生命圏

     

生命圏

石川登

熱帯バイオマス社会

石川登

アブラヤシという学際的な場に挑む

岡本正明

エコポリティクス ―熱帯雨林をめぐる動き―

山田勇

ボルネオの択伐施業と生物多様性

鮫島弘光

環境感染論

西渕光昭

生命圏と人間圏の寿命

松林公蔵

生命圏

石川登

人類の活動とその影響に注目し,新たな地質学的時代を表すものとして「アントロポセン」(Anthropocene)という時代区分を提唱する動きがある。これは「人類の時代」という意味であり,約258 万年前から約1 万年前までの「更新世」の次の地質時代区分を提案しようというものである。ほとんどは氷河時代であった「更新世」のあと,いつを「人類」の時代の始まりとするかは議論のわかれるところだろう。遙か未来の地質学者が堆積記録を見て,アントロポセン時代の始まりを認識できるかどうかが重要であり,疑う余地のないマーカーが世界各地に刻印されていなければならない。しかしながら,現在,私たちのすべてがもつ感覚,すなわち人類のつくりだしてきた欲望,制度,そして技術が,生態環境の破壊や汚染,動植物の絶滅や景観の消失をもたらしているという原罪的な共通感覚は,私たちのもつ時代精神の岩盤に深く刻まれはじめているといってよいだろう。

新しい時代区分を提唱することにさしたる意味はない。私たちがフィールドから考えるべきことは,人間圏,生命圏,地球圏相互の生存/ 存続基盤を規定する関係性の理解にほかならない。東南アジア研究所では,このことを考えるためにながらく熱帯域に注目してきた。この地域では,きわめて豊かで活発な光合成,水循環,物質循環がみられ,人間による自然資源利用を長期にわたって支えてきた。このような熱帯を,私たちは地球レベルでの社会・生態環境保持のためにきわめて重要な空間として位置づけてきたわけである。現在,東南アジアの熱帯地域で進行しているのは,資本主義やグローバリゼーションのもとでの生存基盤の変質であり,地上にあるバイオマスは減少,消失,もしくは劇的な質的改変の対象となっている。本節では,生命圏と人間圏のインターフェースに焦点をあてながら,「バイオマス社会」,「生物多様性」,「エコポリティクス」,「アブラヤシ」,「環境感染論」,「寿命」などを手がかりに,多様なランドスケープ,エスノスケープ,そして時間軸における生命圏の動態について考察をすすめる。

(文責:石川登)

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熱帯バイオマス社会

石川登

2010 年から日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究S(22221010)を受けて三十余名の研究者とマレーシア,サラワク州でアブラヤシ・プランテーションに関する調査プロジェクトを続けている。調査地はビンツル省を流れる二つの河川,クムナ川とタタウ川を中心に形成される流域社会である。2011 年の統計によればビンツル省の地表は既にその57パーセントがアブラヤシとアカシア・マンギゥームのプランテーションに転換されており,現在もいわいるplanted forests は急速に拡大している。私たちは,研究分野の壁を超えた様々な専門家と協力しあうことによって,広大な森林とプランテーションの広がる流域社会の変化を記録・分析している。調査に参加している研究者の学問的バックグラウンドは実に多様である。現在,文化人類学,人文地理学,自然地理学,自然資源管理,農業経済学,歴史学,グローバルヒストリー,東南アジア地域研究,政治生態学,天然資源経済学,森林社会学,森林生態系生態学,森林生態保全学,鳥類生態学,動物生態学,植物生態学,農学,水門学,河川生態学,ライフサイクル・アセスメント等を専門とするフィールドワーカーが参加している。私たちが現地で行っていることは,アブラヤシ・プランテーションを流れ出る河川の水質調査であったり,プランテーションやコンセッション(伐採権保有地)内外のイノシシやマメジカの動きを記録するカメラ・トラップの設置であったり,アブラヤシ栽培農家での聞き取りであったり,地道なデータ収集が中心となる。しかしながら,皆がいくつかの大きな問いへの答えを探している。それは,高いバイオマスをもつ熱帯社会の「地域益」とグローバルな「公/共益」の共存は可能か,そしてその作法は何かを知ること,さらにはコーポレートな資源利用システムと在地の生態系保全の併存の方法である。このような問いを流域社会に張りついて考えようというわけである。


写真1 深い森の中での野営(2012 年8 月, マレーシア, サラワク州ビンツル省)

