はじめに
新聞資料は、過去の出来事を振り返る際に非常に有用である。いつ・どこで・なにが起こり、だれがそれに関与し、なぜそのような結果を招いたのか。新聞資料は––往往にして断片的ではあるものの––こうした問いに対する答えを出してくれる。研究対象地域の当時の空気感を伝えてくれる新聞資料は、地域研究にとって重要な資料群であるといえる。
東南アジア地域研究研究所図書室(以下、図書室)には、6,000点弱の新聞資料がマイクロフィルムの形で所蔵されている。今回筆者は、この新聞資料のうち、戦後のタイ・バンコクで発行された朝刊紙『星暹日報(Sing Sian Yit Pao)』と夕刊紙『星泰晩報(Sing Thai Wan Pao)』、およびフィリピン・マニラで発行された朝刊紙『華僑商報(Chinese Commercial News)』という3つの華字紙の巻号リストを作成する機会を得た。この作業は、京都大学東南アジア地域研究研究所共同利用・共同研究拠点「東南アジア研究の国際共同研究拠点(IPCR)」の令和3年度共同研究「華字新聞メディアを通じた東南アジアの華語社会内情報流通に係る基礎研究」(研究代表者:天理大学国際学部・芹澤知広教授)の一部として行われた。日本でいうところの「中国語」に相当する標準中国語を、東南アジアでは一般に「華語」といっており、その書面語が「華字」になる。本稿でいう「華字紙」とは、この華字で書かれた新聞のことを指す。
先に断っておきたいが、筆者はタイ地域研究者でもフィリピン地域研究者でもなく、ましてや東南アジア近現代史の専門家でもない。筆者は現在の本務として、現代台湾におけるインドネシア移民の居場所づくりの実践を人類学的視角から研究している。台湾をフィールドとする筆者は、華字資料の読解は可能であるものの、タイやフィリピンの近現代史に関してはまったくの門外漢である。
しかし、図書室周辺には華字資料(特に繁体字で書かれた資料)を解する人材がほとんどいないということで、筆者がこの巻号リストの作成を引き受けることとなった。そこで本稿では、筆者が巻号リストの作成を担当した上述の3紙の基本情報を紹介するとともに、華語を理解する研究者という立場から、東南アジア地域研究における華字紙資料の有用性について考えてみたい。
3紙の概要
『星暹日報』は、1950年6月にタイ・バンコクで創刊された日刊紙である。創刊当初の紙面は、基本的には8ページ構成であったが、1953年には10ページ構成へ、1954年には12ページ構成へとページ数を増やしている。また、毎週日曜日には本紙面に加えて2ページ構成の日曜版『星暹画報』が発行されていた。図書室には、1950年9月〜1971年6月発行分が所蔵されている(2022年1月現在)。
同じくバンコクで創刊された『星泰晩報』は、『星暹日報』の夕刊版にあたる。紙面は基本的に4ページ構成であり、日曜休刊であった。図書室には、1950年9月〜1973年7月発行分が所蔵されている(2022年1月現在)。また指摘しておかなければならないのは、『星暹日報』および『星泰晩報』の両紙が、著名な華僑実業家の胡文虎が所有する新聞社によって刊行されているという点である。タイガーバームの販売で富を蓄えた胡文虎は、東南アジアの諸都市や中国南部で複数の華字紙を刊行し、「星新聞系列」と呼ばれる華字紙の系列を築きあげた。『星洲日報』(1929年創刊、シンガポール)や『星島日報』(1938年創刊、香港)はその代表例である。『星暹日報』と『星泰晩報』は、この「星新聞系列」のタイ版であった。
一方で、1919年にマニラで創刊された『華僑商報』は、フィリピン国内に現存する最古の華字紙である。創刊当初は月刊紙であったが、1922年からは日刊紙として発行が続けられている。紙面は基本的に8ページ構成で、日曜日には日曜版に相当する『華僑週刊』が発行されていた。図書室には、1948年4月〜1972年9月発行分が所蔵されている(2022年1月現在)。また、同紙について特筆すべきは、冷戦期に反共・中華民国支持の立場を紙面上で鮮明に示したことである。たとえば、1950年10月10日の中華民国国慶日(10が2つ重なる日付であることから、双十節と呼ばれる)には、ページ数を22ページまで増やし、双十節を祝う特集記事や広告を多数掲載しているのが確認できる。
華字紙資料と東南アジア地域研究
では、これらの華字紙資料は、東南アジア地域研究にいかに活かすことができるだろうか。華字紙の読者の大部分は華人である。そのため華字紙は、主に華人研究で有用な資料として用いられてきた。従来の華人研究では、主に一国内に限定された華人社会を対象として、移住先社会への同化と華人アイデンティティの葛藤という研究テーマが論じられてきた。言語面に関していえば、華語使用による華人アイデンティティの維持と継承に焦点が当てられてきた。華字紙は、そうした研究における一資料として利用されてきたといえる。
しかし、もとより華字出版物の刊行・流通は一国内に留まらず、香港・ベトナム・タイ・シンガポール・インドネシアというように、東〜東南アジアの広域に渉る。各地で発行された華字紙を読み比べてみると、当時の中国や台湾と移住先とのつながりはもちろんのこと、複数の異なる移住先の間においても超地域的なつながりが存在したことに気がつく。たとえば、各地の華字紙に掲載された広告だけ見てみても、そうした超地域的なつながりに乗ってさまざまなモノが流通していたことを読み取ることができる。
具体例を見てみよう。『華僑商報』に掲載されたある薬品の広告では、ベトナム・サイゴンの華人が自分にその薬品を送ってくれたマニラの華人医師に対して感謝を述べた手紙の文面が紹介されている。ここからは、当時の国境を越えた華人による華語に媒介されたコミュニケーションの様態をうかがうことができる。
こうした事実に目を向けると、華字メディアは、華字という共通の書記体系を持つ東南アジア各国の華人が、国境を越えてやりとりすることを可能にしていたことがわかる。そこで、華字紙資料を利用すれば、東南アジア広域の華人社会内部における情報流通の形態を明らかにすることができるのではなかろうか。華字紙メディアが媒介した情報流通の情勢が明らかとなれば、東南アジアにおける華人社会の国境を越えたネットワークと連動する社会変化を比較分析する際に、大きな助けとなるであろう。華字紙の有効性とは、けっして、単に一国内の華人社会のみを対象とする華人研究に限定されるものではないのである。
これまでの東南アジア地域研究は、ともすると一国研究に陥りがちであった。だが、華字紙というツールを用いれば、研究対象地域を華字が通用する領域全土にまで広げることができる。つまり、華字紙資料は、特定の国民国家=「地域」という固定的な地域研究を脱構築できるポテンシャルを持っているのだ。現在作成中の華字紙巻号リストは、図書室利用者が閲覧を希望する資料の検索を容易にするのはもちろんのこと、華字紙資料がそうしたポテンシャルを発揮するための手助けとなることが予想される。
華語を理解する方には、ぜひ図書室が所蔵する華字紙資料を積極的に利用していただきたい。そして、東南アジアの華人社会における文字によるコミュニケーションのリンガ・フランカである華字で書かれた新聞の読解を通して、東〜東南アジアのつながりを再確認し、「地域」というものを問い直すきっかけとしてほしい。
柴山元(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士前期課程)