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Center forSoutheast Asian Studies Kyoto University

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過去のセミナー案内:15年度

2004年2月

A special seminar of "State, Market and Community Study Group"
  1. 日 時:2004年2月16日(月) 14:00〜16:00
  2. 場 所:京都大学東南アジア研究センター
  3. 演 題:"APPROPRIATION OF CULTURAL SYMBOLS AND PEASANT RESISTANCE -A CASE STUDY FROM EAST KALIMANTAN, INDONESIA-"
  4. 講 師:Dr. Mariko Urano, Faculty of Economics, Hokusei Gakuin University
  5. 要 旨:
    Based on eighteen months of field research (1998-1999) in East Kalimantan(Borneo), Indonesia, this paper discusses the appropriation of cultural symbols in political action. Through interviews and participant observation, I critically examined two major, but dichotomous understandings of cultural symbols: The Rational Choice and Interpretive Sociologist Approaches.
    Threatened by state-promoted resource development projects, the peasants of the Outer-Islands began to assert their land rights in the early 1990s. They presented themselves as "adat (traditional) communities" and the legitimate owners of local land and natural resources.
    The Dayak villagers of Sungai Manis, the village where I conducted my research, have long had a system of individual land tenure, but in the 1990s their elites started to employ the language of adat (customary) land ownership, which is commonly perceived as communal tenure, in their negotiation with the state and with the resource development companies. Although the elites of Sungai Manis appropriated adat discourse to protect local land ownership, the state-promoted local religious change in 1960s created constraints on their action. The fundamentalist policy of the locally dominant Protestant Church led to the disappearance of the indigenous belief system and traditional authority, and local elites were left with a statist definition of adat and a state engineered local government structure with which to organize resistance, in turn limited by a key provision of the Basic Agrarian Law of 1960-subjugation of adat land ownership to the state interests. By contrast, in the predominantly Catholic West Kalimantan, the local peasant elites fully exploited indigenous grounds of resistance as the Catholic Church proved much more tolerant of the local animist tradition.
    My findings indicate that the elites are indeed rational actors but are constrained by their unique situation in the socio-historical context. They have exhibited rationality by framing the ideology of resistance within the local tradition, but the state has limited the range of cultural symbols that the elites may appropriate in their strategy. In the end my findings support the Rational Choice Theory with the incorporation of what amounts to a New Institutionalist understanding of action.
