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CSEAS座談会

生きものを研究・教育すること
その多様な視点とアプローチ

出席者

 木村里子(水中生物音響学、環境影響評価)

 坂本龍太(フィールド医学)

 山崎 渉(食品衛生学、人獣共通感染症学、動物感染症学)


聞き手

 町北朋洋(労働経済学)

写真: タイ湾トラート周辺海域のカワゴンドウ


生き物を観察する研究者は日々、どのような仕事をし、何を考えているのでしょうか。
今回、京都大学東南アジア地域研究研究所(CSEAS)の自然科学系および医学系の研究者3名による対談を企画しました。水生生物の研究者、人獣共通感染症の研究者、人間相手のフィールド医学の研究者です。
3名の研究者に対して、どうしてその研究を行っているのか、自分を駆り立てるものであったり、楽しさや難しさについて語っていただきました。

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今日はお集まりいただきありがとうございます。この座談会では、「生きものを研究・教育すること。その多様な視点とアプローチ」というテーマで、動物学、獣医学、フィールド医学研究者であるみなさんの研究の日々について、また、人類が共通して直面している課題について、さまざまな意見を引き出したいと思っています。また、それによって多くの子どもたちに自然科学系・医学系の研究に興味をもってもらいたいと考えています。主な読者は高校生ぐらいかなと考えています。まずは自己紹介を兼ねて研究紹介をしていただけますか。

木村里子 私は水の中に棲む大型の動物に関心をもって研究しています。野生の動物は、人間の目に見えない範囲にすぐに行ってしまうので、そこから先の行動や生活を知りたいというモチベーションがあります。見えないものを見るために、音で動物の声をとったり、バイオロギングなどの手法を用いて研究しています。
 主にはイルカを対象に、中国、マレーシア、日本をはじめ、インドやタイ、メキシコ、デンマークなどさまざまな地域で調査をしてきました。コロナ禍以降は特に、水族館との連携に力を入れています。これはできる場所でできることを考えた結果ですが、近年、水族館の方も、国外から動物の個体を搬入できなくなるという社会的な背景の中で、国内でより繁殖させよう、研究を進めようという流れになってきていました。ちょうどwin-winな関係で、近隣の海遊館、京都水族館、名古屋港水族館や、鳥羽水族館とも連携して研究を続けてきました。

坂本龍太 私の研究は大きく分けると二つあります。一つがレジオネラ症という肺炎を起こす病気です。この患者さんを診察したことがきっかけで、どういう症状を引き起こすのか、感染源はどこなのか、天候と関係があるのか、一つの小さな菌が人間の社会にどういう影響を与えたのか、その歴史的背景も含めて探っています[1]
 もう一つは、ブータンで地域に根ざした高齢者の健診を導入しました。もともとブータンは母子保健や感染症の予防に力を入れてきましたが、高齢者も、国として力を入れて守っていかなければいけない存在だということで、互いに交流をもって、超高齢化社会の日本の経験を伝えて生かしながら、ブータンで今何をするべきかを探っています。今は、高齢者の枠を超えて、ブータンの地域で人々の健康を守る仕組みづくりに少しでも協力できればいいと思っています[2]。これらが二つの大きな柱です。

山崎渉 私は感染症の研究を主にしています。感染症は微生物が原因となる病気で、微生物は人と動物の両方に影響を与えます。微生物の視点に立って考えると、感染の目的は自分を増やすことなので、侵入する対象は人でも動物でもどちらでもよいのです。ですから私の研究テーマである人獣共通感染症は、人と動物の両方にかかわっています。動物がもっている病原体が直接接触や環境・食肉などを介して、人に危害を与える、そちらの研究から始めて、次第に動物そのものの方に研究テーマが移ってきました。
 地球上には870万種以上もの生物種が存在しており、そのうち、少なくとも1400種が人に対して何らかの感染症を引きおこす「病原体」とみなされています。人以外の動物に感染症を引き起こす病原体の数はとても多いのですが、正確な数はわかっていません。「微生物」はより大きな概念で、病原体をその中に含みます。微生物の定義は目には見えないような小さな生物(目に見える程度の大きさの微生物もいます)すべてですが、病原体の定義には「微生物のうち、人や動物に健康被害を与えるもの」という、人為的な判断が加わります。つまり、動物には全く無害な微生物が人に対しては病原体となったり、逆に人の病原体が動物には全く無害な微生物であることが多いのです。それゆえ、病原体に対する効果的な制御策を確立することはとても難しいです。
 それと、もう一つはニーズですね。自分が疑問に思ったことを追究することに加えて、社会のニーズがあって、求められていることを満たす研究に興味があります。あるいは共同研究者からこういうことをやってほしいという声がかかると、それに応えることが多いです。
 さらに、感染症の原因調査が重要だと思っております。被害が広がってから対策を考える、対応するよりも、感染が拡大する前の予防策を考えることや、起きてしまった場合に責任を追及するのではなく原因を追究する、次に生かすにはどうしたらよいかを調べることが再発防止に役立つと考え、取り組んでいます。[3]

イルカの研究との出会い

ありがとうございます。今紹介していただいたみなさんの研究について、もう少し伺っていきたいと思います。まずは木村さんに、バイオロギングや水中生物音響学について、これらは具体的に何なのかを教えていただけますか。

木村先生 木村 バイオロギングは動物に直接記録計(ロガー)を装着して動物の行動を記録し、ロガーを回収して記録を分析することで、その動物が自由に行動している様子、自由ではない時もあるんですけれども、その動物がどのような行動をしていたかを知るという研究手法です。
 私が入学した京都大学農学部は日本のバイオロギング研究の発祥地の一つで、多くのバイオロギング研究者が誕生しています。現在の日本バイオロギング研究会会長で東京大学大気海洋研究所の佐藤克文教授も京大農学部出身です。佐藤先生が学生だった当時は、圧力センサーでねじに巻いた紙にペン芯で深さを記録し、アザラシやウミガメがどれほど海中深くまで潜っていたか、農学部の廊下で記録紙を広げて確認し、それを解析するようなところから始まったそうです[4]。そのように、自身の出身校でバイオロギング研究が始まったことも大きなきっかけだったかもしれません。現在では、スマートフォンに搭載されているような、加速度や温度やGPS、ビデオなどいろいろなセンサーが増え、動物と人間が知恵比べをするように、どんどん技術が進歩しています。
 音をとる方の水中生物音響学の研究については、イルカやクジラなど、倫理的な観点や外洋に生息するなど生態学的な問題からなかなかロガーをつけにくい動物もたくさんいて、それらの動物に対しては音で調べる方がよいということになります。もともとイルカの音響研究は、第二次世界大戦当時の潜水艦のソナーの研究から発展してきました。冷戦が終わって以降は、それが水中生物の研究手法として広まっています[5]

