1993年巨大儀礼がバリ島ブサキ寺院で挙行された。インドネシアにおけるヒンドゥーの総本山であるこの寺院でこのような壮大な儀礼が実現したことは、少数派ながらもヒンドゥーの地位が確立されたことを証明しているようにみえる。しかし、その背後では、バリの儀礼と慣習をインドネシアにおけるヒンドゥーの本質と考えるバリ中心主義者とグローバルに広がる信仰としてのヒンドゥーを支持する信仰中心主義者との対立が深まっていた。21世紀にはいり、ヒンドゥーを守るはずであった代表機関が、その対立を解決することができず分裂するのである。
巨大儀礼とマニュアル
1993年インドネシア、バリ島の中心寺院ブサキで一連の巨大儀礼が実施された。79年にこの寺院で実施された100年に一度の儀礼に不足部分があることが判明し、それが93年になって実施されたのである。100年に一度と言われているが、儀礼の存在を記した椰子の葉に書かれた文書があるだけで、本当に100年前に実施されたかどうかはわからない。さらに言えば、インドネシアを植民統治したオランダ人旅行者の見聞によれば、ブサキ寺院は1917年に起こった地震より以前に崩れており、寺院としての役割をはたしていなかった。93年の儀礼は、暦上の日付を根拠としているが、文書以外に生きている人々の記憶には存在しない、つまり慣習には埋め込まれていない、まったく新しい儀礼なのである。
本研究所に寄贈されたマニュアル
では、新たな巨大儀礼はどのように実施できたのか。文書に書かれた儀礼名称や使われた供物名から類推して儀礼を構成するしかない。表紙に儀礼の名称が記された黄色の厚めの書物は、構成された儀礼の手順を記したいわばマニュアルである。このマニュアルによって儀礼は現実に実施された。手順を示しているという意味でマニュアルなのだが、先例があってそれがマニュアル化されたわけではない。あくまでもこのマニュアルこそが誰も見たことのない再構成された巨大儀礼そのものの典拠なのである。
儀礼が巨大であるというのは、複数の寺院集合体であるブサキの各寺院で儀礼が複数行われ、各儀礼に用いられる供物の規模と数が最大多数におよぶことを意味している。供物にはガムラン音楽の演奏や踊りも含まれている。マニュアルには、各儀礼を実行する司祭、供物、準備する作業集団が時間順にすべて記入されている。
膨大な量におよぶ準備作業は、寺院を所有する集団をはじめとして、バリ州を構成する各県に分配された。各県では指定された司祭の指示で作業は進められた。このような分業体制が成り立つのは、パリサダ・ヒンドゥー・ダルマ(以下パリサダ)と呼ばれるインドネシアにおけるヒンドゥーを代表する機関とバリ州政府が協力する体制が79年以前から形成されはじめ、90年代には頂点を迎えていたからである。
パリサダの司祭が儀礼の細部を定め、ブサキに設置された中央と各県におかれた地方の二つの委員会が作業を指揮する。中央の委員会の最上位に位置するのは州知事であり、その下の監督官には県知事とならんで宗教省ヒンドゥー部門長が含まれている。実行するのは州政府の行政回路だが、インドネシア全土のヒンドゥーの儀礼であることを示している。そして、中央委員会の全体会議において配布されたのが、このマニュアルなのである。会議参加メンバーだけに配布されたこのマニュアルはもちろん非売品であり、会議に記録係として出席した筆者の研究協力者が入手した。
個人と象徴的宇宙
93年の巨大儀礼を実現させた資金は何だったのか。州政府は儀礼に先だって準備金を用意した。しかし、結果的にこのお金は使われることがなかった。個人や組織からの寄付によって、巨大儀礼の資金はすべてまかなわれた。
