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Center forSoutheast Asian Studies Kyoto University

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国際交流

連絡事務所便り:ジャカルタ

京都大学東南アジア研究所 岡本 正明    < 2009.2.24 - 2009.4.12 滞在 >
- 総選挙 -
私がジャカルタ事務所に駐在していた3月というのは幸運にもインドネシアにおける選挙キャンペーンの時期と重なっていた。おかげで、選挙キャンペーン会場に行ってその様子を実感することが出来たし、テレビでも連日流れる選挙キャンペーン番組も見ることができた。そして、4月9日投票日の投票所の様子も分かったし、選挙速報番組も見ることができた。
2009年の総選挙というのは、インドネシアにとっては民主化が始まってから三度目の総選挙に当たる。99年の第1回、2004年の第2回総選挙の時には、民主主義が制度的に定着しておらず、もしかして政治的混乱が起こるのではないかと危惧する意見がインドネシア研究者の中には多かった。私もそうした意見に傾斜しがちであった。しかし、この二度の選挙はきわめて平穏に終わった。そうしたことから、また、世論調査機関が事前に比較的精度の高い選挙予想をしていて、与党の勝利が確実だったので、今回の選挙が混乱するような気配は乏しかった。選挙管理委員会の委員たちが必ずしも選挙運営に長けた人物たちではなく、投票用紙配送の遅れ、二重登録、死亡者の有権者登録など運営のレベルはこれまでの二度の選挙と比べれば落ちた。しかし、かつては一般的であった派手な路上キャンペーンは違法になり、首都ジャカルタともなると、選挙キャンペーン会場に多くの警官が警備に当たって混乱を回避する努力が行われた。その結果、パプアやアチェといった独立運動の懸念が消えない地域を除けばおおむね、平和理に選挙は進んだ。
その一方で、テレビでの選挙関連番組はお祭り的様相をこれまで以上に濃くした感がある。例えば、ある民放では「政治リング」なる番組があり、チアリーダーたちがボクシングのリングでひとしきり踊った後、アナウンサー二人が若き議員候補者たち四名をボクサーさながらに紹介して、彼らにヴィジョンやミッションを語らせていた。あるいは、少しばかりエロスの入ったダンドゥット音楽にあわせて議員候補たちが腰をくねくねさせる踊りの後に論戦を繰り広げる番組もあった。スーパーマンの格好をした候補者も現れた。選挙の大衆化・皮相化に私自身は幻滅したものの、私のインドネシア人の友人の意見は違った。彼に言わせれば、ある種低俗と見える番組でも選挙の大切さを伝えているだけでも良いし、そうした番組なら教育水準の低い層の人達も選挙に関心を持つ契機になるかもしれたい。彼の意見が事実かどうか分からない。それでも、今回の投票率は確実に6割を超えており、選挙に対する有権者の関心は高かった。ジャカルタ事務所にいる二人のお手伝いさんもおめかしをして投票所に出かけていった。問題含みとはいえ、インドネシアの民主化、着実に定着しているようである。
アジア経済研究所 相沢 伸広    < 2008.10.15 - 2008.11.15 滞在 >
- ジャカルタの高級住宅街 -
事務所移転先の予備調査を仰せつかり、私はジャカルタの高級住宅事情について友人に相談した。その時の話を少し紹介したい。現在の事務所があるクバヨラン・バル地区は、メンテン地区とともに、由緒ある高級住宅街として知られる。郊外に、新しい高級住宅地区が次々に開発される中、ここ5年ほどで、都市中心部のこの二地区での賃料水準の高騰が顕著となっている。
その理由として、郊外の広大な高級住宅に移り住んだ超富裕層が、再び都心の土地購入に積極的になっていることが挙げられる。交通渋滞が年々悪化する中、二地区の利便性の良さが見直されたのである。クバヨラン・バル、メンテン両地区は、政府高官の公邸も多く、その安全性には定評があり、さらに近年の都市問題である洪水の被害にもあっていないことから、さらに人気が高まっている。多くの場合、土地を相続した元高級官僚の家族から、購入しているという。都心部に高級マンションが次々と建設されているのにもこうした背景がある。