木村さんは水中生物の中でも、特に大型のイルカを主に研究されているということですね。どうしてイルカなのでしょうか。

木村 本当は、クジラの研究をしたかったんです。農学部生だった当時、GPSの技術によって、ザトウクジラなどが地球上を大きく動く回遊が見えてきたような時代でした。そういう研究を、テレビや新聞のニュースなどいろいろなところで見る機会がありました。
 バイオロギングの研究室が一つあると知り、その研究室に入ってクジラを研究したいと希望していたのですが、クジラの研究はお金がかかるんです。クジラに会うまでに、船で行くにもかなりの費用がかかります。そんな時たまたま、イルカ調査の人員募集があると耳にしました。イルカならば、小さいけれどもげい類だし行ってみよう、と応募して調査に向かったところ、中国の揚子江の研究状況や研究環境に圧倒されて、のめり込んでいったんですね。そこからそのまま、ずっとイルカです[6]

レジオネラ症の研究、そしてブータンとの出会い

ありがとうございます。では次に、坂本さんと二つの研究テーマ、レジオネラ症とブータンとの出会いを教えていただけますか。

坂本 レジオネラ症との出会いについては、当時、博士課程4年コースの3年目だったのですが、まだ研究テーマが決まっていませんでした。所属していた教室では、受動喫煙について研究していました。喫煙者自身や受動喫煙による害がすでに指摘されていましたし、大事な問題ですが、もうそこまで、喫煙者を責めるのもどうかとも思っていたんです。自分が取り組むべきテーマは何なのか?って、もうあまり残された時間もない時に考えていたんですね。
 その頃病院の救急外来でバイトをしていて、ある時、自分の患者さんが交通事故で運ばれてきました。当初は外傷、つまり、どこか怪我をしているのかなと考えていました。しかしその方は肺炎を起こしていて、レジオネラ症という病気だったんです。その患者さんは事故の前から水様性の下痢便があって体調が悪かったんですが、当時から、レジオネラ症は大部分が見逃されていて、近くの病院で急性胃腸炎と診断されていた方でした。それがきっかけでレジオネラについて調べ出したのですが、レジオネラ症は診断した全例を報告する義務があるのに、当時、全国で1年間に200~300例ほどしか報告されていませんでした。そんな珍しい人が本当に僕の前に来るものなのかと思いました。もしかしたらレジオネラはもっとありふれていて、多くの人が見逃されているのではないか。レジオネラ症を突き詰めたらかなり意義があって面白いのではと思いました。研究をすることで、今まで見逃されてきた患者さんが助かる可能性が上がればうれしいですよね。
 このタイミングでこのテーマを研究できる人は自分しかいないのではないか。そこでレジオネラについて調べられる限り調べて、あっという間に集めた論文の山がいくつもでき、教室の自分の机のスペースからはみ出すようになってしまいました。それを見た教室の先生から「お前何やってんだ?」と訝しがられ、「レジオネラ、めちゃくちゃ面白いと思うんですよ」と応えると、「お前、今、何年目だと思ってんだ?」と呆れられました(笑)。「でもやっぱりこれをやりたいんです」と食い下がると、京大の良さなんでしょうか、最終的には好きなことをやれ、と認めてくれました。それでレジオネラの研究に打ち込んで、4年では間に合いませんでしたが、一旦中途退学して何とか1年遅れで論文を出して、それが博士論文になりました。
 ブータンの方は、僕は小さい頃からブータンに憧れていたんです。小学6年生の時に昭和天皇が崩御され、各国の代表者が式典に参列した時、当時は日本の経済の状態がとてもよかったので、多くの方は経済的な援助を求めたんです、それがある意味裏の目的だったんですね。ブータンからは先代の国王陛下が参列くださいましたが、特に経済的な無心をしなかったと言われています。当時マスコミが、あの小さな国から来てなぜ経済的な援助を求めないのかたずねたところ、「私はそのような目的で来たわけではありません」ときっぱり答えたそうです。今なら、国民が苦労している部分もあるから援助を頼むのもありかなとも思うけれども、そういう姿勢がかっこいいなと思いました。「ゴ」という民族衣装を着たどこか懐かしさを感じるいでたちも、昔の日本のサムライのようで。威厳を漂わせた風貌に憧れていました。
 それで、話せば長くなりますが、2008年に奥宮清人先生(現東南アジア地域研究研究所連携教授)が「人間の生老病死と高所環境」というプロジェクトを立ち上げました。その奥宮先生が、院が終わったら来てくれないかと誘ってくださったんです。奥宮先生は高知県のご出身で、先生の一番のヒーローは坂本龍馬なんです。僕は坂本龍太じゃないですか。後から聞いたんですけれど、一字違いで、坂本龍馬が助けてくれるんじゃないかと感じたとおっしゃっていました(笑)。

大学院生の坂本さんが、目の前に現れたのですね。

坂本 ご縁に恵まれました。地球研(総合地球環境学研究所)のプロジェクト(2008年~2012年)では、当初、エチオピアとアンデスとヒマラヤ・チベットの三地域を調査するという壮大な構想でした。アフリカ大陸にあるエチオピア高地、アメリカ大陸にあるアンデス高地、そしてユーラシア大陸のチベット・ヒマラヤ高地ですね。その世界三大高地で老いを研究するんです。僕はアンデス担当になる可能性があったのですが、その後、外部評価委員会からの意見でヒマラヤ・チベット地域だけでも精一杯だからヒマラヤ・チベット地域に絞るように、ということになりました。それまでも中国の青海省とは繋がりがあったものの、どこから調査を行うか検討していた時、僕の前任者で医学班のリーダーだった松林公蔵先生(現東南アジア地域研究研究所連携教授)が、「坂本君はヒマラヤ地域でどこか行ってみたい国はありますか?」と聞いてくださったので、「昔から一度ブータンに行ってみたいと思っているんです」と答えました。京大がブータンと長年交流をもってきたことも幸いして、そこからは、ブータン研究者の栗田靖之先生(国立民族学博物館名誉教授)をご紹介いただき、栗田さんと一緒にジグメ・イェゼル・ティンレイ首相(当時)にブータンで研究をさせてほしいという手紙を書くなどをしながら仕事を始めることができました。

かなり長い道のりですね。

坂本 長かったです。ただ、それまでも、ブータンを志した研究者が非常に苦労されています。交渉を始めた時は、実際に研究を開始するまでにプロジェクト期間である5年など終わってしまうと言われましたし、僕はかなり苦労はしましたが、今までの方々がつくってくれたつながりや縁のおかげで、かなり早くに着手することができたと思っています。

坂本さんにとっては、12歳ぐらいの頃からのブータンへの気持ちが実ったということですね。

坂本 そういうことですね。すごくありがたかったです。[7]

  1. ブータンのプロジェクトの立ち上げから現地との交渉、人々との交流、さらに今後の展望までをつぶさに記録したエッセイとして、坂本龍太『ブータンの小さな診療所』(ナカニシヤ出版、2014年)をご覧ください。

 

 

では次に、山崎さんに二つ伺います。一つは先ほどのニーズがあってという部分について、もう少しお聞かせください。もう一つは人獣共通感染症との出会いについてお聞かせください。以前ニューズレターで山崎さんのインタビューを読んだ時に、公衆衛生学というディシプリンは自分にとって安住の地であるということを言われていたのが印象に残っているのですが、まずはニーズについてはいかがでしょうか。