第11回「支配の制度と文化」研究会のお知らせ
宗教と国民国家は、いくつかの側面において緊張関係にある。世界の主要宗教は国民国家より歴史が長く、これも一つの背景となって世界宗教の信徒は通常ひとつの国家の枠におさまることはない。同様にして、宗教のもつ思想や信仰上の浸潤性ゆえに、ひとつの国民国家内には複数の宗教が並存するのが常態である。そして、宗教は、国民とはかならずしも重なることのない想像の共同体を、国家のなかで、あるいは国家を越えて形成する。他方で、この共同体は、同じ宗教を信奉していても、かならずしも一枚岩であるとは限らない。
信教の自由を前提またはアリバイとしながら、いかにして国民国家は宗教の制度化をはかり、国民を創ろうとするのか、そしてそれは、宗教社会にどのような影響を与えるのか―この問題を、フィリピン、インドネシア、タイの事例をもとに考えてみたい。今回の発表に共通するのは、中央と周縁、制度と実践の対比である。
なお、この研究会は、21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」の研究活動の一環です。本年度第1回目、通算11回目の研究会です。オープンな研究会ですので、気軽にご参加下さい。
「国民国家と宗教の制度化」
  1. 日 時:2004年2月16日(月) 13:00〜18:00
  2. 場 所:京都大学東南アジア研究センター・共同棟C307
  3. プログラム:
    13:00〜14:00:
    1. 報告者:辰巳頼子(上智大)
    2. タイトル:「越境するイスラーム−マラナオ社会における移動の諸相から−」
    3. 要 旨:
      フィリピンにおける国民統合の歴史は、フィリピン・ムスリムにとっては周辺化の歴史であった。とくに、ムスリムが多く居住するミンダナウ島へキリスト教徒の移住が進むにつれ、いわばホームランドにおいてさえ政治・経済的なマイノリティとなったムスリムのなかには、自己の存在理由の根拠を国民国家の外の権威に求めようとするものもでてきた。なかでもミンダナウの代表的なムスリム民族集団であるマラナオは、移動/越境することによって中東イスラーム世界との繋がりを強化し、より確かなもの、すなわちより正統なイスラームへと自らを同一化させることによって、フィリピン国家による経済的、政治的周辺化に対抗しようとしてきた。本発表では、マラナオによる中東イスラーム社会とフィリピンのあいだの移動、すなわち留学、巡礼、出稼ぎに注目し、これに伴うモノ、カネ、知識の還流の諸相を明らかにする。そしてフィリピン国家、オイル・マネー、グローバルな労働市場、テロリズムなど、この還流に影響を与えるアクターにも注目しながら、現代における宗教の越境の条件と意味を考える。
    14:00〜14:15:質疑応答
    14:15〜15:15:
    1. 報告者:永渕康之(名工大)
    2. タイトル:「国家による制度化が少数派宗教にもたらしたものとは何か? −インドネシアにおけるヒンドゥーをめぐる国家と共同体の攻防−」
    3. 要 旨:
      世界最大のイスラーム人口から構成されるインドネシアにおいて、ヒンドゥーは絶対的少数派である。少数派宗教の国家体制への組み込みは、宗教省による承認および宗教政策の受け皿となる代表機関の設置によって保障された。しかし現在、国家が確立したこうした宗教制度は、ヒンドゥー代表機関の内部分裂をもたらし、強い体制批判を生んでいる。もともとバリ島の共同体から出発したインドネシアのヒンドゥーが、国家の制度化をへることでバリ島の慣習から脱領域化したことが最大の原因である。1980年代半ば、絶頂期にあったスハルト政権による宗教勢力の囲い込み以後、ことにバリ島外の勢力によるバリ島中心主義への攻撃は激化し、ヒンドゥー内部の論争はあらわになった。この論争において何が問われているかを明らかにして、国家、宗教、共同体の関係を考えてみたい。
    15:15〜15:30:質疑応答
    15:30〜15:45:コーヒーブレーク
    15:45〜16:45:
    1. 報告者:林 行夫(京大)
    2. タイトル:「<タイ仏教の危機>とは?−制度と実践のなかの<僧界>と<俗界>−」
    3. 要 旨:
      東南アジア大陸部諸国に広がる上座仏教は、世俗社会からの離脱を目的とする出家主義の宗教である。しかし、歴史上の出家者集団(サンガ)は、常に世俗権力に依存するとともに、在俗信徒社会との関わりのなかで、地域や民族ごとに多様な実践を築いてきた。タイ国は最初の「1902年サンガ法」以来、全国の出家者や寺院組織を統括し、「国家(民族)に内属する宗教」、伝統文化としての仏教を内外に表象している。ところが、その制度の裾野ないし周縁には、師弟関係に基づく出家者や在俗者の個別の実践が、それぞれの地域社会の脈絡のなかで今日も広く観察される。近代国民国家タイは、支配のツールとして仏教をいかに制度化しようとしてきたのか。さらに、グローバルな社会変化の下で生じた「サンガ法」改定問題、「仏教の危機」が叫ばれる近年、実践の統制はいかなる様相をみせているのか。本報告では、世俗権力を担う者が定義する制度仏教と、フィールドで遭遇する実践仏教との差異と相関関係に留意しつつ、メディアや知識人、NGOなどが客体化するタイ仏教と、それとは無縁な住民による実践の社会的基盤について考察したい。
    16:45〜17:00:質疑応答
    17:00〜17:15:コーヒーブレーク
    17:15〜18:00:総合討論
  4. 問い合わせ先:京都大学大学院AA研究科 加藤剛 / 玉田芳史 / 長津一史
「民族間関係・移動・文化再編」 第17回研究会のお知らせ
<特別研究会 −ミャンマーにおける宗教と社会−>
下記により、2003年度第2回(通算17回)の研究会を実施いたします。
今回は、ミャンマーを特集し、上座仏教の法制度的変容、村落の女性と宗教実践、民主化の旗手と政治思想、国境を越える民族について、これまで長期のフィールドワークを行ってこられた方々に、プログラムにあるような演題と内容で、2日にわたりご報告していただきます。ご多用中のことと拝察しますが、万障お繰り合わせの上、ご参集ください。オープンな研究会ですので、多くの皆様のご参加をおまちしております。
尚、初日(2月6日)の研究会終了後に懇親会をもちますので、こちらもご予定にお入れ下さい
  1. 日 時:
