間違いなく、19世紀から現代に至るタイ社会に関心を持つ研究者にとってひとつの問題は、歴史的証拠が限られていることだろう。歴史的資料は多くの場合、国家および国王関連の文書という形式をとっており、これらの文書は庶民の生活ではなく、権力側の観点を提供している。社会史家たちは、庶民の過去を垣間見ることを試みるために、新聞、雑誌、歌、映画、小説など他の利用可能な資料を使用してきた。近年、葬式頒布本を使用することがタイ史の研究者にとってオルタナティブな手法となり、この傾向は増加しているといえる。
葬式頒布本とは何か?タイ社会に精通していない人は、葬式頒布本に関する知識を持ち合わせていないかもしれない。ナンスー・ガーン・ソップNang Sue Ngan Sopと呼ばれる葬式頒布本は、19世紀後半に最初に出版された。葬儀の際に、出版され、配布された本である。この種の本を出版した目的は、亡くなった人々を称え、記念することで、故人の善行と人生が常に家族や知人の記憶に残るようにするためだった。当初は、王室や貴族だけが葬式頒布本を印刷する余裕があった。その後価格が下がると、庶民が徐々にこの慣習を始めるようになり、今日にいたるまでタイの火葬式の一部となっている。
葬式頒布本は、主に3つの主要な部分に分けることができる。故人の伝記、家族や友人からの賛辞、および一般的コンテンツである。最後のセクションでは、仏法または仏陀の教え、社会的および歴史的知識、王室の年代記、芸術、医学、植物学、タイ古典文学、タイおよび西洋料理のレシピ、スポーツのヒントなど幅広いトピックが含まれている。この部分が書かれている理由は、読者の利益になるからである。仏教の慣習に従えば、それはこの世を去った人々の最後の善行である。
歴史資料としての葬式頒布本の特徴は、故人の伝記と部分的な一般知識である。伝記の場合、彼/彼女の人生の重要な時期――彼/彼女が若かったとき、受けた教育、仕事、退職後の人生など――を扱った物語によって構成されている。慣習的には、家族が故人の短い伝記を書くが、ときには故人自身が書いたより長い自伝や回顧録を出版することを家族が選ぶこともある。短い長いに関わらず伝記は、故人がどのように歳を取りながら生きてきたのかを描いた物語である。細部にいたる描写が、タイ社会と人々が過去から現在にいたるまで、どのように変化してきたのか、驚くほど解き明かしている。
さらに庶民たちの生活とは別に、特に故人が王族、官僚、政治家、著名な人物であった場合、交友関係や様々な種類の人間関係が分かる。これらの人間関係は、個人的な手紙、公式の書簡の両方に加え、追悼の辞にも示されている。したがって、葬式頒布本は、故人とその親族についての情報を提供するだけでなく、家族の外にある世界にも光を当てていると言えるだろう。
本の後半にある一般的な知識については、伝記の部分と同じくらい重要な情報である。葬式頒布本に掲載されているコンテンツの中には、他の保存形式ではすでに存在しないものも含まれている。それらの多くは、19世紀から20世紀初頭の貴重書としてバンコクにあるタイ国立図書館に保存されているが、アクセスするのが困難である。
言うまでもなく、葬式頒布本を印刷する当初の目的は亡くなった人の追悼であったが、これらの本は不可欠な歴史的資料として後の世代に利益をもたらしている。上記したように現在、歴史家と歴史学を専攻する学生は、この種の本を集め始めている。特にタイ社会の中で有名だった人々の葬式頒布本の売買が拡大している。収集を行う諸機関のなかでも、京都大学は「チャラット・コレクション」という名の下で、世界的に見ても有数の葬式頒布本コレクションを所蔵している。
チャラット・コレクションは、京都大学東南アジア地域研究研究所図書室が所蔵する葬式頒布本のコレクションである。このコレクションには約9,000冊の本があり、そのうち約4,000冊は葬式頒布本である。同図書室は、タイ国外では最も大規模な葬式頒布本を所有している。それらのうちいくつかの本は、タイで葬式頒布本の慣習が始まった19世紀後半すなわちチュラロンコーン王の統治時代にまで遡ることができる。
写真1 チャラット・コレクションの葬式頒布本の一部1