山崎先生 山崎 ニーズというのは、東南研にお世話になる前は、宮崎大学の農学部獣医学科に勤務していました。勤務し始めて2カ月ほど経った時、口蹄疫こうていえきという感染症が発生しました。大学としても何とかしなければいけないことになり、そこで新しい検査法の開発に取り組みます。受益者の求めがニーズですが、実際に被害が拡大していて、苦しんでいる人がいる中で、以前に人獣共通感染症の調査研究である程度得ていた知識を動員しての研究がそこから始まりました。口蹄疫ウイルス自体がバイオハザードなので研究試料として国内では扱うことができず、結果的には、イギリスにある世界最大の口蹄疫ウイルスバンク、生物資源をもつ研究所の協力を得て、そこで検査法の開発に取り組みました。
 先ほど坂本さんの話にありましたが、人との縁や、過去の人たちの蓄積があったからこそうまくいった、ということをその時に僕も感じました。当時、隣の研究室にいた同僚に相談したところ、彼の師匠がそのイギリスの研究所で長く研究をしていた方で、話をつけてくれました。さらに大学側もバックアップしてお金を捻出してくれ、イギリスに3カ月間留学させてもらいました。そこで開発した検査法が、1年後に論文になりました。実用化はさらにそこから5年後、あるいはもっと経ったかもしれませんが、現在は企業が販売をしています。
 自分ができることは少ないのですが、その部分でできる限りの努力をすると、いろんな人が結果的に支援してくれるような気がします。相手側には「あいつ可哀想だから助けたろう」という気持ちがあるのかもしれません。口蹄疫ではタイ、ミャンマー、インドネシアと提携していた大学側から、東南アジアに研究結果を持っていって使おうという提案もあり、そうした試みもしてきました。今はアフリカ豚熱という別の病気がパンデミックを起こしているので、同じようにニーズに応える形でベトナムとタンザニアで共同研究を行っています。

口蹄疫の場合も新しい検査法の開発を目指して、アフリカ豚熱の方も同じように検査法の開発をされているのですね。

山崎 そうですね。やはりワクチン開発の方がより根本的な解決になるとは思いますが、僕はその分野に関してはよくわからないです。

微生物研究との出会い

今のお話にあった人との出会いにかかわるかもしれませんが、次に二つ目の問い、山崎さんと人獣共通感染症や微生物研究という研究テーマとのかかわり、あるいは出会いについてもお話しいただけますか。

山崎 これも自分の意思で選んだ部分は少ないです。私の場合は、家庭の事情で大学を卒業してすぐに働き始めました。就職先は京都の隣の滋賀県で、そこの地方公務員でした。たまたま最初の配属先が公衆衛生の研究所で、微生物の研究はそこから始まっています。ただ、大学で行われているような基礎的な研究ではなく、管轄の地域で実際に食中毒が起きた際にその原因を調べるもので、微生物を分離同定したり、因果関係を調べたりと、そういう仕事です。偶然が重なって人獣共通感染症の調査研究に出会いましたが、研究を始めたという意識はあまりなく、仕事として取り組んでいました。  そういった調査研究は、やってみたらかなり楽しかったといいますか、自分の肌に合っていましたので、結果として今もそれを続けています。先ほどのニーズの話につながりますが、当初から、住民の中に苦しんでいる人がいて、その原因を追究するという、ある意味で非常に分かりやすいものでしたから、何のためにやっているのかと悩んだり、矛盾を感じたりすることは少なかったです[8]

  1. 山崎教授の研究テーマとの出会いについては、以下の記事もご覧ください。東南アジア地域研究研究所ニューズレター第3号「新任スタッフ紹介:山崎渉」

タイでの口蹄疫診断講習会の風景

人間活動がもたらす影響

ありがとうございます。まだまだそれぞれの研究について聞きたいことはたくさんありますが、次にみなさんに伺いたい共通テーマがあります。一つは人間の活動が動物に与えるインパクトについて。例えば環境改変やさまざまな人為的撹乱の影響について。このことについて考えていることを伺えればと思います。もう一つは、動物福祉や高齢化についてどう考えるか。最後に、最近の文化人類学で研究が進んでいるような、人間と人間以外の種の絡まり合いや、動物と別の種の絡まり合い、さらに絶滅についてなど、お考えになっていることを自由にお話しいただけますか。

木村 人が動物に与えるインパクトについては、やはり凄まじいものを目の当たりにしていますし、海でも感じます。それは世の中でさかんに言われていることですけれども、ただ一方で、人も動物なのに、と思うこともあります。例えばライオン、あるいはサルやイカなど何でもよいのですが、それら他の動物が支配することについては一体どうなのか、それはいいのか、とか。人間だからダメなのか、私たちが人だから、通常ではないスピードで動物の種の絶滅や地球の温暖化が進んでいるのは真だから何か対策を、自分たちがしたことだから自分たちが対策をしなければ、と考えることはわかるのですけれども。
 特にクジラの研究をしていると、捕鯨の問題や、そもそも肉を食べるという行為について、海外で指摘されたり、議論を仕向けられたりすることが多いです。それらの主張について考えようとすると余計に、どこで線を引くのかという問いにぶつかります。全部が自然、人も自然だと考えて動くのと、どこかで線を引いてこちらは我々、あちらは脆弱な動物と線を引くのと、どこで線を引くかによって答えは変わります。地球温暖化についても、人間の影響ではなくて、太陽の活動の変化だと主張するノーベル賞受賞者の方もいます。現在は間氷期ですが、また氷河期が来たら、結局この温暖化は長い目で見ればさほど大きな影響を及ぼすものではないのではとも思いますし、真実がよくわからないところもあります。

ライオンやサルやイカであればOKで、人間だから特別にダメだとか問題であると言うこと、つまり人間はある意味例外だと考えることはよくないのでは、ということでしょうか?

木村 よくない、とも思わないのですけれども、ヒトという超越した立場の生き物という認識で、当然のように上から見る考え方については何かちょっと違うような気がしています。捕鯨という営みに対して、鯨を食べることに対しても、「神聖な生き物ホーリー・アニマルだから食べてはいけない」などと言われると、よくわからなくなります。肉はダメっていう人もいますし、では植物はいいのかというとそれはOKだという。でもそれは命じゃないの?という、その線引きがよくわからなくなります。

