地球圏
熱帯地球圏と生存基盤
熱帯地球圏と生存基盤
甲山治
人間活動の増大が東南アジアの物質循環に及ぼす影響
伊藤雅之
アジア熱帯域における気候システムとバイオマス社会
甲山治
熱帯泥炭地域社会再生に向けた地域将来像の提案
甲山治
熱帯地球圏と生存基盤
甲山治
伊藤雅之
甲山治
甲山治
熱帯地球圏と生存基盤
地球科学分野では,地球システムとしての地球圏に関する研究が急速に進展している。例えば多くの研究が,地球惑星システムにおける物質循環とエネルギー収支という観点から,地球環境の長期的安定性,地球環境と生命圏の共進化,地球環境変動などの諸問題の解明や将来予測に取り組んでいる。
熱帯は地球圏の中核である。熱帯に降り注ぐ太陽エネルギーは,温帯の約3 倍である。この太陽エネルギーが地球圏の物質・エネルギー循環を駆動している。熱帯は,温帯より格段に大きい生物多様性をもつ。氷河期と間氷期が繰り返される中で,38 億年におよぶ生命の歴史を支えてきたのは熱帯である。熱帯の地球圏と生命圏は,それぞれの中核であるがゆえに,世界の他の地域にはみられない多様性と変動をもつ。それらを制御することは人間の能力をはるかに超える。だからこそ,熱帯における人間圏と地球圏や生命圏の関係性は複雑で多様で個別的であり,人間はそれぞれの状況に応じた技術や制度を発達させてきた。熱帯においては,人間にとって有益な自然環境と災害を引き起こす自然環境は渾然一体となって存在する。自然環境を峻別し,制御するのではなく,生存基盤としてまず受け入れなければならない。
地球圏と人間圏,生命圏の関わりは,地球圏や生命圏が人間圏の歴史に影響を与えているだけではない。人間の自然利用は,農耕の開始以降,地球圏と生命圏に影響を及ぼしてきたし,産業革命以降,その影響はますます顕著になりつつある。人間圏の拡大により多くの天然林や牧草地が失われ,生命圏に深刻な影響を与えている。例えば生態系における絶滅危惧種の増加は,ほとんどは人間活動によるとされる。一方,森林伐採や都市化など抜本的な土地利用の改変のみならず,天然林の人工林への転換や農地から牧草地への転換など,景観としてはさして大規模ではない土地利用変化でさえ,大気に影響を与え,物理的に地球圏を変える可能性がある。特に,生態系自体の再生を不可能にするような不可逆的な破綻を引き起こした場合,その影響は地球圏にとっても長期間持続する可能性が高い。その意味では,人間の自然利用に関してその地域の自然環境にとって,再生可能で可逆的かどうかが重要である。
本節では,東南アジアおける地球圏の問題として,人間活動の増大が物質循環に与える影響,アジア熱帯域における気候システムとバイオマス社会,熱帯泥炭地域社会再生の内容を取り上げる。
人間活動の増大が東南アジアの物質循環に及ぼす影響 伊藤雅之 アジア熱帯域における気候システムとバイオマス社会 甲山 治 熱帯泥炭地域社会再生に向けた地域将来像の提案 甲山 治
(文責:甲山治)
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地球圏(Geosphere) の中で生物圏(Biosphere) という言葉は,生物が活動する地表の領域を指す場合が多い。生物圏においては,太陽エネルギーの伝達と転換,大気中の様々なガスの 交換・土壌中,水に溶存する物質の移動が行われている。この生物圏の物質循環(主に大気圏・海洋圏・土壌圏における水・炭素・窒素循環など) に,生物(動植物)が重要な役割を果たしている。また,水循環は大気と水の熱輸送や,地形的要因,植生分布などの複雑な影響を受けて成り立っている(詳細は甲山担当部分[ 本誌:83–85] を参照)。その中で,東南アジア熱帯域は多雨地域に属し,豊富な太陽エネルギーの放射と相まって膨大なバイオマスを有する熱帯雨林の成長と維持を可能にしてきた。世界の陸地面積の約31%( 約40億3千万ha) を占める森林のうち約5.5%が東南アジアの森林であり( Global For. Res. Asses. 2010), その多くが熱帯雨林に属する。