購入した土地、家の用途であるが、大まかにいって、半分は投機対象か貸家、もう半分は家族用の住居である。中でも大企業家たちがその子供のために購入し、やがて結婚したときのことを考えて取り置くことも多いという。両地区ともに、需要が多い割に空き家が多いのは、そのためである。ジャカルタ事務所のすぐ近くにも、プルーバードタクシー・グループの娘の家がある。当の父親が、やがて子供たちが結婚しても、気兼ねなく遊びに行くため、用意した邸宅である。
「娘が結婚するまで」、という条件で良いのであれば、いくつかいいところがある、と友人は教えてくれた。1990年代に流行った、ホワイトハウスのような白亜の玄関、大きなプール付きの重厚な豪邸とは異なり、近年建てられた高級住宅は、ガラス張りの機能重視のものが多い。手入れが大変であった昔の家とは違い、最近の新築物件は日本人にもあうだろうと、強く勧められた。もっとも、「突然解約されるのが怖いのであれば、京大の誰かがオーナーの子供と結婚しないとね」、といって友人は笑っていた。
京都大学地域研究統合情報センター 山本 博之(准教授)    < 2007.12.18 - 2008.4.14 滞在 >
- インドネシア発イスラム恋愛映画 -
いま、インドネシアで映画『アヤア ヤ・チンタ』 が爆発的な人気を誇っ ている。 2008年3月に公開されて約 1 カ月間で、 劇場でこの映画を観た 人が350 万人に上り、歴代1 位だっ た『ビューティフル・デイズ』を軽く 破ってしまった。 すでに海賊版ビデ オCD も出まわっており、 実際にこ の映画を観た人の数はもっと多くなるだろう。
人気の秘密は、 宗教要素が入った 恋愛物語だからと言われている。 主 人公はカイロのアズハル大学で学ぶ インドネシア人留学生のファハリで、 同じアパートに住んで勉強を手伝っ てくれるコプト教徒のマリアや、 ト ルコ系ムスリムで裕福な家系出身 のアイシャ、 さらに大学の同級生や 近所の女性など多くの女性と出会い、 悩みながらも自分の伴侶を見つけて いく。 悩む過程でファハリは常にク ルアーン(コーラン)の章句などを 引き、 「イスラム教徒として正しい 恋愛とは何か」 という観点から道を 選ぼうとするため、 観客は恋愛物語 を追いながら宗教の教義が学べると いう仕組みになっている。 このため、 ふだん映画館に足を運ばない人たち を動員することに成功したらしい。 土曜の午後に映画館に行ってみると 若い男女でほぼ満席で、 客席を後ろ から見ると男性の黒髪と女性のカラ フルな被り物が交互に横に並んでい た。
『アヤアヤ・チンタ』 の人気はと どまるところを知らず、 ついに大統 領と副大統領まで夫婦で映画館を訪 れ、物語に涙している様子が報じら れた。もっとも大統領たちの目的は 映画の鑑賞だけでなく、 国産の映画 をイスラム教諸国に売り出す可能性 を探ることにあったようだ。 国民を 海外に出稼ぎに出して「外貨獲得の 英雄」と持ち上げていると思ったら、 映画があたれば今度はそれを外国に 売り出そうとするなど、 安易でない かとの印象も受けるが、 他方で、イ ンドネシアやマレーシアなど東南ア ジアのムスリム諸国がイスラム教の 要素を入れた映画を作り、 それが世 界に広まっていくことは、 イスラム 教やムスリムの多様な現実が世の中 に伝わるよい機会になり、 その意味 では大いに歓迎すべきかもしれない。
名古屋工業大学 永渕康之(教授)    < 2007.10.6 - 2007.12.22 滞在 >
- ジャカルタを捨てる? -
雨期に入ったジャカルタは最近決まって午後に強い雨が降る。事務所の前は花屋が並び、その裏手の道路の縁には販売用の植木が並んでいる。歩いていると紫陽花が目にとまり、ジャカルタでも雨期には紫陽花かとあらためて気がつく。