坂本 人間活動が動物に与えるインパクトについて、僕はそこまで動物をしっかり見ているわけではないのでなかなか難しいのですが、ただ率直に言うと、ブータンで犬や牛などの動物を見ていて日本に帰ってきて思うことはあります。今、娘が三人、息子が一人いるのですが、犬を飼いたいと言うんです。
 ブータンで犬を見ていると、いろいろな犬がいて、いじめられていたりもしますが、犬同士のつながりで社会が動いているのが見えます。日本の都会で犬を飼っているのを見ると、人間と犬との関係しかないというか、本当に限られています。たまに散歩に連れて行った先でマーキングしたり、犬同士がじゃれ合っていたとしても、基本にあるのは一匹の犬と飼い主の関係ですよね。何か不自然というか、犬同士の社会があるのに、それを人間の都合で分断して、こっちとの関係にしているように思えるんです。
 子犬が沢山うまれても困るので、人間の都合のいいように去勢されて囲われて、犬がしあわせかどうかはわかりませんけれども、自分が犬だったらちょっと嫌だな、と感じます。なかなか犬を飼おうという気に、すっきりと娘や息子の望みを叶える気にならないんですよね。
 この前、家族で北海道旅行へ行った時に、ミルクを飲もうと牧場へ行ったんです。そうしたら、牛が牛舎で尻尾も首も繋がれて、そこでおしっこも垂れ流しのまま、狭いスペースにぎっしり詰め込まれて飼育されていました。ブータンの牛は普通、のんびりとそこら辺を歩いているんです。牛が複数連れ添って、適当に歩いて、彼らなりのルールがあるんでしょうが、草を食んでいて、ブータンではそういう牛を見てきました。先ほどの木村さんの肉を食べるという話もそうですが、「あぁ俺は、こういう人間の都合のいい生活環境しか与えられていない生きもの、そういう環境を強いられた生きものたちが生み出してくれたものを自分勝手に食べているんだな」と強く感じました。ただ、食べることをやめるかと言えばそうではなく、今でもミルクを飲み、肉も食べますし、矛盾を抱えながら厚顔無恥に生きているんですよね。人間が他の生きものに対して非常に大きな制限を加えてしまっていると考えています。

変わっていく高齢者像

 高齢化については、私の場合は人間相手ですが、人は同じ年齢で区切って見た場合でも本当に多様です。時代によってその捉え方も変わっています。何十年も前に作った日本の高齢者対策の制度がそのまま通用するかというと、現在では高齢者人口が劇的に増えて、一人一人に手厚くお金をかける政策はなかなか厳しいですね。そのうち自分たちも老年になり、未来の世代に借金を背負わせることになります。ですからやはり時代とともに状況は変わるし、高齢者への制度も、年齢で一律に区切って適用するだけではなく、フレキシブルに対応を変えていかないと、と感じます。


人と生物との絡みあい

 人と人以外の生物との絡みあいについては、レジオネラの研究からも考えることがあります。レジオネラ属菌は身近な、すぐそこにある道路の水溜まりにもいて、たとえ病原菌だから根絶せよと言ってもとても難しいんです。この地球、あるいはこの場所は、僕ら人間たちの棲みかでありながらレジオネラの棲みかでもあって、一緒に暮らしているんですね。雨の日には、この辺りでもある程度暴露されています。ただ、人はレジオネラによって時に病気になるけれど、いつもなるわけではない。病気を発症しやすくなる喫煙などのリスクをちょっと避けるとか、罹った時に見逃さずに治療をするとか、生活を工夫してみる。ここにレジオネラのような小さな生物も生きていることを認めて、ある程度敬意をもちながら、それとどううまく付き合っていくかを考える。もちろん自分が病気にかかったら抗生剤で迷いなく殺してしまいますけれども、ここは彼らの棲みかでもあるということを頭のどこかに置きながら、我々自身の立場を振り返る必要があるんじゃないかなと思いますね。

山崎  僕は人と動物の関係という点では、かなり悲観的です。やはり動物を含めた環境に対して人の活動が与えている影響が大きすぎることが非常に心配です。ただ、自分もその影響を与えている側の一部であって、誰もが懸念はしているけれど、結局のところどうにもならない、そういう理由で人間の活動を抑制することにはならないだろう、なるようにしかならないところまで行ってしまうのだろうという気がしています。
 人間が野生動物を家畜化したのが1万年ほど前、牛や馬やさまざまな動物を家畜化してきた歴史があります。それは短期的には大きな利益をもたらしましたけれども、長期的にはさまざまな感染症の出現を招いてしまっています。もともと動物の疾患だったものが、家畜化して人との接触頻度が増すことによって、例えば天然痘や麻疹やインフルエンザなど、さまざまな疾患が人間に被害を与え続けてきましたし、今も与え続けているという点が非常に問題だと思います。
 現実として今は、新しい感染症が発生した場合には早めに見つけて早めに制御していくしかないので、私たちは家畜化から様々な経済的メリットを得てきた一方で、感染症の出現や流行というコストが避けられないという、そういう問題があると思います。悲観的ですね(笑)。

先ほど、人間の活動を抑制することにはならないとおっしゃったのは、人間の活動を抑制しても、人為的撹乱の度合いを低減することはできないということですか。

山崎 起こり得る可能性がどの程度あるのか誰にもわからない感染症に対して、それを防ぐために、人間が経済活動をもっと抑制しましょう、コントロールしましょうということは、非現実的ですよね。だから、そういうことはできないだろうと思います。

それより、起きた時にそれぞれ対処していくということでしょうか?

山崎 そうならざるを得ないですよね。ですから、何がリスクかをよく調べて、起きないような環境を作ることも大事だとは思います。ただ、わからないことが多すぎるという、そういう問題もあります。

なるほど、ありがとうございます。次に坂本さんに質問させてください。坂本さんが『心身医学』に投稿された論文、「ブータンにおいて老いのあり方を学ぶ」[9]という論文を読ませていただいて、この中に、「ブータンでは人間を含めたすべての生き物との調和が長寿の源である」という一節に気を留めたのですが、坂本さんがブータンから学んでいることをもう少し教えていただいてもよいですか。

ジェリでの血圧測定

坂本 仏教以外の宗教もありますが、ブータンの人たちの多くは仏教を信じていて、そういうお祈りの言葉があります。家族や友人、自分自身も含めた人間全部、さらに人間以外も含むすべての生きとし生けるものが平穏でありますように、というお祈りです。人によっては、老いて、マニ車を回しながらそのお祈りを唱えて亡くなっていく方もおられます。
 生きていれば様々な矛盾が生じるし、お祈りの内容は理想論で、僕らは他の生きものと完全に調和して生きていくことなど無理かもしれない。でも、無理かもしれないけれども頭に入れて願っているという、そういう生き方に学ぶところがあります。あぁ、こういう人たちがいるんだな、なるほどなと思うんです。例えばちょっとしたことですが、蚊に対して、僕なんかは蚊がいたら即座に叩きますが、ブータンだと叩く人もいますが、人によっては叩かずに払います。また、ヒルに対して、潰さないで丸めてポイとやる、まだ生きている状態で。ささやかな、生きるものへの敬意を感じます。
 僕はブータンである人に、「生きるものすべてを殺さずに生きるなんて無理じゃないか、車で走れば簡単に蟻を潰してしまうし」と質問したことがあります。その方は、「それはある程度は仕方がない、けれど自らあえて殺そうとしない」と。そこには日々の生活の中でできる範囲でやっていこうという考えもあるのかもしれませんし、そういった考えに共感するところがあります。