植生パターンは,年平均気温・年平均降水量に加えて,気温や降水量の季節性に関する情報を加えたモデル等により予測される( Prentice et al. 1992) が,東南アジア域では,特に乾季の影響や土壌の水分保持特性が大きく影響すると考えられている。特に地域に特有のモンスーンが降水量とその季節性を規定することでこれら植生や土壌のパターンに影響している。土壌も地域の物質循環を規定する重要な要素であり,湿潤熱帯で見られる非常に風化の進んだ赤色土・黄色土(酸性・貧栄養)が非火山地域の大きな面積を占める一方,大河川のデルタ地帯に見られるような河川堆積物由来の土壌や,火山灰由来の土壌などは比較的肥沃な土壌として古くから農耕地とされてきた。また,泥炭土壌は有機質の強酸性土壌で農業には適さないが,スマトラやボルネオに約2,000 万ha に渡って分布する。これら東南アジアを含む熱帯域の生態学的特性については,Corlett( 2009) に詳しい。
東南アジアは基本的に森林の成立する気候帯であるが,主なものとして,最大のバイオマスと複雑な構造,高い生物多様性を有する熱帯雨林(Tropical rainforest),規則的な乾季を有する地域に広がる熱帯季節林(Tropical seasonal forest), より長期の乾季を有する地域にみられる熱 帯落葉樹林(Tropical deciduous forest) などが挙げられ,加えて,湿地域の泥炭湿地林(Peatswamp forest),汽水域のマングローブ林(Mangrove forest) など,多様な森林植生が見られる。これら熱帯の森林は,一般に光合成量が最も多く,年間の純一次生産量(Net primary production:NPP) も地球上の植生の中で最も多い部類に属する,これが豊富な生物多様性を維持する基盤となっていると考えられている( 神崎・山田 2010)。
現在,地球上の物質循環研究において水と共に主要な対象となっているのが炭素循環である。地球温暖化に関わる二酸化炭素( CO2) 濃度の動態に森林の植物の行う光合成や呼吸が重要であるため,最大のバイオマスと光合成量を有する熱帯森林での動態把握が求められ,日々新 たな研究成果が報告されている。多様な森林タイプそれぞれに精緻な観測を行うことは容易ではないが,乾燥など環境変動に対する応答などについての理解が進みつつある。また,植物体の主要な構成要素である窒素やリンについても,降雨や大気を介しての生態系内への流入や植物体中・土壌中の循環に関する研究が進められており,研究のシーズが尽きない状況である。植物にとってのその他の栄養塩や微量元素についての調査,また温暖化気体のメタンや亜酸化窒素などの動態調査も今後さらに重要になることであろう。
森林における光合成と呼吸など,微妙なバランスで成り立ってきた東南アジアの生態系は,近年の人口増加や,かつてない規模の短期スケールの環境変動により急速に変化している。特に人口増加は,地球温暖化に繋がるCO2 排出への影響のみならず,森林伐採と土地利用変化の重要な要因になり,さらには火災などを通じて大気汚染・水質劣化にも繋がる最も環境へのインパクトが大きいものである。東南アジアの主要国の人口は1950 年に1 億7,800 万人であったが,2010年には5億9,700万人に増加している( United Nations 2013)。
マレー半島で拡大するオイルパーム園(2014 年1 月) 筆者らの研究グループは,この人口増加に伴う人為的活動が自然環境に与えるインパクトについて,現地調査に基づいて評価しようと試みている。例えば,人口増加に伴ってマレーシアでは熱帯雨林の伐採とオイルパームの植林が急激に進行した。特にマレーシアでは,1975 年から2009 年までに約7.3 倍もの面積,マレーシア全土の15.6%に至るまでオイルパームの植栽面積は増えており,2008年にはインドネシアとマレーシアの両国で世界のパーム油の約86%を生産している。現在,半島マレーシアで最大の流域面積をもつ河川流域において,わずかに残る保護区などの森林から生じる河川の水質を上流から下流までに渡って調査している。かつては低地のフタバガキ林等を流下したであろう河川は,現在は流域の大部分がオイルパームや市街地で覆われ,肥料や農薬,人為起源の排水などの影響を受けていると予想される。そこで土地利用分類と河川水質を比較することで,人間活動が及ぼす影響の評価を進めている。