    2004年2月6日(金) 13:30〜18:30
    2004年2月7日(土) 10:30〜12:30
  2. 場 所:京都大学東南アジア研究センター・東棟E207
  3. プログラム:
    2004年2月6日(金)
    13:30〜15:00
    1. 発表者: 奥平龍二(元東京外国語大学)
    2. タイトル: 「ミャンマーの「国造り」と仏教―上座仏教「全宗派合同会議」のゆくえ―」
    3. 要 旨:
      1980年5月に開催された第1回上座仏教「全宗派合同会議」は、サンガ(僧団)の組織化及び制度化を目指し、また、仏教の実践面での統合化を果した会議として、ミャンマ−仏教史上の大事件であった。本報告では、同会議の決議に則り行われてきた一連の仏教改革の内容とその意義を問うとともに、2003年8月に発表した憲法草案審議のための国民会議の再開や総選挙実施に向けての民主化ロ−ドマップの発表に見られるごとく、現政権が漸く提示した「民政移管」への手順と、それに伴う新しい「国造り」に、仏教がどのような役割を担っていくのかを検討したい。
    15:00〜15:30 ブレーク
    15:30〜17:00
    1. 報告者:飯國有佳子(総合研究大学院大学)
    2. タイトル:「上ビルマ一村落における女性の出家行為の意味とその変化」
    3. 要 旨:
      仏教では教義上その信徒は、四衆(①男性出家者、②女性出家者、③在家男性、④在家女性)というカテゴリーのいずれかに属し、このうち、東南アジア大陸部の上座部仏教徒社会では、一般に②は現存しないとされる。しかし当該地域では広く、④にとどまりながらも、剃髪、出家し、戒名を持ち、僧院や尼僧院等で宗教的生活を営む女性が広く存在する。ビルマにおいてこうした女性修行者は「ティーラシン」と呼ばれる。事例とするT村は、その特異な歴史的経緯により、かつて尼僧院があり、男子のみならず女子も一度出家し、その後に再び還俗するという習慣があったというが、現在ではこうした習慣はなくなっている。本発表では女性の出家行為の動機付けを、語りの中に頻繁に登場する、出家行為の持つ教育的側面から捉え、村における女子教育の変容を踏まえながら、T村における女性の出家行為の持つ意味とその変化をたどる。
    17:00〜18:30
    1. 報告者:伊野憲治(北九州大学)
    2. タイトル:「慈悲の政治―アウンサンスーチーの思想と行動―」
    3. 要 旨:
      アジアの女性として始めてノーベル平和賞を受賞したことで知られる、ミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチー。本報告では、彼女が民主化運動を通じて練り上げてきた「慈悲の政治」とも言える政治思想の内容を、父アウンサン、マハトマ・ガンディー、仏教思想からの影響と共に明らかにする。また、その思想を基にした彼女の行動が、現軍事政権との間で、具体的にいかなる政治的軋轢を生み出しているのか、政治的膠着状況にあるミャンマーの今後の展望も踏まえながら考えてみたい  
    18:30〜 懇親会
  4. プログラム:
    2004年2月7日(土)
    10:30〜12:00
    1. 発表者: 吉松久美子(元大東文化大学)
    2. タイトル: 「ミャンマーにおける回族(パンデー)の交易路と移住」
    3. 要 旨:
      ミャンマーには雲南省出身の回民あるいはその子孫が居住している。彼らはビルマ語でパンデーと呼ばれ、一つの民族集団を形成している。本報告では彼らがいつ頃、どのようにミャンマーへ移り住んだかを明らかにする。回族は十三世紀から雲南馬を利用した隊商(「馬幇」)を組んで中国南部と東南アジアを結ぶ交易を行っていた。ところが十九世紀後半から二○世紀前半にかけて中国と東南アジアとの関係が大きく変化すると、交易路が移住路へと変わった。今回はその当時に利用されていた5基幹路を取り上げ、移住の契機となった政変と、それにともない各基幹路の中継地にパンデーコミュニティが出現していった経過を報告する。
  5. 問い合わせ先:林 行夫 / 速水洋子 / 柳澤雅之
A special seminar of Core University Program
  1. 日 時:2004年2月6日(金) 16:00〜
  2. 場 所:京都大学東南アジア研究センター・共同棟C307
  3. 演 題:"Community and Culture: The Cost of Ascribed Membership"
  4. 講 師:Prof. Chua Beng Huat, Department of Sociology, Asia Research Institute, National University of Singapore
  5. 要 旨:
    From the early 1980s, there emerged two intellectual currents in Anglo-American academia; multiculturalism and a new communitarianism. In spite of appearances, both are grounded in liberal individualism. This poses serious questions of the ideas of 'culture' and 'community', which are unavoidably social, can be conceptualized. The difficulties become apparent in the cost of membership to specific cultural groups. In contrast to liberalism, I will attempt to demonstrate that Asian societies begin by privileging the 'social' ontologically and thus may be able to avoid some of the pitfalls of liberal multiculturalism and liberal communitarianism in both theorizing and actual political Practice.