  1. 坂本龍太(2019)「ブータンにおいて老いのあり方を学ぶ」『心身医学』59巻4号、321-327頁。

ジェリ村の風景

動物福祉について

どうもありがとうございます。次に木村さんに、動物福祉や、動物自身も高齢化していくという話について、少し教えていただけますか。

木村 野生動物は、歳をとって餌をとれなくなったり弱くなったりすると死にますが、水族館や動物園の飼育下だと、野生では生きられないところまで生きられてしまうために、高齢化がかなり進んでいます。世界動物園水族館協会やワシントン条約などのルールで、国外からの動物の搬入は、特に絶滅危惧種の搬入は行わないとされてからは、水族館や動物園では、国内でいかに長く生かして残し、いかに増やしていくかという方向をとらざるをえなくなり、以前にもまして丁寧に動物をケアしている状態です。そのために、野生ではとうてい無理だろうという状況の動物たちがいたりします。そもそも動物園や水族館の存在自体がどうなのかとか、反対といった議論もわからなくもないですが、ただ飼ってしまった以上、保護してしまった以上は、最後まで幸せに暮らしてもらうのがよいのではないのかと思います。

 それに関連して、最初の木村さんのご研究の紹介で、コロナ禍でもあり、今は京都市動物園や各地の水族館にフィールドを広げておられるのですが、具体的に動物園や水族館ではどういうことをされているのか教えていただけますか。

木村  二つあります。一つはテロメアというものを測っていて、もともと、友人の海鳥の研究者が着目してバイオロギングと組み合わせて測ってきたのですが、水族館の方が興味をもってくれてイルカでも測れないかというお話をいただいて、そこから始まった研究です。

テロメアというのは血液の中に含まれるものですか。

木村  DNAの末端に含まれるもので、長さがあって、ストレスがかかるとそれが短くなると言われています。中長期的なストレスを反映すると言われていますが、まだわかっていないことが多く、どこまでやれるかもわかりません。短期的なストレスはホルモン値で測ることができるのですが、そもそも動物にとっては固定されて採血されること自体がストレスなので、真のストレスは測ることができないと言われてきました。けれどテロメアであれば中長期の、長くかかった個体の負荷が現れるのではないかと考えています。
 野生ですと、環境の悪い、餌があまりないところで育ったシカと、豊かな環境で育った同じ種類のシカを比較するとテロメア長はかなり違う、あるいは母親が無理をしてたくさん子を生んでいくと、後ろの方の子どもたちは最初からテロメア長が短いといった研究があります。人間ではもともと癌研究の分野で進んでいる研究で、癌化した細胞はテロメア長が長い、あるいは障害児を育てている母親の方が健常児を育てている母親よりテロメアが短い、などが先行研究として出ています。それに対して大型の海生生物の知見はほとんどなく、何かわからないかと研究をゆっくり進めているところです[10]
 もう一つは、動物の行動も一緒に見られないかと考えています。個体によって、病気になりやすい個体となりにくい個体があり、それが同じ飼育プールの中で運動量が違ったりするのではないか、それを見るのにバイオロギングを使えないかと、地味に動いているんですけれども。

それもテロメア長と絡めた研究でしょうか。

木村 その比較も見たら面白いでしょうし、そもそも行動量で病気になりやすさなどの傾向が見えてくるところもあると思います。

動物園や水族館での動物の行動そのものも調べているということですね。ありがとうございます。


技術で予防する

 山崎さんに、最後に一つうかがいます。これはとても読みやすく素晴らしい本だと思うのですが、山崎さんが前に勧めてくださった『スピルオーバー』という本[11]のキーワードに、破壊と繋がりというものがありました。破壊は環境問題で、繋がりはグローバリゼーション。環境問題によって環境が破壊されて、人間と動物というか、ウイルスとの接点が限りなく近づき、さらにグローバル化が進むことによってこのスピードが速まるという内容の本でした。先ほど、人間の活動を抑制することは非現実的であるというお話でしたが、山崎さんから見て、温暖化や騒音や汚染や人為的撹乱の影響に対して我々はどうしていったらよいかについて、何かご意見はありますか。

山崎  難しいですね。なかなか、こうしたらよいという特効薬のようなもの、魔法の弾丸的な解決策はないだろうと思います。先ほどの話ですと、仮に世界中が鎖国して、環境への侵食を止めるということですね。自然環境を完全に保護して人間の手を加えないということになれば、パンデミックは起こりえない。起きても非常に遅いスピードで進んでいくと考えられますが、現実的ではないです。それをすれば世界が成り立たなくなってしまうということを、コロナ禍で皆が嫌というほど味わってしまいました。
 早く見つけて早く封じ込めることですかね。新しい技術で、mRNAワクチンのようなものとか、技術革新を図って解決を図るとか、そんなことしか言えないです。

  1. 以下の研究成果もご覧ください。「軟骨魚類のテロメア長と酸化ストレスを検出」
  2. デビッド・クアメン著、甘糟智子訳『スピルオーバー──ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』(明石書店、2021年)。

日本国内でのドローン調査風景

臨床から研究の道へ

ありがとうございます。よくわかりました。それではここからは、みなさんからお互いに気になること、質問したいことをお知らせいただけますか。木村さんからお願いします。

木村  一つは、東南研に入る前に先生方のお名前や経歴を見た時からずっと思っていたんですけれども、お二人とも研究者にならずとも、医師と獣医師として生きていく道があったと思うんです。やはり研究が楽しいから研究をしておられるのでしょうが、何かすごいなと思うようなところがありました。

山崎  僕は正直、臨床ではやれないというか、能力が低かったというのはありますし、研究の方が楽しかったです。動物を治療することはもちろん大切でしょうけれども、自分はそういうのが不器用だったということがあります。
 生き物のことって、すぐにはわからないことが多いですね。自分が最善を尽くしたつもりでも、それでよくなることもあれば、結果的に死んでしまうこともある。正解は一体何だったのかとか、考えるともう訳がわからなくなってしまう。そういう考えならば、人様の動物を診ない方がいいっていうのは思います。感染症は大きなテーマで、なかなか正解はないんですけれども、悩みながらも長期的視野でやっていくことが許される、そういう部分が自分に合ったのではないかと思います。だから獣医師職ではなくて研究職をしているのではないかと、自分では思います。