儀礼を実施するにあたり、州政府は個人用の小冊子を作成した。そこには、儀礼の実施要項とその意味、聖水の拝受の仕方、個人の家や村落におけるブサキ寺院での儀礼に連動して実施すべき儀礼の方法が書き込まれている。あわせて、良きヒンドゥーとしてあるべき儀礼への参加の仕方が語られており、具体的には聖なる儀礼を遂行するために清い考え方、言葉使い、振る舞いが必要であり、儀礼に参加して各自の能力にみあった物質的、金銭的な儀礼への貢献を進んで行うことが明示されている。物質的とは米や供物の素材となる果物やお菓子などを意味している。
寺院における聖水の拝受
個人にとって聖水の拝受の仕方が明記されている意味はきわめて大きい。儀礼において司祭が聖水を作成し、それを個人が拝受することがバリにおける儀礼の基本である。巨大儀礼の場合、作成された聖水を分配する日付、時間、場所が指定され、村落の代表がそれを受け取りに行き、代表が各世帯に聖水を分配するのである。こうして物質的、金銭的な下からの参加と聖水の分配という上からの流れが冊子というきわめて近代的な複製技術によって一致し、儀礼が壮大なひとつの宇宙として現実化された。
93年の儀礼は、こうして集められた個人と組織の寄付によって残余金が出るほどに資金は集まった。この事実から儀礼への合意と参加意識は十分高かったと評価することはできる。一方、自家用車や家を買い、高価な服装をまとうことで誇示される虚栄心にまみれた拝金主義は、観光産業で富を蓄えた90年代のバリでは否定しがたい。実際、寄付者の氏名と寄付金額が新聞紙上に告示され、儀礼が近づくにつれてその額が拡大していくさまは、巨大儀礼が新たな顕示的消費と名誉の誇示の場所になっていることを示している。ブサキ寺院の儀礼に寄付金をだすことは、新たな「見栄をはる」手段になっているのである。
他方、儀礼への個人の参加が村落をとおした聖水の分配で実現されたことは、そこに参加できない人々の存在も浮かび上がらせることになった。バリ州の州都デンパサールで生まれ、そこで学校にかよい、働いている人々である。彼らは両親の出身村との関係はすでに希薄になっており、村落を基盤とした儀礼に参加することができない。ヒンドゥーの枠組みにおいてこうした人々の受け皿となっているのは、サイババやハレ・クリシュナといったグローバルに広がるヒンドゥーの宗教団体である。
こうした宗教団体は、パリサダの言うヒンドゥーはバリの共同体に依存しており、権威、供物、男性中心主義に人々を縛りつけていると厳しく批判する。かわって彼らは定期的に集まりをもち、自分たちの問題を話し合い、互いに助け合いながら生きている。多数におよぶデンパサールの生まれのこうした人々の声を無視することができなくなり、彼らの存在をヒンドゥー的諸団体として認めざるをえなくなったことが、後に述べるパリサダが分裂するひとつの契機となった。
少数派宗教の代表機関
インドネシアにおいて宗教的多数派はムスリムであり、ヒンドゥーは1割にも満たない少数派である。政府は独自の宗教公認制度を作り、多数派がはっきりしながら他にも少数派宗教が存在する事態に対処してきた。中央官庁として宗教省をおき、公認する宗教(agama)を定め、その他の宗教的実践は信仰(kepercayaan)として区別し、宗教には学校での教育をはじめとした諸権利を認めた。ムスリムへの宣撫工作を目的として日本軍政時に作られた宗務部がこの制度の始まりであることはよく知られている。
パリサダ本部
ヒンドゥーが公認宗教として認められたのは58年になってからである。バリ州政府と宗教省との長い交渉のすえに州政府は公認を勝ちとった。翌年、インドネシアのヒンドゥーを代表する機関として設立されたのが、パリサダであった。バリ島人にとっては悲願の達成であり、パリサダにはバリ州の宗教関係者のみならず政治家や知識人が結集した。
公認をえたことはインドネシア全土での活動が認められたことを意味し、現在パリサダの支所のない州はアチェ州のみとなった。ヒンドゥーが多数派をしめるバリ島以外、インドネシア内のあらゆる場所でヒンドゥーは少数派である。たんに制度上の承認のみならず、取り囲むムスリムたちから身を守るためにも、バリ州以外の地方においてパリサダが存在する意味はヒンドゥーにとって大きい。