あまりにも日々のこととなり、誰も口にもしないジャカルタの渋滞は、雨期とともにテレビに登場する。たちまちのうちに川と化す道路に車はあふれかえり、それでも通らなければならない運転手は神頼みをするばかりだ。ひとたび動かなくなれば、財産である車は取り返しのつかないことになる。
進められつつある専用バスレーンの工事とその可否が渋滞をさらなる論争に導く。工事そのものが渋滞を深め、バス専用にしたばかりに一般車の車線がへり、結局渋滞はひどくなるではないか。それでもやはり庶民の足は確保しなければならないという賛成派の声は、まったく動かない車の姿に押されぎみである。挙句のはてに、問題は専用バスレーン問題への賛否ではなく、根本的に全道路の面積よりも多いとされる車の量そのものであり、だとすればジャカルタを捨てるべきではないか。こうして、雨期にはいったジャカルタのメディアは首都遷都論を伝えるのである。
渋滞の車のなかで人々はおしゃべりをする他ない。同乗者のいない運転手は携帯を使う。この事務所に来て渋滞が気にならないのは、運転手氏とおしゃべりができるからである。彼は慎重かつ正確かつユーモアに満ちた人間と社会の観察者である。自身の生き残りをかけた経験から治安がどのように保たれているのかを綿密に語り、無法地帯に秩序が存在する理由がわかる。事務所に赴任した人間も次々と彼の事例となり、こまかい観察と彼独自の意見が披瀝される。私自身もこうして観察されているのだと気にならないこともないが、渋滞なのだから仕方がないと諦めにかわり、強い雨だけは降らないでほしいと願いながら、次のインタビューの相手のもとへと赴くのである。
京都大学地域研究統合情報センター 阿部 健一(准教授)    < 2007.4.18 - 2007.8.7滞在 >
数えてみると今回は15年ぶりの駐在である。インドネシアでの調査の折には必ず連絡事務所に顔を出していたので、それほど、とは思わなかった。1991年と92年、それぞれ9ヶ月事務所を預かっている。なんでも助手で駐在するのは始めてのケースで、出発前に「異例のことですから、しっかりやってください」と矢野さんに所長室に呼び出されたことを思い出す。年度末は二度とも加藤さんが代わってくれたので、煩雑な会計処理で悩むことはなかった。
それでも事務所をひとつ維持するのは大変だと思った。雨漏り、停電はあたりまえで、床を突き破って竹が生えてきたこともある。泥棒?なのか、夜中に屋根を歩く人の足音で目を覚ましたりした。購入した本を発送するのも半日がかりだった。
それでも東南研を離れてみると、連絡事務所のありがたさがよくわかる。ありがたさが高じて、連絡事務所はもっと有効に使えるのでないか、などと外から「意見」したりもした。直接関わりなくなると、好き勝手なことが言える。
しかし口は災いの元である。今回前任者の岡本さんに、到着した日にインドネシア同窓会の最初の準備会合を仕組まれた。夕方遅く着いたが、すでに20人ほどの京大留学経験者が集まり、熱心に議論している。ご飯も食べさせてもらえず、気がついたら、「事務局は連絡事務所に置きましょう。すぐに所長に許可をもららうようにします」などと口走っていた。
同窓会といった組織つくりは、インドネシアの人たちの得意とするところである。事務局や「支部長」が、つぎつぎ順調に決まってゆく。暫定的に、初代の同窓会長はボゴール農科大学のスピアンディさん。京大農学部の「先輩」で同じ下宿だったから気心は知れてる。
同窓会規約は、二回目の準備委員会で、試案がまとまった。あと名簿を作成する作業と、総会をどのようにするか決めなればならない。第一回の総会については、ジャカルタのホテルで、しかるべき大臣にも列席してもらい、国際シンポジウムも併催して・・・と、どんどん話がエスカレートしている。こうした組織は、立ち上げることより維持することのほうがはるかに難しい。同窓会を組織するメリットをどのように担保してゆくか、過熱気味の議論に、手綱を絞るように慎重な意見をするのが僕の役割となっている。
一方で、公的な活動を活発に行うにあたっては、連絡事務所をインドネシア社会の中できちっと位置づけておく必要がある。水野所長がもっとも気にしている点である