坂本  僕もすごく不器用だったと思います。例えば、手術が凄くうまいと言われている外科医と一緒に御飯を食べると、もう普段から、箸の使い方から何か綺麗でちょっと違うなと思う人がいるんですよね。僕なんか食べ方汚いですからね。修練を積めばそうなるのかもしれませんが、難しい手術でもうまい人がするとすごく簡単そうに見えるんです。
 ただ一番のきっかけは、救急医をやっていた時に、睡眠時間がめちゃくちゃ短くてつらくて、頭がぼーっとした状態で人の命を左右するような行為をして、いつか失敗するのではないかという思いがずっとあったんです。そういう中で、自分と同じ年齢の人がバイク事故で死んだ状態で運ばれてきたんです。救急では毎回のように亡くなられた方が運ばれてくるから、その頃はもうただ死体が運ばれてくるという感じで、感覚が麻痺していたんですが、その後、ご家族が入ってきて泣き崩れているのを見て、この方の尊い命が亡くなったんだ、と改めて感じました。もしかしたら自分も明日、交通事故で死ぬかもしれない、それなのにこのまま病院で忙しく働き続けておじいちゃんになって死ぬのか、と考えた時に、自分はまだあれもこれもやりたいことがある、と思いました。それで一度ちょっと時間をとりたい、臨床から離れて研究の世界に行って、大学院で研究しながら色々考えたい、生き方を考え直そうと思いました。その後は戻って来てもいいし、違う道を選んでもいいと思ったんですが、大学院で色々と縁があって、勉強する機会が巡ってきた時に、だんだん研究の方が楽しくなってきました。今からまた臨床の生活に戻るかというと、家族との時間もある程度犠牲にしないといけなくなりますし、自分にはこっちの方が向いているかなと思っています。だから臨床医をやめようと思ってやめたわけではなく、一度ちょっと時間をおこうと思ったらそのままこっちに来てしまった、という感じですね。

木村 ありがとうございます。

山崎 私も、木村さんのご質問と同じく前々から、隣の部屋にいる坂本さんは、何でもできてすごい人だなと。そしてなぜ今の研究をしておられるのかなと思っていましたので、お話を伺えてよかったです。



研究の醍醐味

坂本さんからお二人に聞きたいことはないですか。

坂本  今、鳥の言語の文法を解析して、鳥も言葉を喋る、ある程度の彼らのルールで言葉を喋っているという研究がありますよね。イルカについても、音を採っているのであれば、イルカの言語や文法みたいなものがわかったら、イルカ同士のやりとりがわかったらすごく面白いなと。今そのような研究はどういう地点にいるのかなと思いました。

木村  特に日本の場合ですと、イルカは水族館で飼われていますので、名古屋港水族館や海遊館で、鳴き交わすときの鳴き方のパターンがあることはわかってきています。野生では同じ個体を識別して追跡して音をとり続けることが難しいのですが、いくつかの地域では、ある集団が同じ音声パターンを持っていることがわかってきていて、家族の呼び名というか、そういう音声があるんじゃないかという話もあります。
 ザトウクジラがソングを歌うことは有名ですが、Aメロ、Bメロ、サビと非常にきれいな構成になっています。南半球の、オーストラリアの西側から東側の海へ、五年ほどかけて流行歌が伝播していくという研究があります。この論文は魅力的なタイトルが付けられ、「クジラ界のキング・オブ・ポップスはオーストラリア沖にいた!」とサイエンスニュースになったように、クジラのソングが流行歌となって伝わる、文化をもっていたりするので、とても興味深いですね。

坂本  面白いですね。ありがとうございます。僕は今日初めて山崎さんから、保健所で働かれていたことをうかがいました。僕も時々、ブータンでも保健所の方と関わることがあるのですが、かなりの苦労があると思うんです。保健所勤務の時のご苦労について、つらかったことや大変だったことがあれば、伺ってみたいです。

山崎  特に苦労というものはなく、貴重な経験をさせてもらったという意識です。最初の就職が微生物の調査研究を行う衛生研究所というところで、そこで3年働いて、次に保健所に2年いました。最初に微生物をやった後で保健所に行ったので、例えば食中毒が起きた時に患者さんの家で聞き取りをする疫学調査を行うことで、今までやってきた微生物調査と今まさに行っている疫学調査が自分の頭の中で、つながりました。微生物の検査や研究は、患者さんたちの病気の原因を追究することに活かされているとわかり、むしろ非常に良かったです。

坂本 なるほど、そうですか。時間に追われて、例えば先ほどの口蹄疫が突如発生して、それをいつまでに解析して、報告書にまとめて提出するといった時間的な厳しさはいかがですか。

山崎  最初の研究所に行った時に、そういうことはよくありました。あるいは、限られた期日の間に結果を返すというプレッシャーはありましたが、ただそこで技術的なものも覚えることができたので、お給料をもらいながら鍛えてもらってありがたい気持ちでした。また、ロールモデルとすべき、素晴らしい人間性を持つ方々を上司に持つという幸運にも恵まれました。

坂本 すごいですね。ありがとうございます。

生態系の保存をどう考えるか

山崎さんから御二方への質問はいかがでしょうか。

山崎  木村さんに。先ほど町北さんとの対話の中に、野生動物を保護する時、外からはもう入れないで、その施設の中で、寿命が来るまで飼育を続けるという方法で種の保存を目指すというお話がありました。その時に近親交配の問題、血が濃くなりすぎてしまう問題はどう考えたらいいでしょう。外から個体を入れない、その中だけで繁殖が続くということの遺伝的な影響はどう考えたらいいでしょうか。

木村  その問題があるので、できるだけ動物を国内で移動させることになります。でも、少し前にも、移動途中に何かの原因で死んでしまうことがニュースになっていました。近親交配を避けるため、遠方から連れてこられると、運搬のストレスの問題があります。

山崎 運搬のリスクの方が高いと、移動して繁殖させるのは難しいですね。

木村  それに、日本は水族館が多すぎるという議論もあります。世界的に見れば水族館の数がとても多いと言われているのです。でも、国外から搬入できなくなって以降、ラッコはもう日本で三頭ですし、鳥羽水族館のジュゴンのセレナも、国内で飼育されている唯一のジュゴンで、もうおばあちゃんになっていますし。難しいですね。

そうするともう、長期的には水族館がなくなってしまうかもしれない、動物園がなくなってしまうかもしれないのでしょうか。

木村  魚だけがいることになるのかもしれません。そもそも大きく回遊する生き物をあのような狭いところに入れておいてよいのかという議論もあり、なかなか難しいです。全部否定するようなことになってしまうので。

山崎 木村さんとしてはどういう形が一番望ましいとお考えですか。

木村  長年飼育しておられる方の思いも知っているので、なかなか、もう水族館など全部やめたらいいとは言えないです。ただ、日本は飼育される動物数が多いと槍玉に上げられたりはします。アメリカではシャチのショーはすべて禁止になり、そのことで裁判沙汰になったという話もあります。

山崎  種の保存を考えると、結局はサンクチュアリを設置する必要があって、ある個体だけではなく、生態系全体の保護を図ることになると思うのですが、人々が注目するのは目立つ種ですよね。それを守ることには力を入れるけれども、生態系全体の保護はあまり意識されないですね。

木村 難しいですよね。

山崎 経済的にはどうなんでしょう。例えば一部の地域を完全に保存して、人間はたまにそこのサファリとかにお邪魔させていただくような感じで、動物を含めた生態系保護ができれば一番よいと思うのですが。

国立公園のようにということですね。

山崎 はい。結局やはり、開発などの話になってくるのでしょうか。

それが一つの観光資源になれば、持続可能というか、維持可能かもしれませんね。

木村 生態系の保存は非常に難しくて、人の目が行く、キャッチーな動物にばかり保全の目が行きがちですね。それこそレジオネラ属菌も、感染症の原因となる菌も全部含めて生態系だと思うのですが。



