人間圏

人間圏の特質:ミームのもたらした諸問題

人間圏の特質:ミームのもたらした諸問題

松林公蔵

フィールド医学からみたアジアにおける人口転換と疾病転換

松林公蔵

新たな安全保障の次元に着目して

岡本正明

インドネシア・西ニューギニアの神経難病
遺伝か? 環境か? あるいは時代か?

奥宮清人

人間圏の特質:ミームのもたらした諸問題

松林公蔵

人間圏は,広くは生命圏の一部を構成する。生きるということは,絶えず変化する環境のなかで,自らの生命と環境の関係をつくり続けて子孫に継承する営みであり,すべての生物に共通し ている。人間以外の生物が自然環境の枠組みのなかで進化・変容してゆくキーを担うのは生物学 的遺伝子(DNA)である。自己複製子であるDNA の特性をひとことでいえば,複製の正確さ, 多産,寿命があることであるが,R・ドーキンスは,遺伝子のように自己複製し情報を次々と次 代につたえてゆく人間特有の文化伝達の単位をミーム(文化的遺伝子)とよんだ。

言語,思想,宗教,教育,技術,これら人間のミームは,DNA 同様,複製,多産,寿命をもつ, という特徴をもっている。DNAが精子,卵子を担体とするのに対して,ミームは人間の脳を担体とする。

生命圏の進化の原理を担うのは生物学的遺伝子(DNA)だが,人間圏の特質は,DNAに加えて,進化した脳を担体とする文化的遺伝子(ミーム)である。 ミームは,人間の生存数と生存期間を規定していた食糧生産と疫病という生物界を数百万年支配してきた掟から人間圏を解きはなった。同時にミームはまた,19 世紀以前の感染症主体の疾病 構造から,飽食による糖尿病や高血圧の増加,寿命の延長によるがんや心筋梗塞なでの生活習慣 病に象徴されるように,疾病構造そのものも決定的にかえた。

DNA は生態系と調和的に作用するが,ミームは自然環境を破壊してきた面がある。21世紀初 頭に私たちが直面している高齢社会と地球環境問題は,人間の頭脳がつくりだしたミームによる環境の急速な変化と寿命の延長によって,もはや DNA と自然生態系の適応の予想をはるかにこ えた状況といっても過言ではない。

数百万年のあいだ,人間の疾病と老化,社会を支配してきた生物学的遺伝子の自然適応は,人 間の頭脳が造り出した文明,すなわち技術,教育,宗教,思想といったそれ自身生物学的遺伝子と同様に自己複製し自己増殖するミームによってとって替わられたといってもよい。

そして人間圏は今,地球人口の増 大と社会構造の変遷などによって, 生命圏の原理とは異なった相貌をもって急激な変化が進行中である。 人間圏の諸問題とは,生命圏の主要なアクターであったDNAを凌駕した人間に特有な文化的遺伝子の問題ともいえる。

本節では,人間圏の問題として,人口転換と疾病転換,人間社会の非伝統的安全保障の問題,さらに,ニューギニア地域に多発する神経難 病をとりあげてみたい。

(文責:松林公蔵)

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フィールド医学からみたアジアにおける人口転換と疾病転換

松林公蔵

アジアにおける人口転換と高齢化

人類の集団の人口構成は,社会が未成熟な間は多産多死であるが,やがて社会の成熟とともに,多産多死から多産少死,やがて少産少死へと推移する。この現象を,人口転換 (Demographic Transition)とよぶ。人口転換の最終局面として社会は高齢化する。20世紀後半 において先進諸国は,人口転換の結果高齢社会となった。しかし21世紀は,現在の途上国のうちの多くが少子高齢社会にはいってゆく。なぜならば,現代医療技術や防疫システムは,経 済成長の開始にほど遠いアジアの最貧開発途上国にまで確実におよんでおり,その平均寿命延 長に成功しているからである。2000年ころを境に,サブサハラ以南のアフリカを除く世界中の 地域で,急速な人口の高齢化が始まった。日本はすでに著しい少子高齢社会に入って久しいが, 東アジアや東南アジアでも,人口転換がかつての欧米諸国以上のスピードで進行している。 2000 年頃を境にアジアの全域で人口の高齢化が始まり,2050年には,日本についで,シンガポール,韓国,タイ,中国といった比較的裕福と考えられるアジアの国々が高齢社会(Aged Society)となり,その他のアジアでは発展途上にあるインドネシア,ベトナム,ミャンマーでさえも高齢化社会(Aging Society)をむかえることが予測されている。東南アジアのまだそれ ほど豊かとはいえない地域においても,百寿者がみられるようになってきた(写真 1)。

世界の人口動向と経済状態

写真1 写真 1 ラオスのソンコン郡農村の百寿者(2004 年) 人口の高齢化は,すでにグローバルな動向である。世界の主要国において,65歳以上の高齢者がしめる人口比は国民一人あたりのGNP と高い相関性をもっている。国民一人あたりのGNPと有意かつ高度の相関をしめす指標としては高齢化率のみならず,平均寿命も同様である。0 歳時平均寿命には,幼児死亡率が多大な影響をあたえるので,幼児死亡の影響を除くために60歳時の平均健康寿命をみてみると,やはり国民一人あたりのGNP と高度の相関を呈している(相関係数:男 = 0.882,女= 0.856)(図 1)。少子高齢化は世界の動向である事実をすでに述べたが, 0–14 歳の子供の人口比やひとりの婦人が生涯に何人の子供を産むかという合計特殊出生率もまた,国民一人あたりのGNPと高度の逆相関をしめしている。以上にのべた健康関連指標と,国民一人あたりのGNPであらわされる経済指標は強い相関をしめすが,この相関はあくまで強い関連性を示すものであって,因果関係を断定するものではない。両者の背後には,国によって異なる生態系や歴史・文化,宗教,さ まざまな価値体系や政治体制が複雑にからんでいるものと思われる。