元来の低地フタバガキ林(2014 年1 月, 半島マレーシア, ネグリスンビラン州パソ森林保護区) また,熱帯泥炭には膨大な量の炭素が蓄積していることが知られ,その環境破壊が全球の炭素循環に及ぼす影響が注目されている。現在,世界の熱帯泥炭地の76%が東南アジアに広がると推定され,その大半がインドネシア・マレーシアに分布する。特にスマトラ島やカリマンタン島では1980年代以降に,泥炭湿地林の生態的特性や住民の慣習的な権利などを無視した中央政府から企業への産業造林権の付与がきっかけとなり,森林の伐採が進んだ。また,近年も企業による大規模な投資,移民によるアブラヤシの集約的な栽培などが活発化し,資源をめぐる競合が起こり,かつて森林だった土地が集約的・非計画的に利用されている。現在,筆者は最も問題の規模の大きいスマトラ島などを対象地域とし,森林植生や生物などを扱う研究者のみならず,企業や地域社会・政治を扱う研究者らと共に,過開発の進む熱帯泥炭の現状把握と将来に向けた修復法の提案に向けて現地調査を進めている(プロジェクト全貌については甲山担当部分[ 本誌:86–88] を参照)。特に,火入れ等を原因とする森林火災が相次ぎ,泥炭に蓄積された巨大な炭素の喪失が起きている中で,筆者らはこの物質循環の変化を詳細な現地観測から明らかにしようとしている。
地球規模の環境について, 2014年に気候変動に関する政府間パネル( Intergovernmental Panels on Climate Change; IPCC) の第5次評価報告書が承認され,“人間の影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な要因であった可能性が極めて高い” こと,“ 今世紀末までの世界平均気温は緩和策を実施しない場合には2.6~4.8°C 上昇する可能性が高いこと” が示された。東南アジア地域の近年の環境変化が全球の環境変化といかに関係し,また近い将来の環境変化や物質循環にどのような影響を与えうるのか。地域における詳細な研究成果の積み重ねが,全球の環境の現状把握,将来予測を支えることを念頭に置き,東南アジア地域での研究を進めている。
引用文献
神崎 護;山田明徳.2010.「生存基盤としての生物多様性」『地球圏・生命圏・人間圏』( 杉原 薫;川井
秀一;河野泰之;田辺明生( 編),153–184ページ所収.京都大学学術出版会.
Corlett, R. T. 2009. The Ecology of Tropical East Asia. Oxford, UK: Oxford University Press.
Global Forest Resources Assessment. 2010 (http://www.fao.org/forestry/fra/fra2010/en/).
Prentice, I. C.; Cramer, W.; Harrison, S. P.; Leemans, R.; Monserud, R. A.; and Solomon, A. M. 1992. A Global
Biome Model Based on Plant Physiology and Dominance, Soil Properties and Climate. Journal of Biogeography
19: 117–134.
United Nations, Department of Economic and Social Affairs. 2013. Trends in International Migrant Stock: The
2013 Revision (United Nations database, POP/DB/MIG/Stock/Rev.2013).
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Center for Southeast Asian Studies, Kyoto University