プランテーション開発が集中する熱帯地域は,地球における水・熱循環の高い駆動力を持つ地域であり,最も豊かなバイオマスを有する地域でもある。熱帯雨林が卓越するランドスケープにおいて,熱帯バイオマス社会は,低い人口密度と低い土地利用圧力を特徴とする。そこでは,さまざまな民族集団が外部世界からの需要に応えながら,豊かな森林資源の商品化にかかわってきた。そこでは,歴史的には「多生業空間」と呼ぶことができるような社会が形成され,焼畑陸稲耕作や水稲耕作,野生動物の狩猟,森林産物採取,漁労,木材伐採などの森林資源開発企業における就労,都市への労働移動にいたる多種多様な生業に従事することを特徴とする。私たちは,熱帯バイオマス社会の特徴を以下のように規定しながら調査を続けている。

  1. 熱帯のバイオマス社会は,隔絶された辺境ではない。多くの場合,温帯につながる広範な商品連鎖のなかで,人々はバイオマス資源利用を通して生存戦略を変化させてきた。
  2. ここでは,ゆたかなバイオマスに依拠した焼畑耕作や狩猟採集など環境依存型の生業が営まれてきた。また,低い人口圧のもとで植物相と動物相の多様性と種数が維持され,これらの資源利用が生存基盤の維持に寄与する。このような社会では,定着農業による資源ストック確保の要請は低いものとなる。
  3. 環境依存型生業(焼畑や狩猟採集)に森林産物交易や森林伐採現場における賃労働を接合させた弾性的な生計戦略を通して,生存基盤が比較的容易に確保されてきた。
  4. 熱帯バイオマス社会では,森林産物の世界市場への接合を通した生存戦略の多様化により,農業が唯一主要な生計維持活動となることはなかった。すなわち高バイオマスに依拠した多生業空間が形成された。
  5. 熱帯バイオマス社会は,低い人口圧と低い土地利用圧を特徴とするが,これは社会的弾性の基盤であると同時にプランテーション型バイオマス生産の拡大のための必要条件ともなる。
  6. 熱帯バイオマス社会は,外部社会がもたらす変化に対して弾性的に反応してきた。しかしながら,その反応が臨界点を超えた際には位相転移につながる。この転移は,自然経済に基づいた熱帯バイオマスの「再生」から土地保有,労働力動員,技術の大規模機械化を基盤とするプランテーション型バイオマスの「生産」への転換プロセスにおいて起こる。

写真2 流域調査風景(2012 年8 月, マレーシア, サラワク州ビンツル省) このようなバイオマスの優勢な空間における生態系と地域社会の生存基盤の確保は,地球レベルの全体環境と人類の生存基盤の確保をも意味する。私たちは眼前で進行するプランテーションの拡大を無視した静態的な社会生態モデルを提示することに興味をもちあわせていない。私たちが目指すのは,プランテーションを所与のものとしながら,生態保全と開発の接合面を探すことであり,熱帯の土地・森林開発と環境依存型自然経済の維持をトレードオフ関係とみなす前提を超えることにより,人々と動植物の生存基盤維持の方法を模索している。社会的にも生態的にも持続可能で,グローバル市場経済のみならず,ローカルなコミュニティにおいても,熱帯の生存基盤が確保されるような「プランテーション型熱帯バイオマス社会」を構想し,解決の糸口をみいだすことが目標である。

私たちの調査は,分野横断的な性格に加えて,いくつか「マルチ」な性格を持っている。第一は流域社会を分析対象とすることによる多元的な状況である。最上流から河口にいたる空間に形成されているビンツルの流域社会では,サラワクの大多数の民族集団が存在し,いきおい調査はマルチ・エスニックな性格を帯びる。流域ランドスケープで調査を行う自然科学者たちも同様に,多様な植生(低地・丘陵フタバガキ林,泥炭湿地林,焼畑二次林,アカシア人工林,アブラヤシ・プランテーション)と土地利用形態(択伐コンセッション,アカシア・アブラヤシ・プランテーション,焼畑休閑林,耕地)を対象に調査を続けている。従来の実験プロットや単一の民族集団やコミュニティでの調査とは異なる複合的なランドスケープやエスニシティを対象とする私たちの調査は,さらにその研究対象を人間以外にも広げている。従来の社会科学のもつanthropocentric(人間中心的)な性格を超えて,動植物,地形,物質循環などを考察しながら熱帯バイオマス空間に関わる森羅万象を考えたいのである。

 

 

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