cseas nl75 特集2 「モルディヴ文化遺産調査」プロジェクト

The Maldives Heritage Survey(MHS)

R. マイケル・フィーナ―(京都大学東南アジア地域研究研究所)

モルディヴはインド洋の彼方に浮かぶサンゴ環礁の群島で、1,192の島々から成り、その中で現在、人が住む島は200未満だ。モルディヴ諸島では、西暦1千年紀に仏教が広まったものの、12世紀に始まったイスラーム化の過程を通じ、イスラームが完全に仏教に取って代わった。このため、制度としての仏教は廃止され、王家の命によって多くの島々の各地にモスクが建設され、政治と経済に突然の変化が生じた。その後、数世紀のうちに、モルディヴが地域を超えた交易と文化交流の圏内に組み込まれたことで、この国独自の異彩を放つムスリム文化の様式が発達した。モルディヴの伝統的なサンゴ石のモスクや墓碑、ディベヒ語文学などがその例だ。このように、長い歴史と豊かな文化遺産を持つ国であるにもかかわらず、モルディヴ研究はほとんど行われてこなかった。このため、主要研究大学の図書館でさえ、この国の歴史を研究するための資料となる蔵書は、ごく僅かしかない。

 この2年半の間に、「モルディヴ文化遺産調査」(The Maldives Heritage Survey、以下MHS)は、危機的な状況にあるモルディヴの有形文化遺産の体系的な目録を作成し、これらをデジタル化して記録に残す活動を行ってきた。これらの文化遺産には、モスクや墓地、仏教寺院遺跡や、その他の歴史的建造物、遺物が含まれる。この活動では、オンライン上にオープン・アクセスの資料サイトや文化遺産データベースを構築する取り組みを行っている。記録化プロジェクトの対象となった文化遺産は、自然の脅威や人的脅威にさらされ、極めて危機的な状況にあった。モルディヴは、相互に連関する南アジア海洋地域の交差点に位置し、近代以前には世界の経済と宗教のネットワークの重要な中心地であった。そのモルディヴの歴史に関する情報の保存や利用機会が、これらの脅威によって危機にさらされているのだ。

 先駆的、かつ体系的なモルディヴ考古学遺産調査を実施するにあたり、GPS座標による位置情報の特定を行い、それぞれの遺産については、詳細な測量情報や、写真、航空写真、ビデオ、3Dスキャン、AutoCADによる平面図や立面図、さらには古文書のデジタル化や、オーラル・ヒストリーのインタビュー録画を行い、記録化に万全を期した。また、(関連性のある全ての)遺跡について、より詳しい背景を説明するため、あらゆる政府の報告書や現地出版物、それに海外で刊行された学術文献から、特定の遺跡に言及していると思われる箇所を参照した。しかし、これらの遺跡の圧倒的多数については、我々の作成した記録が、史上初の記録となった。つまり、中世、近世のインド洋世界の文明の交差点として、極めて重要なモルディヴの歴史と文化に関する原資料を、これに関心を寄せる研究者に提供する上で、我々の仕事は少なからず貢献することになる。

 これまでに我々が調査を行った範囲には、ラーム(Laamu/ハッドゥンマティー Haddhunmathee)環礁、ニャヴィヤニ(Gnaviyani/ フヴァムラFuvamulah)環礁、アッドゥ(Addu/ シーヌSeenu)環礁、ハー・アリフ(Haa Alif/ 北ティラドゥンマティー North Thiladhunmathee)環礁がある。また、ハー・ダール(Haa Dhaalu/ South Thiladhunmathee南ティラドゥンマティー)環礁での予備調査を開始し、カーフ(Kaafu/ Maléマレ)環礁の多くの島々も調査した。本プロジェクトは、この調査において、152の島々に関する総合調査を完了し、288か所の遺跡と11,54棟の建造物、3,734個の遺物の位置を特定し、記録化した事に加え、231点の史料をデジタル化し、28件のオーラル・ヒストリーのインタビューを録画し、3D画像を起こすために計測された87の点群を登録した。基本となるフィールドワークと並行して、我々はこのWebサイトのために、モルディヴの文化遺産と歴史に関する、より広範な資料を記録化の対象に含めようと努力してきた。この目的のもと、我々は様々な機関と交流してきた。それらの機関には、モルディヴ国立博物館や、モルディヴ国立公文書館、ウティーム・ガンドゥヴァル・パレス(the Utheemu Ganduvaru Palace)博物館、オックスフォードのアシュモレアン博物館、それに日本の国立民族学博物館などがある。我々は、各機関の所蔵する関連資料をデジタル化するとともに、新たなデジタル文化遺産の資料をオープン・アクセスで提供するための許可を要請してきた。このような連携によって、モルディヴに関するデジタル文化遺産の記録の規模と利便性はさらに増大する。これにより、記録された資料へのオープン・アクセス・ポイントが集約され、資料は研究者や学芸員、政治家、より広くは一般の人々にも利用できるものとなる。