研究者を目指すみなさんへ

ありがとうございました。最後にみなさんから若い人に向けて一言、これから研究者を目指す人へのメッセージを聞かせてください。特に高校生に向けて一言お願いします。

木村  私は研究がとても楽しいと思っているので、皆さんと一緒に研究ができれば嬉しいです。理科離れの著しい中で、バイオロギング研究会ではどうしたらみんながもっと研究に興味を持ってくれるのか、一生懸命考えています。幸い、私たちが取り組んでいる動物の研究には魅力的な絵があったりするので、とにかくそれで売り込もうとしています。

木村さんは女性の理系の研究者ということで苦労されたこと、努力されたことなどはありますか。

木村  体力的な面でも、月に一回しんどくなるということについても、あるいは出産でフィールドを離れないといけないとか、その後もなかなか回復しないとか、色々ありました。けれども、私が今いる海生哺乳類の研究分野はかなり、異様にと言ってよいほど女性比率が高く、みなさんの経験を聞く機会がありました。身近なところでみんな苦労したのよ、と聞いたり、もうちょっとパートナーを鍛えなさい、とかアドバイスがあったり。あの先生はこの間すごい賞をとられて素晴らしい論文を出されたけど、あの先生も悩んでいたのか、と思うと私も頑張ろうと。頑張っても同じようにはならないかもしれないけれど、近づけるかな、と励まされるところがありました。私があまり女性研究者比率などを考えずに来られたのは、たまたま女性がいたところだったからです。ですので、周りに全然いないところは大変かもしれないなと、今更ながらに思っています。

坂本  僕もえらそうなことは全然言えないんですけど、長女が今中1で、数年したら高校生になります。それでもし今子どもに言うとしたら、それが正しいかどうかはわかりませんが、やはり自分自身の問いや、自分自身が面白いと感じること、自分がやりたい思うこと、その心の声に耳を傾けてほしいと思いますね。例えば医者と研究の道のどちらかが正しいということではなく、それが面白いし、やりがいあって、もっとやりたいのなら、どちらを選択してもいいと思うんです。僕は時間に迫られて、たくさんの患者さんを診ていくよりも、一人の患者さんを診察する中で抱いた問いを大事にして、自分なりに研究していく方が自分には合っていると感じたので、その道に進みました。研究テーマに関しても、何をやりたいのかを自分自身に聞いて、正しいか間違っているかはわからないけれど、ちゃんと周りに合わせてやることも大事だけれど、結局は、俺にはこの道だ、と思ったことを選んできましたし、自分の子どもに言うなら、自分の心に聞いてみろ、ということでしょうね。それが結果的に研究だったら研究になるし、そうじゃなかったらそうじゃない道もいいと思いますね。

山崎  僕は、疑問に思ったことをとことん追求するのがいいと思います。過去の文献を読めば答えが書いてあることもありますし、答えが書かれていないことはわからないことです。過去のものを参考にしながらその問いを突き詰めていくと、きっと自分で答えに当たる。当たらないこともあるけれども、それも含めて結果を書き残していく。過去の蓄積の上に今の研究はあり、自分の研究もいずれ過去のものになって、それが蓄積となって増えていく。そういうことをしていくのがいいのではないか、楽しいのではないかと私は思います。
 あとは人から強要されてやるのは良くないと思います。自分の意思で選んだことはやはり楽しいでしょうから。強要されたことではなかなか結果も出ない。自分が楽しいと思うこと、自分が重要だと信じることをやることが、人にとっても幸せであると思うし、よい結果も得やすいのではないかと思います。

 ありがとうございました。本当に長時間にわたって、密度の濃い、贅沢な時間で、みなさんが目の前の研究に真摯に打ち込んでおられる様子を読者にお伝えできることを嬉しく思います。私は労働経済学を専門としているのですけれど、これは人の働き方を研究していく仕事なので、いろいろな分野のいろいろな働き方を知ること自体が自分の研究でもあって、このインタビュー自身も一つの自分の研究活動だなと思います。もっともっと聞きたいことがたくさんあって、もしかしたら二回目、三回目があるかもしれませんが、またお付き合いください。今日は本当にありがとうございました。

(2022年11月14日 東南亭にて)

座談会を終えて、もうひとこと

 

 私は2022年度4月に入所したばかりで、所内の皆様が推進される研究の詳細や哲学をまだほとんど知らなかったので、今回このような機会をいただけてとても勉強になり、楽しかったです。私の研究は鯨類を対象としていることから、特に国際会議では日本人というだけで目の敵にされたり、捕鯨について意見を求められたりすることが多くあります。今回、他の分野の日本人研究者の方から環境保全や人と動物の関わりについてご意見を伺うことができ、大変貴重な機会となりました。
 座談会を前に坂本さんご執筆の「ブータンの小さな診療所」を読みました。ご著書には詳細に日々の生活が記載されていて、ブータンへ行った気分に浸ることができ幸せでした。いつか、標高により体が感じる感覚や、匂い、音などを直接感じに訪れてみたいと思います。私は2012年にインドのアッサム地方でブラマプトラ川のカワイルカ調査に参加しましたが、あの山の向こうで坂本先生が健診されていたのかと思うと感慨深いです。あの時見たカワイルカの生きる水は、ブータンの山から流れ出たものだったのかもしれません。
 山崎さんの研究については、おそらく所内で最も研究分野が近いと思うのですが、それでもかなりの距離感があり、改めて東南研の守備範囲の広さを思い知りました。コロナ禍となり感染症が世界的に注目され、研究がますますお忙しいと思いますが、座談会に参加してくださりお礼申し上げます。動物と人との距離が近くなることで感染症が増える、微生物も含めて全て生態系の構成員である、という視点を今後忘れないようにしたいと思います。座談会で話題に出た山﨑さんご推薦の「スピルオーバー」、私もこれから読もうと思っています。
 座談会を通して、皆様のとても謙虚で真摯なお姿に感銘を受けました。座談会をご準備くださった支援室スタッフの皆様、本当にありがとうございました。

(木村里子)

