいいのかを決めることはとても難しいと感じ、悩み続けています。 実際、堀江はこれをどういうふうに解決したいと思い研究しているのか、と聞かれることも多いのですが、(安易に解決策を提言するのではなく)そういう迷いを持ち続けることこそが大事なんじゃないかと言ってくださった方がいまして、それが心の支えになってこの本を書き終えることができました。このような、女性の婚姻移動にまつわる倫理的な部分について、今後も継続的に考え続けて行くことが大事だというふうに感じています。」

速水 「さて、この本は、去年の「国際開発研究 大来賞」を受賞されました。おめでとうございます。」

堀江 「ありがとうございます。」

速水 「今後の研究としてはどのような方向に進んで行こうと考えておられますか。」

堀江 「先ほど少しお話しましたように、最近ではミャンマーから中国側に女性が嫁ぐようになっている、ということがあります。そして、ミャンマーだけでなく、ベトナムなど中国に隣接する東南アジア諸国から、たくさんの女性が中国側に嫁いで行く、という現象が起こっています。この本ではヨメ探しの連鎖を中国の国内問題として書きましたが、こうした連鎖は、今ではすでに国内では止まらず、海外をも巻き込んで起こっています。私はラフについて研究してきたということもあり、今後は、ミャンマーに住むラフにフォーカスしながら、ミャンマーのラフ族女性がどのように嫁いでいるのか、ということを、国際的な文脈でさらに追求していければと思っています。」

速水 「最後に日本の読者のみなさんに伝えたいことなどありましたらお聞かせください。」

堀江 「状況が違うといえば違うのですが、日本の農村でも同じようにヨメ不足が問題になり、中国などいろんな国から女性たちが日本の農村に嫁ぐという現象が起こってきました。そういった現象ともリンクさせながら、普段想像することのない女性たちの生まれ育った世界とのつながりを感じて読んでいただければ、と思っています。」

速水 「ありがとうございました。」

堀江 「ありがとうございました。」