分裂あるいはヒンドゥーの歴史性
そのパリサダが21世紀にはいって、バリ州において分裂した。振り返ってみると、バリの儀礼と慣習こそがインドネシアにおけるヒンドゥーの本質であると考えるバリ中心主義者と一人ひとりの日々の生活の支えになることこそが信仰の本質であり、ヒンドゥーの民主化を掲げてそれを訴えた信仰中心主義者がパリサダという制度の内部で正面衝突し、分裂は不可避となったと言える。
80年代から兆候が現れ始めていた。84年にはパリサダの下に全土をむすぶ大衆組織の形成がはかられたが、ワヤン・スディルタらが離反し、大衆組織がまず分裂した。この人物こそ後にプムダ・ヒンドゥーと名のる団体を結成し、そのデンパサールの活動中心が信仰中心主義者の運動の拠点となるのである。2004年になって彼は州議会選挙に立候補し、パンフレットに自らの公約をまとめた。86年にはマハサバと呼ばれる全国の支所の代表が集まる会議がまず開催され、その後バリ州の会議ロカサバが開催されることになった。パリサダ全体からバリのパリサダが分離する兆しである。
デンパサールにあるサイババの集会所
91年には第6回全体会議後、バリ中心主義に不満を覚える人たちがインドネシア・ヒンドゥー知識人フォーラムを結成し、信仰としてのヒンドゥーのあるべき姿を積極的に議論しはじめた。そして、97年アジア通貨危機、98年スハルト体制崩壊を経験した後、2001年バリ中心主義に傾くバリの一部のパリサダがパリサダ全体から離脱するという形で分裂は決定的となった。第8回全体会議の議決をその後開かれたバリ州の会議が否定したのである。
ヒンドゥーの民主化を進める運動には、プムダ・ヒンドゥーを中心として、起源共有集団(祖先が誕生した起源の共有意識を基盤とした集団。独自の寺院、儀礼、司祭を持つ)の一部とすでに述べたサイババやハレ・クリシュナに属するデンパサールを中心とした人々が結集した。起源共有集団の人々は、バリ中心主義者たちが二重の意味で特権階級であると批判した。ウブドを拠点としているバリ中心主義者は実は植民地政府から特権を許された植民地統治への協力者であり、同時にスハルト体制に迎合して彼らは観光産業の利益を独占してきた。それ以外の起源共有集団の司祭はブサキ寺院の儀礼に参加できなかったわけだが、この事実は民主化されなければならず、すべての集団の司祭に儀礼への参加を認めるべきであるという主張である。デンパサールを中心とした人々はわれわれもヒンドゥーであると主張して、それまで認められてこなかったパリサダにおける投票権を要求した。これらの主張を受け入れた第8回全体会議の議決をバリ州のパリサダが認めることはできなかった。
儀礼主義対信仰主義、あらゆる宗教に通底する対立の構図だと言うことはできる。バリの場合、村落生活に根ざす儀礼主義が一方にあり、グローバルに展開する宗教活動を受け皿とした信仰主義が他方にある。さらにそこに、脱植民地主義的視点からの批判と中央集権体制に依存した利益独占への攻撃が加わった。ヒンドゥーとは、互いに緊張関係にあるこうした不連続な主体たちが自らの主張を展開する枠組みとなった。スハルト体制が崩壊する直前の93年、ブサキ寺院における大儀礼はかろうじて実行することができた。しかし、体制崩壊後、緊張関係はあからさまに露呈し、修復不能となり、少数派を保護するはずであったヒンドゥーの代表機関は分裂した。ここにある資料は、インドネシアにおけるヒンドゥーがおかれたこうした歴史性を浮かび上がらせている。
永渕康之(名古屋工業大学名誉教授)
もう少し深く知りたい方への文献紹介
ブサキ寺院の儀礼のマニュアル、パリサダの会議記録などをふくめた寄贈されたインドネシアのヒンドゥーに関する資料は以下のとおり。
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