 


図 1 アジア諸国と欧米主要国における国民一人あたりの国内総生産と 60 歳時平均健康寿命との関連

栄養転換と疾病転換

人口転換と表裏して認められるのが,栄養転換(Nutritional Transition)と疾病転換(Disease Transition)である。ゆるやかな経済成長と「緑の革命」などに象徴される食糧事情の変化は, 栄養状態に大きく影響する。20 世紀後半,欧米諸国では糖質主体の食事から高蛋白,高脂肪の 食事に変化したが,アジア諸国では,糖質さえ十分に摂取できない状況にあった。蛋白,脂質, ビタミン等の欠乏はカロリー不足とあいまって,乳児死亡や周産期死亡の大きな要因であった。21世紀に入ると,アジアでは,糖質主体のカロリー摂取はある程度みたされるようになり, 家庭によっては,蛋白質,脂肪の摂取も増加してきた。食糧供給が安定し,人類がもっとも恐 れた飢餓から解放され逆に飽食へと変化した。食成分についても貧困時代の糖質主体の食事は より高価な蛋白質,脂質にとってかわられようとしている。これらの栄養転換は,乳児死亡率 をさげることに寄与し,平均寿命の延伸をもたらした。栄養状態の充実と平均寿命の延伸は, 疾病構造にも大きな変化をもたらした。アジアでは,熱帯地域特有のマラリア等の感染症はまだ重要な問題として残されているが,低栄養にもとづく小児下痢症,敗血症等の急性感染症の 発生は低下してきている。栄養転換が疾病構造にもたらす影響は,乳児死亡率の減少のみならず,中高年以降に認められる癌,脳卒中,心臓病,そしてその危険因子としての高血圧,糖尿 病,肥満といった生活習慣病の増加である。さらに,高齢者の増加は,認知症,脳卒中後遺症, 骨・関節疾患などの慢性疾患をもたらす。これら一連の現象を疾病転換というが,今や,アジアにおいても疾病転換が始まっている。

病気の概念

「病気」をあらわす英語には,語感を異にする3つの概念がある。Disease,Illness,Sicknessである。Disease(疾病)という語は,人間になんらかの症状をきたす原因が何で,どのようなメカニズムによって,その異状がもたらされたのか,どう対処すれば科学的に適切か,といった 近代科学にもとづいた原因志向的概念ともいえる。一方,Illness(やまい)という語は,疾病の結果として患者が体験する苦痛,自覚症状,不安など,患者の主観的体験のありようを重視する概念である。患者が癒しを求めるのは,Diseaseではなく,むしろIllnessである場合が多い。Disease を解きあかそうとする近代医学の論理は,客観性,再現性,普遍性といった,いわゆる 科学的根拠に基づいた優れた利点はある。しかし,個人のそれぞれに異なる価値観に応じた要請には十分に答えられないという冷徹な欠点をもまた併せもっている。第3の病気の概念は, Sickness(病的状態)という語であらわされる。Sickness という語感は,IllnessDisease が「正常ならざるもの」,「善からぬ状態」,「異状」として社会化された概念である。近代医学の発展は,患者の苦痛をともなわず社会も病気とはとらえていなかった状態から,さまざまな「病的 状態」を発見し,社会化してきた。高血圧,高コレステロール血症など,将来の心血管事故の発生を統計確率的にたかめるリスク因子は,Disease ではあるかもしれないが医師から知らされない限りIllnessではなかった。医療者はともすればこのDisease,Illness,Sicknessを一元的に解 釈しがちで,科学的前提で疾病の原因解明とその治療に重きをおく傾向があるが,本当に患者が求めているのはIllness の緩解であり,Sickness からの復権であろう。

高齢者とフィールド医学

私たちが,アジアの多くのフィールドで感ずることは,人の老いには,たとえそれがいつの 時代,どのような場所での老いかたであっても,そこには普遍的な人類悠久の時間の流れが刻 まれており,生態系の多様性のなかで人々がその生に“意味”をもたせるためにつくりあげた 文化という価値観が凝縮しているということである。人々はそれぞれに異なる固有の自然環境と歴史・文化背景に囲まれたある地域に,故あって生まれ成長し,老化して生を終える。生老 病死は個々人それぞれに異なり多様である。しかし,人々は,決して不老不死を求めているのではない。人生における痛み,苦痛,不安の緩解を望み,年老いてからの生活機能障害を避けたいと願い,苦しいみじめな死を恐れているのである。アジアの熱帯では,慢性のマラリアに 罹患した子供たちが楽しそうに遊びまわり,多くの人々は還暦をむかえる前に従容として家族に囲まれて死んでゆく。先進諸国では,高齢者が迎える尊厳ある死とは何か,Quality of Death(死にかたの質)が真剣に討議されている。生命の延長ではなく,生命の質を老年医学は重視する。そして有限である生命の質を最終的に決定するのは,人間の究極的価値観としての哲学であるかもしれない。

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CSEAS 50th Anniversary

Center for Southeast Asian Studies, Kyoto University