こちらの方はLIPIとの連携強化ということになるだろう。再入国のヴィザ申請に必要な推薦状をもらいに行ったときに、海外協力担当のネニさんからは「こんな事務的なことだけでなく、もっと学術面で実質的な協力をしましょうよ」と嫌味2割、期待8割の調子で言われた。すでにMOUも交わしているし、望むところである。活動の実績を積み重ねながら、一方で足場を固めてゆくことになる。
まずは国際シンポジウムの共催がいいのでないか、と思う。同窓会活動と組み合わさせてもいい。いわゆる「世界的問題群」のなかで、インドネシアに影響が大きい問題を毎年扱かってゆく。ひとつの分野ではとうてい解決できないから、幅広い分野の人に、話題提供者としても聴衆としても、参加を促すことになる。たとえば「バイオエナジー」というテーマ。インドネシアで関心が高い。工学的な視点と政治的・経済的な視点、さらに農業や環境への影響と、全京大的に、将来を見据えていろいろな面から議論できる。そのとき地域研究は、なくてなならないメディエーターとなる。当然関連する大臣には来てもらわなくてはいけないだろう。成果はインドネシア語と英語で商業出版。次のテーマは、CDMがらみで環境問題を扱ってもいいかもしれない・・・・・。と、気がついてみると、どうも手綱を絞って抑えなければならないのは僕自身のようだ。
愛媛大学農学部 百瀬邦泰    < 2005.6.18〜2005.9.17滞在 >
- 低価格航空会社のはなし -
インドネシアではまるでキノコのようににょきにょきと、低価格航空会社が設立され、一部はいつの間にか消えている。ジェット旅客機時代の黎明期を担った60年代製造のB727やB737-200が他国からかき集められ、この国の空を飛び回っている。これらが日本の空を去ってから既に久しい。これらの機体達にとっての栄光の時代が過ぎ、数カ国を転売された後、インドネシアにやってきたのだろう。もういつ落ちてもおかしくないし、今の所有者は落ちるまで使うつもりだと思う。だいたい60年代の乗り物など博物館で観るべきものだと私は思っていた。もしこれらが日本に着陸したらカメラを抱えたマニアが殺到するはずだ。
 本来解体されるはずの使い古された機体なのだから、タダ同然で買い取ることが出来る。こうしてバス代より安い航空運賃が実現する。それにしても、バスより安い飛行機などという恐ろしいものに人々は魅力を感じるのだろうか。ところがこれが大人気で、運行数は限界まで増えている。
 愛すべき名機たちは、朝ジャカルタを発ち、老体に鞭打って2往復以上酷使され、夕方ジャカルタに戻ってくる。ジャカルタの空港では朝7-8時台になんと1-2分に1機の頻度での離陸が、夕方6-7時台には同密度の着陸が組まれている。なんとラッシュ時の山手線より過密なのだ。とはいえスケジュールどおりには運行できないので(当たり前だ。この密度でできるはずがないし、されたら困る)、実際の離着陸間隔は少し広くなってはいるが。
 インドネシアでは、行政改革を進めているとはいえ、まだまだ諸規制の整理・撤廃が進まず、行政上の諸手続が煩雑だ。私のように、滞在許可証ほか重要書類を紛失したりすると、無駄に煩雑な手続きの一端を垣間見ることが出来る。いくつの役所を回ったのか思い出せないが、訪問した全ての役所で、ちょっとだけ偉い役人さんのサインを頂戴するために、合計何時間待たされただろう。当然法人の手続きは遥かに面倒で、先日、インドネシアにおける事業免許取得過程の煩雑さが世銀の事業環境調査で指摘された。東南アジアではラオスに次いで事業が開始しにくいのだという。ところが多数の人命の安全にかかわる規制については、なんと大らかなことか。
 9月5日にマンダラ航空という低価格航空会社の飛行機が墜落し、地上の住民を含む多くの人が亡くなった。これを受けてのことだろう。12日、運輸省は航空会社数社に安全管理についての三度目の厳重警告書を送付したという。そこでは改善が見られない場合免許を取り消すと警告している。つまり、これまでに既に二度、安全管理の不徹底を指摘して改善が無かったということだ。そして最も恐るべきことに、当局はこの期に及んで改善を待つつもりなのだ。そもそも警告の類など初めから全く不要で、安全管理が出来ない事業者なら即刻免許を取り消すのが当たり前ではないのか。