私自身の経験から述べると、このコレクションを初めて使用したのは、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の博士課程に進学した2019年だった。私の論文のテーマは、20世紀初頭のタイ軍の近代化および兵士の生活とイデオロギーである。私は研究の裾野を広げるために、東南アジア地域研究研究所図書室で新しい資料を調べる必要があった。葬式頒布本が持つ機能を考えると、その使用は実り多き選択肢であったと思われる。図書室を訪れたとき、兵士の葬式頒布本、主に中級から高位の軍人を含む数多くの葬式頒布本をチャラット・コレクションで発見した。彼らの多くは、20世紀の大転換期、厳密に言うと、1932年革命後に絶対君主制が崩壊し、民主主義が台頭した時代を生きた兵士たちだった。
写真2 シャムの兵士たち
写真3 プラアッカニーウット(ラマーイ・シーチャーモン)Phra Akkhaniwut (Lamai Srichamorn)中尉2
当時、軍はこの革命を担うリーダーとして重要な役割を果たした。軍隊は兵舎から政治の舞台に初めて踏み出し、これ以降、クーデターと軍事関与がタイの政治の一部を占めるようになった。そのため私は、彼らの認識とイデオロギーについてさらに理解するために、彼らの物語を調査したいと考えた。たとえば、兵舎での生活がどのように彼らを形成し、社会や政治問題に関する彼らの自覚を高めたのか。
写真4 陸軍省の大臣であり、シャム軍の士官に任命されたチラプラワティChirapravati王子 (着席の人物)3
私は、士官学校を卒業した後、1912年宮殿の反乱と1932年革命に参加した人々の興味深い回顧録と自伝をチャラット・コレクションのなかに見つけた。それらの中には軍部のリーダーであった、プラヤー・リティアカネー Praya Riithiakhaney大佐、マンコン・プロムヨーティーMangkorn Phromyothee将軍、プラユーン・パモンモントリー Prayoon Pamornmontri中将ルワン・ハーンソンクラームLuang Hansongkram将軍、リヤン・シーチャンRian Srichan少尉が含まれている4 。
彼らの物語には、王室出身の将校と非王室出身の将校の間にあった、いわば軍隊における不公平と不平等な扱いに不満を抱いていたことが描かれている。王室出身者であるということは、海外の軍事学校で学ぶことができるより良い待遇とより良い機会を有することを意味し、高貴な家族に出自を持たない兵士よりも、より早く、より高い地位に昇進できた。さらに、当時起きた政治的困難および経済的危機から、非王室出身の兵士たちは国を保護し、統治する可能性を信じていた。彼らは賢明で、強く、分別があった。彼らは単なる兵士ではなく、指導者でもあった。そのため彼らは絶対君主制を転覆することを決意し、自らを民主的改革のリーダーと位置づけたのである。
私が発見した別の兵士の自伝には、1932年革命に反対した王党派の反乱に参加した兵士、すなわち1933年のボーウォーラデートBaworndech親王の反乱に参加した兵士たちのものもある。1932年革命に関与した人々とは対照的に、反乱失敗後にサイゴンに逃げたルワン・プレーンサターンLuang Phlengsatharn少将とルワン・ソンチッティヨーティンLuang Sornchittiyothin大尉の葬式頒布本5を発見した。彼らは共に君主制に対する忠誠心を述べ、王位を守ることを誓った。王政派の兵士はこの事件について直に言及しないことが多いが、二人の短い伝記は、負けた側に立ったことが彼らのキャリアにどのような影響をもたらしたのかを描いている。反乱後、王政派の将校の何人かは辞任し、また多くは軍隊の地位から離れることを間接的に強いられた。
このような物語から、勝者と敗者の視点から物語の両面を見ることができる。勝者は彼らの勝利を宣言し、民主的な改革を賞賛した。反対に、敗者は王政に対する忠誠心を主張した。葬式頒布本に現れている異なる立場は、軍隊の中の兵士の間での異なるイデオロギー、視点、および感情を明らかにしており、非常に重要である。軍隊が訓練や教訓を通じて兵士の心に同じイデオロギーを植え付けようとしたのは事実だが、兵士のイデオロギーを形成したさまざまな形の他の要因があったと言える。
