水野広祐教授は、1996 年に東南アジア研究センターに助教授として着任されてから24 年間、本研究所で勤務されました。2006 年度から2010 年度には所長を務められました。所長時代には本研究所の国際化に尽力され、グローバルCOE プログラムの採択も実現されました。本プログラムでは、インドネシアの泥炭火災問題に取り組まれ、その解決策を模索する実践型地域研究にも取り組まれました。インドネシアに対する愛着は所員の誰よりも強く、インドネシアの名門大学であるボゴール農科大学やバンドン工科大学で客員研究員や講師を務められ、日本のインドネシア、東南アジア研究の後進育成のみならず、多くのインドネシア出身の研究者を育て上げてこられました。水野教授の特徴は、何よりもインドネシア現地社会への徹底したコミットメントを重視し、コミュニティ、地域社会の視点に依拠した研究を進めてこられた点であり、世界に誇りうる成果を上げてこられました。とりわけ、インドネシアのジャワにおける農村での非農業部門の重要性を強調した研究、農村での土地権に関する研究、こうした研究から発展した都市部での労働問題研究は、インドネシア語だけでなく、スンダ語、更にはオランダ語も駆使したもので、その詳細なデータ収集と分析は圧倒的です。現在は、地球温暖化の要因の一つともされる泥炭火災問題にグループ・リーダーとして取り組まれています。水野教授はインドネシアのリアウ州を研究拠点として自然科学、人文・社会科学の研究者からなる合同調査を推進されています。その成果は日本語、そして英語でも出版され、インドネシアの泥炭問題を考える上で必読文献となったと言えるでしょう。インタビューでは、水野教授に研究者としての人生を振り返ってもらいました。主にインドネシア語を使用しました。
水野 広祐 教授
ディアント・バフリアディ 招へい外国人学者
岡本 正明 教授
ディアント・バフリアディ(以下、DB): インドネシア語でインタビューをしましょうか?
水野広祐(以下、KM): インドネシア語でもスンダ語でも、どちらでも問題ないですよ。両言語を半分ずつ使いましょうか。
全員:笑い。
DB: それでは始めましょう。今日はインタビューのための時間を割いていただきありがとうございます。
KM: こちらの方こそ感謝しております。
DM: まず、30 年におよぶ水野先生のインドネシアでの調査を振り返ってみたいとおもいます。この長期にわたる調査からなにが言えるでしょうか。私の記憶する限り、水野先生は西ジャワ州のマジャラヤ地方において1980 年代に家内産業についての調査を始められたとおもいます。それから、労働問題、土地問題に関心を広げてこられました。最近ですと、土地に関係する環境問題である泥炭回復問題にも取り組んでおられます。
KM: そうですね、他にはインドネシアのマクロ経済についても関心を持ってきました。
DB: 30 年にわたる調査で、インドネシアの中小企業のこれまでの発展についてなにが言えるでしょうか?特に、農村経済が変容している点を踏まえてお答えいただければとおもいます。
KM: インドネシアの中小企業は力強いものがあります。とりわけ家内産業です。イニシアティブを発揮してさまざまな問題を乗り越えていく強みがあります。中小企業が常に直面する問題は、マーケットがなく、大企業との競争にさらされていることです。インドネシアの中小企業は常に対応策を見出してきました。ものづくりだけでなく商売もすることで収入を増やしたりしています。ものづくりの方法や品物を多様化させるといった創造力も発揮してきました。新しいことによく取り組んできていて、安定的に家族の収入を確保し、ビジネスを拡大させてきています。小規模企業から中規模企業、そして大企業に発展するというわけではありません。ビジネスの規模はミクロなまま、多化するといった形をとります。
村ですと、小規模ビジネスや小規模産業は農業との兼業となります。大半の小規模ビジネスは、インフォーマル・セクターでのビジネスで、商売やサービス産業の形態をとっています。人々の経済を支えていて、経済的貢献は大きなものがあります。大企業だけがインドネシア経済を支えているのではありません。
農村で起きている重要な変容は... 続きはこちら »水野広祐教授退職記念鼎談 インドネシアの人々とともに歩んで
*「水野広祐教授退職記念鼎談 インドネシアの人々とともに歩んで」から
水野広祐(京都大学名誉教授)