 人間の都合のいいように他の生きものたちの生活環境を制限させてしまっている、という話をしましたが、人間自身の生活環境も生きづらい形に制限させてしまっている側面があるのではないかと思います。我々が暮らす日本の社会にもそういう部分がかなりあるんじゃないかと思います。ブータンでは今、仕事を求めてオーストラリアへの移住が盛んに行われているんですが、先日ブータンから日本に留学に来ている友人と昼食を食べた時になぜ日本ではないのか、という話になりました。もちろん想像がつくのは言語ですよね。ブータンの方は小さなころから英語で教育を受けているので、英語がペラペラなんです。だからオーストラリアは問題がないのだけれど、やはり日本語は難しいですよね。
 そして、彼が言ったもう一つの答えが手続きの複雑さなんです。現にちょうどその日、政府系機関から書類の提出の催促状が届いていたんです。よく見るとお金の支払い免除の手続きで、彼は日本語が読めずに何が書いているかわからないので放っていたら提出期限が切れてしまったわけですよね。何が書いてあるのかと聞かれたので確認すると、一部記入漏れがあったようで、丁寧に付箋までついて、ここにこのように書いて同封されてある封筒に入れて送ってくれと指示が書かれているんです。事務の方の細やかな心遣いに本当に尊敬しましたし、こういう方々が日本の社会を支えているんだなと思いました。
 ただ一方で、外国から来られた彼らにとって言語と事務の複雑さが二重に負担になっているんですよね。思えば、私は日本人ですけど、自分にとっても事務処理は大変です。先日もブータンから客人を招聘する際の事務手続きで何日も時間を費やしました。事務の方々のみならず、関係先の方々など色々な方の貴重な御時間を浪費させてしまい、我々自身が事前にしっかり把握していれば済んだ話なのだと思いますが、個人的には日本の社会は全体的に事務手続きをもっと簡素にしていいんじゃないかなと思うんです。事務手続きの複雑さはある意味きめ細かなサービスに貢献する部分があるのかもしれませんが、それによるストレス、心身への負担は多大なものがあると感じています。
 もちろん、人の命や安全に大きく関わる事項など重要なものはしっかりと手続すべきだと思うんですが、メリハリをつけて、個人の裁量に任せるところを大きくしてもいいのではないかと思います。それによって、そこに費やされる人材や皆の時間を、何か新しいものを創造することだったり、別のことに費やせますよね。事務手続きの複雑さは、社会の成長を妨げる大きな障壁となっている側面があるのではないかと思います。物理的な制限や規則などで雁字搦めにするのではなく、適切な自由を守るということが、人間を含めた生きものにとって棲みやすい環境をつくる上で重要なのではないかと思います。(坂本龍太)

 大変貴重な座談会の機会をいただき、誠にありがとうございます。自分が現在、行っている研究を改めて見つめ直す、また自身の初心を思い出させる、とても良い機会になりました。私は動物の感染症や動物と人の間で微生物が行き来する人獣共通感染症を研究テーマとしているのですが、微生物のみでなく、動物だけでも人だけでもなく、人や動物とのつながり、地球環境全体を大きな枠組みの中で理解し、感染症研究をしていかなければならないという思いを新たにした次第です。
 新しい感染症(新興感染症)の出現は、およそ1万年前に人が始めた野生動物の家畜化が大きな転換点となっています。野生動物の家畜化によって、動物や動物の保有する「微生物」と人との接触頻度が増加することで、人に対する新しい「病原体」が意図することなく、生み出されてきました。そして、この新しい病原体による感染症が風土病として局地的にとどまることとなく、世界流行(パンデミック)へ拡張してきた最大の要因は、私たち人間のグローバル活動です。歴史を振り返れば、ペスト、コレラ、インフルエンザなど、様々な病原体がパンデミックを引き起こしてきました。地球上には人の病原体だけでも1400種以上が存在している一方で、根絶に成功した病原体はわずか2種(天然痘ウイルスと牛疫ウイルス)に過ぎません。病原体について不明な点が多すぎるため、私たちは有効な対策をなかなか確立できません。私達が現在の生活様式を続ける限り、これからも新興感染症は出現しつづけ、パンデミックは起こり続けます。このような現状を克服するには、現在の感染症研究は無力に見えますが、世代を超えて小さな知見を少しずつ蓄積していくことで、未来には大きな変革を引き起こせるかもしれません。
 研究をするにあたり、人それぞれの様々な思い、モチベーションがあり、各々の興味や研究関心が尊重され、各々が能力を最大限に発揮すること、さらには、人として尊重されることはもちろんのこと、心理的安全性が確保された環境に身を置くことで、最大の研究成果が得られるのではないか、そして、その成果が学術界を含めた社会への高い波及効果につながるのではないかと、今回の座談会をとおして感じました。さらには、誰もが活き活きと研究ができる環境を維持していくことも、次世代を担う若い人たちに研究に魅力を感じてもらうためにも、重要だと思いました。専門分野の異なる研究者の方々の考えや思いを知ることで、新たな分野横断研究、学際融合研究のアイディアが浮かんでくること、新しい可能性が開けてくることを再認識しました。ありがとうございました。

(山崎 渉)

 対談を終えて、ある研究者のことを思い出しました。その方は計量経済学の理論家で、私はその方が執筆し、世界中の大学生、大学院生に読まれている教科書を使って統計学と計量経済学を勉強していたこともあって、10年前に幸運にも直接話をする機会を得た時には大変感激しました。その時、その方は既に研究を引退されていましたが、私は研究の方向性について少し悩みもあり、この機会に助言もいただこうと期待し、おそるおそる話を始めました。その方は、ご専門以外の分野への関心が大変広く、学生を巻き込みながら新しい勉強を続けていることは知っていたのですが、私への助言は予想以上のものでした。それをここで紹介します。第一に、専門を深めようと自分自身を動かし、駆動するものは、好奇心しかない。第二に、専門を深めることと、他の分野への好奇心は必ず両立する。最後に、専門を深めるからという理由で、他の分野や専門外のアプローチに目を閉じてしまったり、専門家にならなければというプレッシャーによって他分野への好奇心やとっかかりを抑えようとすると、それは自らの専門への好奇心すらも失わせることにつながるのではないか。なぜなら、研究を行うのは、同じ人物なのだから。こうした助言を受けて、好奇心に従い、素朴に、好きなことに遠慮なく向かっていくことと、専門を深めることは両立しうるという仮説を得ました。そしてこの助言から、若い人から常に学び、自分を日々更新することに貪欲なアマチュアリズムを感じとりました。私にとっては、この方との会話は今でも忘れられない強烈な経験です。
 自然環境も社会環境も多様な東南アジアという地域を主に相手にしているこの職場には、今回登場してくださった3名の研究者のような医学、自然科学系分野だけでなく、歴史学、人類学、政治学、経済学分野の専門家もいます。日々それぞれの研究に打ち込み、自分の専門に熱中してはいるのですが、それぞれの活動に閉じてしまうのではなく、いろいろな機会をとらえて、互いの活動の面白さや発見・発想を一緒に楽しむという雰囲気がこの職場には伝統的にあるようです。他の分野で蓄積されてきた研究のエッセンスを理解することは簡単ではありませんが、同僚が自身の研究を面白がっていたり、それを何とか周囲にも伝えようとしている様子に触れていると、こちらもつい、身を乗り出します。そうして身を乗り出して集中していると、一見遠い研究分野同士の知られざるつながりの強さに気がつくこともあります。今回の対談はそうしたことを改めて実感し、専門の殻を壊してみようと思うチャレンジ精神は人との交流を通じて育つことを確信する時間でもありました。私にとって、他の分野の研究者がもつ物差しや考え方に触れることは、日常生活での驚きや喜びの源でもあります。そういったものは自分の専門を深めたり、広げることを支え、また励ましてくれていると思います。

(町北朋洋)

生きものを研究・教育すること
──その多様な視点とアプローチ

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座談会 生きものを研究・教育すること
──その多様な視点とアプローチ

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三重野文晴
(京都大学東南アジア地域研究研究所)

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