社会共生研究部門・機関研究員
博士(東南アジア研究、シンガポール国立大学)
専門分野はフィリピン史、日本思想史
これまで私は戦争に勝った国が、戦争に負けた国の歴史を、勝った側の都合の良いように、どのように作り変えてきたのかということに関心をもってきました。例えば私が専門としているフィリピン史と日本近現代史は、いずれもアメリカ合衆国に戦争で敗れた後、発展、民主主義、自由を謳うアメリカ支配を正当化する新しい歴史が導入されたという共通性を持っています。そしてこの作り変えは、国同士の争いだけでなく、同じ国においても政変が起きたり、権力を握る人物が変わったりした場合でも起きてきたことが、世界史のなかで広く確認できます。権力側にとって歴史を自らのコントロール下に置くことは、現在の支配を正当化する上で必要不可欠だったからでしょう。裏を返せば、敗者側は新しい歴史を受容することで自らを作り変えていったのですが、敗者同士の間でこの経験を共有する回路は、これまであまり議論されてきませんでした。
CSEASでは、東南アジア諸国の人たちがお互いの歴史に関心を持つにはどのような回路が必要かということを同僚たちとよく話をしております。欧米による植民地支配を受けた多くの東南アジア諸国では、旧宗主国の歴史を学ぶことが自国史を学ぶことと直接つながってきました。もちろん欧米が作り出したこの歴史に対して異を唱え、ナショナルな歴史を作る多くの試みもなされてきました。ですが東南アジアの歴史叙述にまつわる資料や言語の問題、時代区分、敗北を経験した歴史家の葛藤などの共通点は、あまり着目されてきませんでした。ですから東南アジアの人たちが「敗者の経験」という共通点を学ぶことによって、自国史に対する理解がどのように変わるのかということに関心があります。そしてこのアプローチは、日本人が東南アジア史を学ぶことによって日本史に対する理解がどのように変わるのかという問題と結びついていると考えております。