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Center forSoutheast Asian Studies Kyoto University

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東南アジアセミナー

 第26回 2002年度テーマ
    『東南アジアにおける “生・老・病・死” −フィールドワークの現場から−』

2002年度は9月9日(月)〜13日(金)に開催されました。

内容

先進諸国で発達した近代医学は、細菌学の進歩と衣食住環境の整備を通じて、まず感染症の克服に成功した。経済力にうらうちされた先進医療の進歩によって、急性期疾患の救命率は飛躍的に増大し、その結果として、先進諸国はかつて人類史上類をみない速度で平均寿命を延ばし「長寿」を実現した。しかし、この高齢社会は必然的に、虚弱高齢者(frail elderly)や要介護者をもたらし、これらの慢性疾患をかかえながら地域で生活している高齢者に対する医学的対応のありかたが21世紀医学に問われている。欧米先進諸国では現在、大部分の医療費は老人医療に向けられている。

一方、東南アジアでも、少子高齢化はかつての欧米諸国以上のスピードで進行している。東南アジア各国も、きたるべき高齢社会にむけての医学的対応に迫られている。しかも、東南アジアでは欧米諸国がすでに克服し去った感染症がいまだに重大な問題として残されている。さらに、保健福祉にふりむけられる財政は豊かではない。東南アジアの保健福祉問題は、「感染症」、「高齢化」、「乏しい財源」という"triple burden"をかかえている。“生・老・病・死”という人間の基本的問題を主として生物科学的あるいは社会科学的観点から理解しようとするグローバリズムのみかたにたてば、東南アジアの医学的実情は、上記のように解釈される。

しかし、欧米先進医療のめざましい発展と「健康」という人類に普遍的な科学概念でゆきわたるGlobalizationの波に洗われながらも、東南アジアの人々はその地でうまれ、既存の医療システムのなかで疾病とむきあい、やがて老い、ある種の死生観をもって死んでゆく。その意味で人の、生・老・病・死は、その地域固有の生態系とその民族の歴史と価値観が規定する相対的な概念でもあり得る。東南アジアの今後の医療の動向が、欧米諸国がかつてたどった同じ道をめざすという保証はいまのところない。

本セミナーでは、東南アジアの疾病と老化の実態を明らかにしながら、一方で、フィールドワークを通じてみえてくる地域固有の人々の健康概念や死生観をもう一度とらえなおすことを試みたい。

プログラム

人々はどのように死んでいるか −アンチョールの死亡事例調査から学ぶこと 上原鳴夫(東北大)
東南アジアにみる感染症の課題と対策 川端眞人(神戸大)
東南アジアでの腸管感染症調査こぼれ話 西渕光昭(CSEAS)
マラリア対策のための調査 −ソロモン郡島とインドネシアにおける経験談 石井明(自治医大)
東南アジアの結核および小児肺炎 下内昭(大阪市)
人間生態学からみた病気 テリー・ランボー(CSEAS)
東南アジアとフィールド医学 松林公蔵(CSEAS)
高出生力とその変化 -- ジャワ・ バリを中心に -- 五十嵐忠孝(CSEAS)
人はどこまで環境を改変・制御できるのか?
−健康からみた農村開発・農業発展の光と陰: バングラデシュの事例を中心に−
安藤和雄(CSEAS)
インドネシアの伝承薬 新田あや(京都大学)
タイでのフィールドからみた福祉政策 馬場雄司(三重県立看護大)
東南アジアの自然環境と人々の暮らし 田中耕司(CSEAS)