cseas nl75 特集1 オンライン動画プログラム「地域研究への招待」第3期公開

インドネシアから汚職はなくなるのか?
汚職撲滅運動の可能性を探る

岡本正明(京都大学東南アジア地域研究研究所)

 インドネシアでは汚職が蔓延しているというのが、32年間続いたスハルトの権威主義体制の時代も、そして、98年から始まった民主主義体制の時代にも当てはまる。それがインドネシア研究をしている人たちの一般的見解である。民主化、そして分権化が始まって20年が経とうとしているけれども、残念ながらそうした見解はまだ変わっていない。そして、少数の権力者たちが政治と経済を牛耳っている寡頭制(注)がインドネシアの政治体制だという見方が一般的である。そうした中にあって、この動画が取り上げている汚職撲滅委員会は非常に稀有な存在であった。2002年に設置法がされて、2003年から活動を開始した汚職撲滅委員会は、徐々に存在感を高めていき、動画にある表のように、閣僚、政治家、地方首長、中央・地方官僚を次々と汚職容疑で逮捕していった。

 常識で考えれば、寡頭制の中核にいる政治家や高級官僚たちが利権を奪われてしまう以上、こうした組織の存続を認めるはずもない。実際、政治家や警察は様々な手段を駆使してこの組織の解体、あるいは、弱体化を目論んできた。それでも、2019年までは、設立当初からの警察と検察を合わせたような強い権限を保持することにこの委員会は成功してきた。その理由は2つ考えられる。一つはこの動画にもあるような市民社会勢力の活躍である。汚職撲滅を訴えて運動を展開するNGOがジャカルタにも地方にも存在していて、汚職撲滅委員会弱体化の動きがあるごとに、それを阻止する運動を展開してきた。もう一つは、大統領が汚職撲滅委員会を堅持する姿勢を示したことである。この委員会が発足してから2019年までの間にスシロ・バンバン・ユドヨノ、ジョコ・ウィドド(通称、ジョコウィ)が直接選挙で勝利して大統領となり、とりあえずは汚職撲滅委員会弱体化には歯止めをかけることに成功してきた。

 しかし、この動画の撮影が終わったあと、一気に汚職撲滅委員会の弱体化が進んでしまった。ジョコウィ大統領が2019年4月の大統領選挙で再選を果たし、汚職撲滅委員会の権限の保持を訴えていたものの、ジョコウィの二期目が始まる直前の2019年9月に開かれた国会の本会議で汚職撲滅委員会改正法案が通過したのである。同委員会を監督する組織が作られて、容疑者の盗聴などにあたっては、同組織の許可がいるようになるなど、同委員会にいくつかの足かせがはめられた。

 この法案通過はかなり強引であった。第一期ジョコウィ政権発足と同じ2014年に着任した国会議員たちの任期は2019年9月30日までである。そのわずか2週間前の9月17日に法案を通過させたのである。この慌てぶりからも明らかなように、国会議員からすれば何としても汚職撲滅委員会の弱体化を図りたかったのである。学生たちや他の市民社会勢力から強い反発が起きたにも関わらず、結局、二期目に入ったジョコウィ政権はこの法案改正を認めた。大統領選挙で政治家や実業家の支援を受けていたジョコウィにすれば、彼らが望む汚職撲滅委員会弱体化に反対できなかったのであろう。また、ジョコウィ自身にも、汚職取締を厳しくすると経済成長のための開発の速度を遅らせるという懸念もあった。

 このことから分かることは、汚職撲滅には政治リーダーの政治的意志が重要であり、残念ながら市民社会勢力の汚職撲滅運動だけでは困難であるということも言えそうである。しかし、動画の最後に出てくる活動家のように、長期的な視点で社会変容を目指す動きは不可欠であり、それが汚職の少ない社会実現を図る上では間違いなく有効であると信じたい。

 

出演者:
岡本正明: 京都大学東南アジア地域研究研究所・教授,専門分野は地域研究、政治学。

文献:

  • 岡本正明「インドネシアにおける政治の司法化、そのための脱司法化―汚職撲滅委員会を事例に−」玉田芳史編著『政治の司法化と民主化』晃洋書房、93−120頁
  • 小山田英治『開発と汚職−開発途上国の汚職・腐敗との闘いにおける新たな挑戦』明石書店
  • Robison, Richard and Hadiz, Vedi R.2004.Reorganizing Power in Indonesia: The Politics of Oligarchy in An Age of Markets.London and New York: Routledge Curzon.
  • Winter, Jefrey A. 2011. Oligarchy. Cambridge: Cambridge University Press.