 現在、この資料の全てを、モルディヴ文化遺産調査で利用することができる。これらのオープン・アクセス資料には、以下のようなものがあり、いくつかは相互に関連している。

  • 紹介ビデオ: 本プロジェクトの成果と対象範囲を簡潔に紹介している。
  • GIS(地理情報システム)データベース: 現地調査の作業中に記録された遺跡や建造物、遺物をまとめている。
  • オンライン文書リーダー: 対話型インターフェースUniversal Viewerを中心に構築されており、様々な文献をディベヒ語、アラビア語、英語で読むことができる。これらの古文書には、調査隊が現地でデジタル化したものや、モルディヴ国立博物館および、モルディヴ公文書館の所蔵する関連資料も含まれる。
  • オーラル・ヒストリー・インタビューのビデオ・ライブラリー: 調査対象となった様々な文化遺産と関わりのあるコミュニティの視点や、現地の伝統を紹介する。
  • 3Dギャラリー: LiDAR(ライダー)や写真測量データを基に、いくつかの遺跡や構造物、遺物を視覚化している。
  • プロジェクト付随の参考資料: ここにはモルディヴの美術や建築に関する図版入りの用語集や、モルディヴ史の注釈付き年表があり、データベースに記録された資料について分かりやすく説明し、背景を解説している。
  • バーチャル・ライブラリー: 様々なオンライン・リソースに点在する、モルディヴの文化遺産と歴史に関するオープン・アクセスの先行研究や一次資料に対し、許可を取り、リンクを張りながら構築中である。
  • ブログや写真による発信: モルディヴ各地で、現在行われている現地調査の実況を随時発信している。
  • LiDAR(ライダー)スキャン情報データ一式: 調査で作成された、全てのLiDARスキャン情報につき、OpenHeritage3Dとの協同により、これもオープン・アクセスでの利用が可能となり、追加で長期的なアーカイブも提供されている。

 このように、本プロジェクトは、短期間のうちに、モルディヴ諸島の消えゆく過去の情報を、将来の学生や研究者に提供する、唯一かつ、最良の情報資源となった。また、本サイトは、モルディヴの人々にとっても、将来、浸食や海面上昇によって、これらの多くの遺跡に実際に行くことができなくなった時のために、この国の文化遺産を保存しておく重要な場でもある。その意味で、本プロジェクトは、インド洋の水底に沈むという深刻な脅威にさらされた史跡を保存する「ノアの箱舟」を、ネットワーク上に作り出したとも言えるのだ。

 このプロジェクトは、筆者(R.マイケル・フィーナ―)が主導し、リスベット・ラウジング(Lisbet Rausing)およびピーター・ボールドウィン(Peter Baldwin)によるアルカディア(Arcadia)基金(Project 3984)から資金提供を受けている。モルディヴ国内での調査は、モルディヴ政府遺産局(the Maldives Department of Heritage、現国家文化遺産センター /National Center for Cultural Heritage)と、ワシントン大学の SaieLabおよび、南洋(ナンヤン)理工大学のシンガポール地球観測センター(the Earth Observatory of Singapore)の協力を得て行われた。試行段階の活動は、オックスフォード大学イスラーム研究センター(Oxford Centre for Islamic Studies)を拠点に行われていたが、筆者の京都大学東南アジア地域研究研究所への移籍に伴い、プロジェクト全体も京都に移転された。目下、京都では、新たなデジタル文化遺産記録化ラボ(Digital Heritage Documentation Lab)の開設に取り組んでいる。今後、数か月間で、本プロジェクトを次の段階に進めるべく、多くのスタッフを新規採用する見込みだ。MHSは京都大学という新たな拠点から計画を進め、いずれは、「海洋アジア文化遺産調査」(Maritime Asia Heritage Survey、MAHS)プロジェクトとして、活動を広げていくつもりである。今後、5年の間に、モルディヴでの残りの環礁の現地調査を終えるだけでなく、活動範囲を拡大して、歴史的に同じ海上交易と文化交流の圏内にあった、スリランカやインドネシア、ブルネイ、ベトナムなど、その他の南アジア各国にも、新たな支局を開設したいと考えている。

 

無人島にある神殿跡の調査を終え、ベースキャンプへ向かう

 

イハヴァンドホー(Ihavandhoo)モスクで、デジタル化のために古文書を整理する様子

 

ミードホー(Meedhoo)島の土地の寄贈に関する古文書(1675)

 

MHSがイズドホー・カレイドホー(Isdhoo Kalaidhoo)で発見した仏陀座像
(現在はモルディヴ国立博物館所蔵、10~11世紀頃)

 

現地調査の様子、ラーム環礁のサンゴ石のモスクにて

 

カーシドホー(Kaashidhoo)の近隣住民に作業の説明をする様子

 

イズドホー・カレイドホー(Isdhoo Kalaidhoo)で発見された仏陀座像を現地で撮影する様子

 

モルディヴ最大級の初期ムスリム墓地、コアガンヌ(Koagannu)遺跡の見取り図
5つのモスクと、1,000基以上のサンゴ石の墓碑(12~20世紀)の位置情報が記されている