数えてみると今回は15年ぶりの駐在である。インドネシアでの調査の折には必ず連絡事務所に顔を出していたので、それほど、とは思わなかった。1991年と92年、それぞれ9ヶ月事務所を預かっている。なんでも助手で駐在するのは始めてのケースで、出発前に「異例のことですから、しっかりやってください」と矢野さんに所長室に呼び出されたことを思い出す。年度末は二度とも加藤さんが代わってくれたので、煩雑な会計処理で悩むことはなかった。
それでも事務所をひとつ維持するのは大変だと思った。雨漏り、停電はあたりまえで、床を突き破って竹が生えてきたこともある。泥棒?なのか、夜中に屋根を歩く人の足音で目を覚ましたりした。購入した本を発送するのも半日がかりだった。
それでも東南研を離れてみると、連絡事務所のありがたさがよくわかる。ありがたさが高じて、連絡事務所はもっと有効に使えるのでないか、などと外から「意見」したりもした。直接関わりなくなると、好き勝手なことが言える。
しかし口は災いの元である。今回前任者の岡本さんに、到着した日にインドネシア同窓会の最初の準備会合を仕組まれた。夕方遅く着いたが、すでに20人ほどの京大留学経験者が集まり、熱心に議論している。ご飯も食べさせてもらえず、気がついたら、「事務局は連絡事務所に置きましょう。すぐに所長に許可をもららうようにします」などと口走っていた。
同窓会といった組織つくりは、インドネシアの人たちの得意とするところである。事務局や「支部長」が、つぎつぎ順調に決まってゆく。暫定的に、初代の同窓会長はボゴール農科大学のスピアンディさん。京大農学部の「先輩」で同じ下宿だったから気心は知れてる。
同窓会規約は、二回目の準備委員会で、試案がまとまった。あと名簿を作成する作業と、総会をどのようにするか決めなればならない。第一回の総会については、ジャカルタのホテルで、しかるべき大臣にも列席してもらい、国際シンポジウムも併催して・・・と、どんどん話がエスカレートしている。こうした組織は、立ち上げることより維持することのほうがはるかに難しい。同窓会を組織するメリットをどのように担保してゆくか、過熱気味の議論に、手綱を絞るように慎重な意見をするのが僕の役割となっている。
一方で、公的な活動を活発に行うにあたっては、連絡事務所をインドネシア社会の中できちっと位置づけておく必要がある。水野所長がもっとも気にしている点である
こちらの方はLIPIとの連携強化ということになるだろう。再入国のヴィザ申請に必要な推薦状をもらいに行ったときに、海外協力担当のネニさんからは「こんな事務的なことだけでなく、もっと学術面で実質的な協力をしましょうよ」と嫌味2割、期待8割の調子で言われた。すでにMOUも交わしているし、望むところである。活動の実績を積み重ねながら、一方で足場を固めてゆくことになる。
まずは国際シンポジウムの共催がいいのでないか、と思う。同窓会活動と組み合わさせてもいい。いわゆる「世界的問題群」のなかで、インドネシアに影響が大きい問題を毎年扱かってゆく。ひとつの分野ではとうてい解決できないから、幅広い分野の人に、話題提供者としても聴衆としても、参加を促すことになる。たとえば「バイオエナジー」というテーマ。インドネシアで関心が高い。工学的な視点と政治的・経済的な視点、さらに農業や環境への影響と、全京大的に、将来を見据えていろいろな面から議論できる。そのとき地域研究は、なくてなならないメディエーターとなる。当然関連する大臣には来てもらわなくてはいけないだろう。成果はインドネシア語と英語で商業出版。次のテーマは、CDMがらみで環境問題を扱ってもいいかもしれない・・・・・。と、気がついてみると、どうも手綱を絞って抑えなければならないのは僕自身のようだ。