要旨(1):牧野元紀(国立公文書館アジア歴史資料センター)
19世紀、フランスによるベトナムの軍事侵攻・植民地化は、阮朝(1802-1945)のキリスト教弾圧政策に端を発する。本発表では、明命帝(位1820-41)政府の大弾圧にみられたトンキン(北中部ベトナム)のキリスト教社会の構造変容を、現地での弾圧政策の執行者である地方官との関係から明らかにする。
分析の対象とする西トンキン代牧区は当時インドシナ半島で最大のカトリックコミュニティであった。17世紀半ばより、フランスのパリ外国宣教会(MEP)が管轄し、代牧区内ではナムディン地方とゲアン地方が布教活動の中心地であった。
阮朝の成立以前、歴代政権の禁教政策に関して、両地方では現地官人の対応に明確な差異がみられた。通例、ナムディンでは官人の取締りが厳しく行われ、弾圧の被害を直接受けたのに対し、ゲアンでは地方高官が取締りに消極的で、管轄内のキリスト教勢力をしばしば保護した。本発表ではこの政治的傾向が19世紀前半の阮朝明命期にも引き続いてみられたことを明示する。MEP文書館所蔵の宣教師書簡資料を主要な一次資料として使用し、阮朝の欽定年代記である『大南寔録』をあわせて参照する。
明命政権による弾圧の激化にもかかわらず、トンキンのキリスト教社会が命脈を保ったのは、キリスト教徒官人をはじめ地方高官から安定した保護を得て、教勢の持続的発展を成し得たゲアン教界の存立によるところが大きい。
19世紀後半、ゲアンは教会勢力の中心地となる一方で、それに反発する文紳(在郷儒家)たちの活動も活発化し、ベトナム・ナショナリズム揺籃の地(ファン・ボイ・チャウ、ホー・チ・ミンらの出身地)となった。発表者の「ゲアン地域史研究」はまだ端緒についたばかりだが、ベトナム近現代史研究に新たな地平を開く可能性を秘めてい。