このように魅力的な葬式頒布本は、タイ軍の多様な側面を明らかにしているが、他の歴史的資料同様、使用には制限がある。この種の本は、故人を称えるためのものであるため、必然的に彼らの物語のポジティブな側面を描いている。また葬式頒布本には繰り返しのパターンがあり、幼少期、教育、仕事、家庭生活、退職という人生経過を辿っている。またこれらの本すべてが、私たちが期待する詳細を描いているとは言えない。このことは、特に故人が貴族、王室の家族、公人ではなかったときに起こり易い。一部の本には、故人が過去に何をしたかについて、短いリストのみで、まったく詳細がないものもある。それでも葬式頒布本は、タイの社会と人々を解き明かしたいと考えている社会史家にとって有用である。
タイの歴史に興味のある方は、東南アジア地域研究研究所図書室のチャラット・コレクションをご覧いただきたい。葬式頒布本を使用する際のひとつの注意点は、同じ本の中であっても内容が多岐にわたるため、分類が難しいことである。したがって、おなじみの名前や有名な人物から始めることが私の提案である。十分に時間がある場合、書棚を一つ一つ確認しながら調べれば、これらの本から驚くべき詳細を発見できるかもしれない。同図書室は、葬式頒布本の所蔵数を徐々に増やしている。より最新の葬式頒布本が利用可能になり、簡単にアクセスできるようになっている。
(芹澤隆道 訳)
---------- 1 プラ・チャムナーンクルウィット(ヤーム・パモーンモントリー)Phra Chamnankuruwit (Yam Phamornmontri)少佐と婦人の葬式頒布本 (Bangkok: Sophonphiphatthanakorn, 1930)(左);1922年ロイヤル・プラザで行われたチャオプラヤー・ボディンデーチャーヌチット(モームルワン・アルン・チャットクン・ナ・クルンテープ)Phraya Bodindechanochit (M.R.Arun Chatkun Na Krugthep)陸軍元帥の葬式頒布本 (Bangkok: Sophonphiphatthanakorn, 1922)(右)。
- 2 写真2および写真3出典:プラアッカニーウット(ラマーイ・シーチャーモン)中尉の葬式頒布本(1971年11月17日) Akkhaniwutnusorn (Bangkok: Mahamakut Ratchawitthayalai, 1971)。
- 3 出典:1972年7月27日テープシリンタラーワートThepsirintharawat寺で行われたプラヤー・ウィブンアーユラウェート(セーク・タムマサロート)Phraya Wibun-ayurawet (Sek Thammasarot)少将の葬式頒布本 (Bangkok: Mongkonkanphim, 1972)。プラヤー・ウィブンアーユラウェート(セーク・タムマサロート)は写真左の人物。
- 4 1967年5月25日テープシリンタラーワートThepsirintharawat寺で行われたプラヤー・リティアカネー大佐の葬式頒布本(Bangkok,1967);1971年11月6日マクットガサットリヤーラームMakutkasattiyaram寺で行われたリヤン・シーチャン小尉の葬式頒布本 (Bangkok: Aksorn Thai, 1971);1982年11月25日プラシーマハータートウォラマハーウィハーンPhrasrimahathatworawihan寺で行われたプラユーン・パモンモントリー 中将の葬式頒布本 (Bangkok: Bophitkanphim, 1982)。1966年6月29日に行われたマンコン・プロムヨーティー空軍最高司令官の葬式頒布本 (Bangkok: Krom Samphamit Press, 1966)。
- 5 ルワン・プレーンサターン少将とスッタウィット・アネーカマイSutthawit Anekamai大尉の葬式頒布本『チョー・チャーンの小話Ruengsun Cho Chang 』 (Bangkok: Arun Press, 1961);1973年6月5日ソーンマナットSommanat寺で行われたルワン・ソンチッティヨーティン大尉の葬式頒布本 (Bangkok: Bamrungnukunkit, 1973)。